昭和から活躍するスーパーバンド「聖飢魔II」。
実は超実力派バンドというのは、音楽が好きな人の間では知られた話です。
そんな聖飢魔IIのボーカルを担当してるのは、バラエディや相撲解説でお馴染みデーモン閣下です。
デーモン閣下は地上波の番組に出演を続けても、あのメイクと年齢や出身の設定は大切に守っています。
相撲解説の仕事は相撲マニアの間では知識量が認められ、すでに立派なプロの解説者であります。
正直、そろそろ年齢の設定や、あのメイクを卒業してメディアに出ても良さそうな気もしますよね?
今日は聖飢魔IIのデーモン閣下が年齢などの設定を守る理由と、本当は何歳なのかについて書いてみたいと思います。
デーモン閣下の生年月日(年齢)の設定は98038年11月10日
何もかもがミステリアスなデーモン閣下。
80年代から活躍してるバンドということで、年齢はかなりいってると想像できます。
気になるデーモン閣下の年齢ですが、生年月日の設定がかなりぶっ飛んでいます。
デーモン閣下本人による、先年月日の公表は98038年11月10日であります。
つまり、現在のデーモン閣下の年齢は10万歳以上ということになります。
2022年時点でデーモン閣下の年齢は1万60歳ということになります。
デーモン閣下の年齢・血液型・出身地の公表
名前:デーモン閣下(デーモンかっか)
旧名:デーモン小暮、デーモン小暮閣下
生年月日:紀元前98038年11月10日
出身地:地獄の都Bitter Valley地区
血液型:θ33式XD類別A666型
身長:168cm
所属事務所:POWERPLAY
デーモン閣下の本当の生年月日(年齢)は1962年11月10日?
デーモン閣下の年齢に関しては、10万を差し引いた年齢が、本当の年齢だとされます。
つまり、2022年では1万60歳なので、実際の年齢は60歳ということになります。
かなりぶっ飛んだ設定ではありますが、本当の年齢が考察しやすいシステムにしてるのが、嫌味がなくて良いですね!
それも、お昼の番組や相撲解説など音楽以外の活動が増えて今も、その年齢設定を続けてるのも素敵です。
ただ、なぜデーモン閣下は紀元前に生まれたという設定にこだわるのでしょうか?
デーモン閣下が紀元前に生まれた設定を現在も守る理由
現在になっても諦めずに紀元前生まれの設定を守り続けているデーモン閣下。
なぜ、彼は今になっても、そんなぶっ飛んだ設定を守り続けるのでしょうか?
調べてみると、やはり自分の音楽の活動スタイルに関連してるみたいです。
デーモン閣下が結成したバンド「聖飢魔II」は、かなりコアなテーマを背負ったバンドです。
バンドの創始者はダミアン浜田地獄皇太子殿下(現:サタン45世大魔王陛下)だとして、音楽を媒介にして悪魔教を布教するために組織された「教団」であると主張しています。
目的は地球征服を完遂して解散すること。
各構成員は地獄から来た悪魔だという設定です。
バンドの決まりで聖飢魔IIの構成員には閣下・殿下などの敬称が使われ、また長官・参謀などの役職名までを芸名としております。
デーモン閣下は悪魔教教祖・元地獄副大魔王という立場であり、聖飢魔II解散後にソロプロジェクトを立ち上げた後も悪魔としてのスタンスそのままに活動しています。
現在の音楽活動も、聖飢魔IIの設定の延長戦に置いているということが、デーモン閣下が今も紀元前生まれの設定を守っている理由ということです。
姉はアナウンサーの小暮裕美子。デーモン閣下の1歳年上
本名(ふりがな):小暮裕美子(こぐれゆみこ)
会社:TBS
生年月日:1961年
出身地:広島
出身小学校:古田小学校
出身中学校:目黒第一中学校
出身大学:慶應義塾大学経済学部
活動内容:報道記者、報道キャスター
家族構成:デーモン小暮閣下(弟)
姉は慶應義塾大学。弟の閣下は早稲田大学
姉の小暮裕美子さんの経歴を辿ると、デーモン閣下の実家が育ちがわかります。
小暮裕美子さんの出身地は公表されていませんが、調べてみると広島県なのでは?という情報が出てきます。
これはデーモン閣下と同じですね!
小暮裕美子さんの父親は銀行員で転勤が多く、小暮由美子さんが幼稚園から小学校2年生くらいまではニューヨークにいて、その後は東京や広島など様々な場所に移動されていたそうで、この部分も帰国子女の閣下と同じであります。
デーモン小暮閣下は「故郷は広島県である」と発言しており、広島東洋カープのファンで、過去には広島東洋カープの始球式に登場したこともあります。
また、広島県の「がん検診啓発キャラクター」にも就任されており、広島県はゆかりの地であります。
ちなみに閣下は早稲田大学出身でありますが、姉の裕美子さんはまさかのライバル大学である慶應義塾大学出身であります。
姉の裕美子は2006年までTBSのキャスターとして活躍。記者として入社
小暮裕美子さんは1984年に報道記者としてTBSに入社しました。
入社した当時は裕美子さんは、主に文部省、警視庁、東京都庁といった官公庁部門の記者として活動していました。
1989年からはJNN(TBS)系列の、ワイド形式の朝の報道番組である「JNNおはようニュース&スポーツ」のスタジオキャスターに就任し、1992年に放送された「JNNニュース1130」にも五味陸仁さんと共に初代キャスターとして出演していました。
1993年から記者活動に戻ったので表舞台に出ることは少なくなりました。
姉・小暮裕美子の現在。結婚して出世
小暮裕美子さんは1994年11月27日に結婚しました。
旦那は1989年10月2日よりTBSをはじめとしていたJNN系列が生放送していた平日最終版の報道番組で、筑紫哲也の冠番組であった「筑紫哲也 NEWS23」のディレクターの方であります。
その後に2006年にTBSテレビ編成制作本部報道局取材センター外信部次長に就任。
これは現場に出ない上部組織なので、仕事の経歴が評価されて出世したということになります。
デーモン閣下はエリートの姉には敵わない?裕美子が聖飢魔IIのモデル?
過去に閣下が姉について言及したことが何度かあります。
閣下いわく、姉は地球上で唯一口喧嘩で勝てない相手だそうです。
さすがの閣下もエリートのお偉いさんである姉は怖いようです。
ちなみに聖飢魔IIのモデルは、姉・裕美子さんだという話があります。
小暮裕美子さんは学生時代に学園祭でロック・クイーンとしてライブを披露。弟の閣下はそんな姉の姿を見て「コレだ!」と思い、後の聖飢魔IIの世界観のヒントにしたそうです。