郷ひろみのジャニーズ時代。社長との仲。退所理由と移籍前の若い頃の画像

郷ひろみさんが過去にジャニーズに在籍していたことを知らない人が多いです。

実は10代の頃の活動は主にジャニーズ事務所で、退所する際は大きな報道となりました。

今日は、郷ひろみさんが若くしてジャニーズ事務所を退所した理由と、その移籍に纏わる黒い噂について書いてみたいと思います。

また、郷ひろみさんがジャニーズに在籍していた時代の貴重な写真と共に、ジャニーズ時代の活動を振り返ってみます

郷ひろみがジャニーズ事務所から移籍した理由は”方向性の違い”だが真実は喜多川社長との関係?

郷ひろみさんは1971年の15歳の頃に、ジャニー喜多川社長にスカウトされジャニー事務所に入所

事務所の猛プッシュがあったお陰ですぐさま大ブレイクしました。

しかし、その後の1975年4月1日にジャニーズ事務所退所を発表しました。

当時の表向きな退所理由は、”方向性の違い”でした。

別の事務所に移籍してしまった郷ひろみさんですが、その後にジャニーズを退所した本当の理由を語るようになり、退所当時の”方向性の違い”以外にも、たくさんの理由があったことが発覚しています。

郷ひろみがジャニーズを辞めた本当の理由は社長の過度な寵愛への反発

郷ひろみさんのジャニーズ退所の表向きの事務所移籍理由は「方向性の違い」でした。

しかし、実際はジャニー喜多川社長との親密過ぎる関係性が、歯車を狂わせていたようです。

郷ひろみさんは15歳の頃にジャニー喜多川社長に気に入られ、超VIP待遇でジャニーズ事務所に入所

当時のジャニーズ事務所では異例の”ソロとしての成功”を手にするなど、まだ小さかった事務所の拡大に大いに貢献しました。

高校時代は社長が郷ひろみさんのお弁当を作るほどに、密接な関わりを持っていたとされています。

社長にとっての郷ひろみさんは、財を呼ぶ宝物であり、手塩に掛けて育てた息子でもあります。

ネット上では当時の郷ひろみさんの美しさにジャニー社長が惚れてしまい、恋愛感情を持っていたとの定説もあります。

郷ひろみさんがジャニーズ事務所に愛想を尽かした理由が親子喧嘩だったのか、恋仲の問題だったのか謎ですが、社長が亡くなった後に、郷ひろみさんは、

 要は、まだ幼かったのです。それ以外でも、考えに浅いところがあって、19歳でジャニーズ事務所を退所しました。その頃はジャニーズ事務所も本当に小さな会社でしたが、僕が出てから今のように大きくなっていきました。縁がなかったと言えば残念ですが、僕もやがて自分の至らなさに気づくことができ、双方にとっていいことだったのかなとも思います。

”自分の考えが浅かった”との言葉があるということでは、あくまでビジネスライクな理由だったと言えます。

スキルアップした郷ひろみと”しばらくは今のままでいい”ジャニーズ事務所のすれ違い

ジャニーズ事務所史上、初めてソロアーティストとして成功した郷ひろみさん。

しかし、郷ひろみさんの中では”自分は実力不足なのでは?”という不安がありました。

当時は歌やダンスのレッスンを何も受けない状態でトントン拍子にNHK大河ドラマ出演が決まり、気がつけばトップアイドルの仲間入り。

テレビ番組で共演するアーティストたちがプロらしいパフォーマンスをしてるのに対して、自分は素人当然、その現状が嫌で仕方なかったそうです。

「歌えない踊れない喋れない、こんなスキルの無い自分のままでいてはいずれ世間から見放される」

と、当時からスキルアップを意識するようになりました。

しかし、ジャニーズ事務所側は現状のままで売れているのだから、

「スキルアップを図るのは今のブームが落ち着いてからでもいいでしょう。」

と郷ひろみさんにレッスンをさせる時間と環境を与えてくれなかったそうです。

この”方向性の違い”が、郷ひろみさんのジャニーズ退所の決定打となったのです。

郷ひろみのジャニーズ時代の写真。若い頃の圧倒的な可愛さ

郷ひろみさんがジャニーズに在籍していたのは1971年から1975年の僅か4年です。

年齢にして15歳から19歳までで、10代の良き時間の全てをジャニーズに捧げたということになります。

名前/本名 郷 ひろみ(ごう ひろみ)/ 原武 裕実(はらたけ ひろみ)
出身地 福岡県
生年月日(年齢)/星座 1955年10月18日/天秤座
血液型 A型
職業 歌手、俳優、タレント、実業家
身長 176センチ
最終学歴 堀越高等学校芸能コース

ジャニーズに在籍していた10代の郷ひろみさんを振りかってみましょう!

若い頃の郷ひろみの醍醐味は”美少年”!楽曲「男の子女の子」が大ヒット!

郷ひろみさんといえば、歌手のイメージが強いです。

しかし、15歳でジャニーズに入所し、デビューのお仕事は俳優業でした。

1972年放送のNHK大河ドラマ「新・平家物語」で平清盛の弟、経盛役で俳優としてもデビューを果たしました。

そして、同年に「男の子女の子」をリリースし、歌手デビューも果たしました。

「男の子女の子」はオリコン週間チャートのベストテン入りを果たすなど大ヒットを記録しました。

1973年の17歳の頃には「裸のビーナス」をリリースしました。

「裸のビーナス」で第4回日本歌謡大賞・放送音楽賞を受賞しました。

1974年の18歳の頃にはドラマ「ちょっとしあわせ」でドラマ初主演

ドラマの主題歌である「よろしく哀愁」も郷ひろみさんが担当しました。

この「よろしく哀愁」で、郷ひろみさん自身初となるオリコン週間チャートの第1位を獲得しました。

この頃にはプロマイド写真の年間売上の上位常連となっており、西城秀樹さん、野口五郎さんと共に3代アイドルとして数えられました。

↑以上が、郷ひろみさんのジャニーズ時代の画像です。

翌年1975年の19歳の頃に、ジャニーズ退社という流れになります。

”郷ひろみの若い頃=ジャニーズ”は間違い。20代からは他事務所

若い頃の郷ひろみの写真=ジャニーズ時代だと勘違いされる方が多いです。

しかし、実は在籍していた年数が僅か4年と短く、間違っていることが多いです。

基本的に20代に入ってからの郷ひろみさんはジャニーズとは一切関係ありません。

勘違いしないようにしましょう!

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