矢沢永吉の初婚の元嫁/すみ子と3人の子供。離婚理由は現在の妻/マリアと不倫

昨今、ミュージシャンの不倫報道が相次ぎ、過去の大物ミュージシャンの不倫や離婚報道が掘り起こされることが増えました。

ミスチルの桜井さん、GLAYのTERUさん、B'zの松本孝弘さん、名前はあげたらキリがありません。

かなり大胆な不倫をしていたにも関わらず、あまり名前が上がらないのが不思議な矢沢永吉さん。

実は矢沢永吉さんは80年代に既婚者でありながらも他所で女性を作り、さらには離婚する前に愛人との間に子供を生まれているのです。

まず、矢沢永吉さんの初婚の嫁・すみ子さんについて振り返ってみますが、基本的には矢沢永吉さんにとって最初の嫁・すみ子さんとの思い出が最も美しくロマンチックなように思えます。

10年以上の長い結婚生活の中で3人の子供に恵まれ、仕事も順調だったはずなのに、なぜ愛人を作り、子供を産ませるようなことをしてしまったのか・・・。

矢沢永吉と1番目の嫁・すみ子との馴れ初め。出会いはディスコ。最初の結婚へ

矢沢永吉さんと最初の嫁「すみ子」さんが出会った時期は、矢沢永吉さんがまだ22歳で、まったく無名の時代でした。

すみ子さんは矢沢永吉さんよりも3歳年下ということで、出会った当初は10代の女性です。

馴れ初めは矢沢さんがキャロルより前に所属していたバンド「ヤマト」で、毎日演奏していたディスコ「グルッペ」に、すみ子さんがお客さんとして来たことです。

当時、矢沢さんは4日に1度、女性を変えるほどのモテぶりだったのですが、ディスコ「グルッペ」で演奏していたところ、お客として来ていたすみ子さんに一目惚れされし、すぐに声をかけて交際に至ったのです。

ディスコに来たマブイ女 それが女房だった

結婚前提でつきあってくれ 出会ったその夜に言った 同棲が始まった

と、出会ってその日に結婚を前提として交際を申し込み、同棲が始まったというから驚きです。

毎日違う女と遊んでた矢沢さんそこまいうのだから、それほどにすみ子さんは魅力的な女性だったということです。

出会って2ヶ月後には、すみ子さんが実家を出て、二人でアパートを借りて同棲を開始し、出会った同年の1972年に結婚されたのです。

当時は結婚式を挙げたり、結婚指輪を購入するお金の余裕がなく、矢沢さんのお母さんから結婚指輪を贈られたそうです。

(ちなみに矢沢永吉さんとジョニー大倉さんが出会った場所も、すみ子夫人と同じくディスコ「グルッペ」でした。)

矢沢永吉が回想する元嫁・すみ子との交際同棲と新婚時代の苦労と幸せ

すみ子さんは銀行員の仕事をしており、結婚と同時に仕事を辞めて専業主婦になっています。

1972年の売れない時代にすみ子さんと結婚した矢沢永吉さん。メジャーデビューすらしてない時期で、金銭的に苦しい時期でありました。

ベストセラーにもなった矢沢永吉さんの著書の「成り上がり」ではすみ子さんとの出会いから、苦しくも愛に溢れ楽しかった下積み時代について綴られています。

「できれば、ぼくは何度も何度も戻りたいと思った。 いま振り返ったら、まだ川崎に住んでいたとき、 すごい人間らしさがあったねキャロルをつくる前に女房とふたりで アパートに住んでいてね。どさんこラーメンに行くのが 唯一の楽しみで…それで浮島というところが川崎にあってね そこへ二人でボンゴに乗って夜景を見に行って帰ってくる。 その時に長男がお腹に入っていたね。あの時代…。 この前も女房と話してたんですけど、あの時代が結婚して 最高の時だったね。悲しい話だけど…。」

お金がない時代だったのにも関わらず、共働きを選択しなかったのも時代ですかね。

川崎の家賃17000円の小さなアパートで新婚生活を送ったのですが、当時は契約書を読み込み、印税を細かく計算して収支を考え生活していたのです。

当時はキャロルの他のメンバーは都内のそれなりのマンションで毎晩酒を飲んで楽しく暮らしていたそうですが、矢沢永吉さんはすぐに子供3人が生まれた矢沢さんは家に帰り、家族と寄り添って生活していました。

