氷川きよしさんといえば、かつては”演歌界のプリンス”とのキャッチフレーズでブレイクした美形演歌歌手です。
現在ではジャンルにとらわれない音楽でファンを魅了し、性の固定概念を破壊したヴィジュアルで若者からも支持されています。
氷川きよしさんという歌手を語る上で、まず知りたいのはバックボーンです。
彼はどのような境遇で育ち、または幼少期、学生時代はどのような青年だったのでしょうか?
氷川きよしさんの実家と両親、または子供時代から学生の頃までの逸話をまとめてみます。
氷川きよしは福岡県出身で大楠小学校→高宮中学→福岡第一商業高校卒業
芸名 | 氷川きよし |
本名 | 山田清志 |
出身地 | 福岡県福岡市南区 |
生年月日 | 1977年9月6日 |
血液型 | A型 |
身長 | 178センチ |
体重 | 62キロ |
職業 | 歌手 |
氷川きよしの子供時代。髪の毛を短く切るのが嫌で泣く。友達は女子が多く男子からイジメられた
氷川きよしさんは、幼い頃はとても内気な性格で、人見知りだったことからお母さんの後ろに隠れるような子供でした。
幼少期から現在の中世的な趣味は変わらず、3歳の時に父親の父方の叔父さんに長い髪をバリカンで刈り上げられた時、母親が「きよしには髪の毛を切らなくてもいいんです!」と言って泣いていたということがあったそうです。
子供の頃から女の子と仲良くなる事が多かったそうですが、性格は負けず嫌いでもあったそうです。
小学校は実家から近い大楠小学校に進学。
女子と遊ぶことが多く、男子遊びのが苦手で同級生の男の子にいじめられたり、からかわれたこともあったそうです。
氷川きよしは中学生の頃から歌手を志す。ダイエット成功で美意識が向上する?
氷川きよしさんが歌手になることを意識したのは中学生の頃です。
きっかけは祖母に連れられて松田聖子のコンサートで、素敵な衣装で美しく歌い上げる姿に感激したそうです。
そして、親戚で旅行に出かけた時、皆からのリクエストで「赤いスイートピー」を歌った際、親戚からは大絶賛され、その時に歌うことの楽しさに気づいたのです。
中学時代から新聞配達などのバイトをして家計を支えていたそうです。
ちなみに中学時代は太ってた時期があり、「デブ清」というあだ名がつけられた時期もあったそうです。
それが嫌で寒天ダイエットを実行し、見事に成功したのです。
氷川さんの美意識が高くなったのも、この中学時代のダイエットの成功経験があったからかもしれませんね!
氷川きよしは福岡第一商業高校時代に演歌を歌い始める
氷川きよしさんは福岡第一商業高校のインテリアデザイン学科に入学しました。
進学した高校には福岡県では珍しい芸能コース講座が有り、氷川さんはそのコースを選択。
コースの山田先生は80歳近い先生で演歌しか教えられなかった先生で、その影響から演歌を勧められたのです。
最初は気が進まなかったそうですが、先生に泣きつかれ、可哀想に思い歌い始めたそうです。
すると生徒たちの間で演歌の評判が良く、さらに老人ホームを慰問した際に演歌を聞いた高齢者の方が泣き崩れて喜んでくれる姿を観て感動したそうです。
そこで演歌歌手になる事を決意したのです。
そして、高校3年生の時に『BS歌謡あなたが一番』への出演をきっかけにスカウトされたのです。
高校卒業後に上京し、3年半ほどは歌手デビューの見込みがないままアルバイト生活を送りました。
もがき苦しみながらも、2000年2月2日に『箱根八里の半次郎』で念願のデビューを果たしブレイクを果たすのです。
氷川きよしの家族構成は父と母と合わせて3人。兄弟なしの一人っ子で現在も独身
氷川きよしさんの家族構成は父・母・氷川きよしの3人家族です。
意外にも、兄弟はおらず一人っ子です。
中性的な男性は姉や妹がいるというケースが多いので、一人っ子とは意外ですね!
子供時代は中世的なことが理由で学校の同級生とは馴染めず、従姉妹の女の子といつも一緒に遊んでいたようです。
福岡県福岡市で生まれ育ちましたが、実家の場所はファンの方でも知らないそうで、両親の詳細も公開されていません。
ただ、過去に語った子供時代の実家は、市営住宅2Kの部屋だったとのことです。
過去に氷川きよしさん自身が、父や母に纏わるエピソードを話したことがあるので、些細な逸話ならいくつかあります。
氷川きよしの母が美意識を植え付けた?父親はタクシードライバー説
若い頃からの氷川きよしさんの言動などを見てると、とても上品で優しいです。
きっと愛情をたくさん受け取って育ったんだなと思われます。
しかし、お坊ちゃん育ちというわけでもなく、あくまで一般的な家庭で生まれ育ったそうです。
氷川きよしさんは自身のジェンダーをカミングアウトした際、母に「誰にどう思われるかなど気にしないで、きよしらしく生きなさい」と言われたそうです。
自分の子供の本当の部分をしっかりと受け止めてくれる、とても懐が深くて愛情深い母だと分かります。
また、この母親は氷川きよしさんが幼い頃から、髪を伸ばすなど美しさを肯定してきた方で、現在の氷川さんの自由な表現を支えていたということです。
よく”男の子なんだから髪を短く切りなさい”などいう親がいますが、そのようなことが一切なかったそうです。
また、父親も氷川さんに「働きすぎだから休め」と言われることが多いような、息子想いの優しい方のようで、「男なんだからバリバリ働け」「根性で倒れるまで働け」というような昭和おやじではなかったそう。
現在は定年退職されているようですが、2009年に福岡の実家に帰省した際、父親から「お年玉は?」とお年玉をねだられ、父親はまだ現役で働いていたので「自分で働いて!」と拒否したというエピソードがあります。
お父さんの現役時代の仕事はタクシードライバーだったという説がありますが、これは氷川きよしさん本人から語られた情報ではなく、あくまで噂です。
2020年に「母」という曲をリリース。母の為に曲を作るのが目標だった
優しい両親の元に育ち、とても自由な表現者に育った氷川きよしさん。
下積み時代はバイト生活が辛く、デビューが見えない現状に耐えきれず実家の母に電話で「辛かったらいつでも帰っておいで」「大丈夫、大丈夫」と慰めてくれたそうです。
当時、電話代が4万円を超えた事もあったそうです。
氷川きよしさんは若手時代から音楽で親孝行をしたいと考えており、母親がテーマの曲を作りたいと思っていたそうです。
デビューして5年目の頃に病で倒れてしまった際、「母親が当たり前に生きてるわけではない」と感じたのもきっかけだそうです。
その願いは2020年に叶い、「母」という楽曲をリリースすることができました。
曲の中身には「支えてくれた人」など、これまでに自分を応援してくれた感謝を述べるのと共に、これからも頑張っていきたいという熱意が込められています。
氷川きよしは「今自分にできる親孝行は何でもしてあげたい」と語り、父母への愛を伝え続けています。