中日の木下雄介投手が死去されました。

まだ27歳の若さでした。

育成からプロの一軍まで這い上がり、まだまだこれからの選手だったということで、ネット上では彼の死を悔やむ声で溢れています。

また、木下投手の死因をめぐっては、世の中の情勢と関係の有無が話題になっています。

中日の木下雄介が死去。死因は?数日前にコロナワクチン接種

木下投手は今季は開幕1軍が目前だった3月21日の日本ハムとのオープン戦で右肩を脱臼しました。

今年の4月に肩、右肘の内側側副じん帯の再建手術(通称トミー・ジョン手術)を行いました。

その際に木下投手は「一日でも早く復帰できるように前向きに頑張っていきます」と強気のコメントをしていました。

しかし、リハビリに励んでいた7月6日に、ナゴヤ球場で倒れました。直前まで息苦しさを訴えていたようです’。

その後、名古屋市内の病院に救急搬送し、懸命な治療が施されてきましたが、翌日の8月5日に死去されました。

木下投手はチームは親会社・中日新聞社の職場接種を利用し、新型コロナウイルスのワクチン接種していました。

6月28日に1度目の接種をしましたが、そのコロナワクチンと今回との因果関係は、現在の時点では不明です。

木下は育成から這い上がった努力家

木下投手は生光学園から駒大進学に進学しましたが、右肘の故障で1年で中退しました。

その後、地元・大阪でスポーツジムのインストラクターとなり、たまたま誘われた草野球でら剛速球を連発。

そして野球への情熱が復活し、NPB入りを目指し15年春に四国・徳島に練習生で入団したという異色の経歴です。

1年後に見事に16年の育成ドラフト1位で中日に入団を果たし、ファームでは150キロを超す直球と落差のあるフォークを武器に活躍。

そして、18年に念願の支配下登録され、背番号は201から98となりました。  

昨年はコロナ禍で開幕が遅れたこともあり1軍で18試合のみ登板。

しっかりとプロ初セーブも記録し、ファンを喜ばせました。

木下投手と父の死

木下投手は「強気」が信条でした。

支配下2年目の2019年、怪我で出遅れましたが、「もう投げられる。大丈夫」と前向きなコメントをしていました。

しかし、自身が1軍昇格が目前だった同年7月22日に、最愛の父が交通事故で死去。

木下投手は、

「父親は“どんな時でも仕事を休むな”が口癖で、40度の熱があっても仕事に行っていた」

とし、翌23日、2軍戦で登板。

また、通夜が営まれた24日も午前中まで練習に参加していたそうです。その際、周囲に暗い顔を見せませんでした。

木下投手は「野球をもう一度やると言った時、めちゃくちゃ喜んでくれた」と父について語ります。

開幕1軍が濃厚だった2020年も、怪我と手術の悲運に見舞われても、1軍まで這い上がり活躍されました。

木下と藤川球児の関係

木下投手は50キロを超す直球を武器としていました。

彼のストレートの最大の特長はスピンが効いた浮き上がるような軌道。

これは、元阪神の守護神・藤川球児氏の「火の玉ストレート」を彷彿させるとして話題になりました。

実は木下投手は昨年9月5日のヤクルト戦でプロ初セーブを挙げた際に、

「抑え投手を目指しています」

と抑えのエースを将来の目標として語っていました。

そんな藤川氏は今春の北谷キャンプで木下投手を称賛。

さらに自身も経験したトミー・ジョン手術を受けた際には、ツイッターで「ドラゴンズの木下投手 努力は人生においては必ず報われる ファンの方々と共に応援しています」と、憧れの藤川さんから直接エールをもらっていました。

これから素敵な師弟関係が生まれると信じられていただけに残念です。

木下雄介の経歴・出身高校大学プロフィール

名前:木下 雄介(きのした・ゆうすけ)

生年月日:1993年(平5)10月10日生まれ

出身地:大阪府出身

出身高校:生光学園では甲子園出場なし

出身大学:駒大1年時に右肘の故障で中退

プロ入団:15年入団の四国・徳島を経て16年育成ドラフト1位で中日入団。

1軍登録:18年3月に支配下登録。

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