矢沢永吉さんは自分が幼少期に親からの愛に恵まれなかったということで、普通の温かい家庭に憧れていたそうです。

若い頃からレコード、ステージ、そしてファミリーを大切にすると誓ったそうです。

その後に巨額の詐欺被害などもあり、夫婦仲は割れてしまいますが、後に矢沢さんは前嫁のすみ子さんと3人の子供たちに対する後悔の気持ちをインタビューで語っています。

矢沢永吉と元嫁・すみ子の子供。離婚理由は愛がなくなった。愛人(不倫)マリアの存在

一般人のすみ子さんは矢沢永吉さんと結婚した後も「仕事を家庭に持ち込まない」「朝8時に家を出て、夕方6時に帰ってくる男と結婚したかった」と語るように、普通の家庭を望んだそうです。

矢沢のお母さんがすみ子さんに買った結婚指輪も、初めて「リブ・ヤング」に出演が決定した際の衣装を買うために、指輪を一時的に質屋に入れていたこともあったそうで、それほどにすみ子さんは矢沢さんの夢を健気に支えました。

1972年に結婚して、矢沢さんはキャロルでブレイクし、ソロとしても大成功を収め、私生活では子供3人の恵まれ幸せな結婚生活を送っていました。

新婚時代は普通の家庭のお父さんらしい振る舞いができましたが、売れて忙しくなった瞬間に仕事で大忙しになってしまたそうです。

家でずっと曲を作る矢沢さんの姿を見て、嫁さんも心が離れてしまったそうです。

後に矢沢さんが離婚の理由に「愛がなくなったから」と発言しています。

家族をバラバラにした35億の借金

また、オーストラリアで計画していた事業関係で多額の投資をし、結局それが詐欺だったということで35億の借金を背負ってしまい、その頃に矢沢さんは家に帰らずお酒に依存する毎日でした。

1977年、飲み歩いてる頃に出会ったのがモデルのマリアさんです。(現在の嫁)

矢沢さんとマリアさんはすぐに不倫関係となり、すみ子さんと子供の家庭は事実上崩壊状態になりました。その挙句に愛人・マリアさんとの間に1985年に子供が産まれてしまっています。

最初の嫁・すみ子さんとは結局1989年に離婚が成立してます。その1年後に矢沢さんはマリアさんと再婚してます。

すみ子が死去?3人の子供の現在。名前は長男・栄一郎、次男・寛十郎、長女・綾子。

すみ子さんとの間にも三人のお子さんがおり名前は、

長男は栄一郎さん、

次男は寛十郎さん、

長女は綾子さんです。

「GALLANTMEN」11月号にて第三子の娘が生まれた瞬間のことを答えていました。

「長男の栄一郎、次男の寛十郎の時も嬉しかった。でも、娘って聞いた時、異常に嬉しかった。何でだろう?娘抱いてさ、俺、いったよ。『お前は今日から矢沢家の一員だ』って」

初めての娘だったということで、とても興奮したそうです。

せっかく家族5人で幸せな毎日を送っていたにも関わらず、お金のことで生活が荒れ、最後は家庭が破綻してしましいました。

矢沢さんは当時のことインタービューで「後悔している」と話してます。

女房や子供たちにずっと懺悔しています。夢と健康と パワーだけで走ったときに、すごい大きな力で 僕を受け止めてくれたのは女房ですよ。僕はすごく女房に 感謝している。その時、何かわからないけれど、ぼく自身の 中で新しい矢沢永吉ができていたんだよね。

支えてくれたすみ子さんとその子供と過ごした時間が好きだったとはっきりと発言されており、さらには書籍では子供たち全員の名前を書いて父なりのメッセージを添えていました。

自身が厳しい幼少期を過ごしたということで、父親として失敗したことが、とても悔しかったみたいです。

前嫁のすみ子と3人の子供の現在。慰謝料と矢沢永吉の会社役員として関わり

最終的には不倫が原因ですみ子さんとは離婚し、矢沢さんは慰謝料をポルシェ3台分払ったそうです。

ポルシェ3台ということはどんぶり勘定でも約6000万円ほどを支払ったとされています。

また、離婚後も元嫁・すみ子は矢沢永吉さんの経営する会社の役員でした。

さらに、すみ子さんとの間に生まれた長男か次男のどちらかが矢沢さんのライブDVDを制作している会社に勤めていたそうです。

つまりは離婚後も関わりは途絶えておらず、矢沢さんは矢沢さんなりの形で繋がりを持っていたということです。

矢沢すみ子が2009年頃に死去?当時、矢沢はメディアを避けライブ時期をズラす。

矢沢永吉さんの最初の嫁さんである矢沢すみ子さんですが、2009年頃に死去されたと噂になりました。

正式に公表はされていませんが、事実であれば58歳と若い時期なので、何か変わった病気か事故かもしれませんね。

長く話題になっていないので、ただの噂ではないのは確かです。

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