矢沢永吉は在韓?実家の母と出身地。両親不在の生い立ち。実際の身長体重と今

日本を代表する人気ロックシンガーの矢沢永吉さん。

矢沢永吉さんの魅力といえば、悲しい境遇を乗り越えて成り上がったというストーリー性ですね。

子供の頃に両親を亡くして、親戚の元に預けられ大変苦労されたそうです。

幼少期のことや自身の生い立ちに関しては本人が書籍で赤裸々に明かしています。

ただ、実際の矢沢永吉さんの境遇に対して、ネット上ではさまざまな憶測が出ています。

代表的な噂は在韓で帰化したという話や、実際は公表身長よりも小さいというような話ですね。

仮にそのような嘘をつくのであれば、そもそも生活保護なども隠すと思うのですが。

今日は在日や身長のサバ読みの噂について掘り下げて書いてみたいと思います。

矢沢永吉の悲惨な生い立ち。子供の頃に母が蒸発し父親1人で育てるが死去

矢沢永吉さんは広島県広島市南区仁保出身です。

生年月日は1949年9月14日生まれと、戦後の広島で生まれました。

生まれ3歳の頃に母親が父と矢沢さんを捨てて蒸発してしまい、その後は父の手1つで育てられました。

父子家庭でありましたが、父親は1945年の広島原爆の被爆者で、矢沢さんが小学3年生の頃に、原爆の後遺症で亡くなってしまいました。

矢沢永吉さんの父親は戦前は自転車屋を営むお金持ちでした。立派な家に住む従業員も8人雇うほどに余裕があったそうです。

しかし、父は戦争で家も仕事も失い、さらには当時の嫁と息子と娘の3人も失ってしまいました。

矢沢永吉さんは父親にとっては再婚相手の息子でありました。

父の思い出としては、戦争の辛い思い出をお酒で逃げ荒れた生活を送っていたそうです。それでも自転車を買ってくれて、それが近所中で話題となって皆んなが自転車に乗せてくれとせがみに来た、いい思い出もあるそうです。

矢沢永吉さんは父親が死去した後は、親戚の家をたらい回しにされたそうです。

広島市立大芝小学校
⇒広島市立中広中学校
⇒広島電機大学附属高校(現・広島国際学院高校)
⇒市立広島工業高校の定時制に転校後卒業

矢沢永吉は幼少期に親戚と生活保護で暮らしていた。「つまらない」が口癖

父親が他界した後は親戚中をたらい回しにされた矢沢永吉さん。

父方の祖母に育てられますが、生活保護で暮らしていた為、厳しい貧困生活が待っていたそうです。

矢沢永吉さんの小学校時代はいつも空腹だったそうです。

学校の遠足の時もリュックサックが買えず、新聞紙で作ったリュックサックを持って行ったそうです。

運動神経は良かったものの、お金が掛かる為にスポーツにも参加できず、野球のルールさえ知らなかったそうです。

また、海水パンツも買うことができなかったため海にも行くことができず、川で泳ぐのが唯一の遊びだったそうです。

矢沢さんは遠足の時の持ち物や、月謝の支払いの滞納などから、小学校低学年でありながらも自分が貧乏であることに気づきショックだったそうです。

給食ただで食べさせてもらって、教科書ただでもらったあの時のこと忘れない。こんな屈辱は無いと思ったからね。生活保護を受けている子は、給食の、食事を作っているとこ、あれの裏口まわってから、牛乳とパンもらうんだよ。

これ、乞食じゃん。ふざけんなよ、と思ったよ。ああ、絶対これ上に行かなきゃダメなんだ、と思った。これ、小学校6年ぐらいで、それ思わせてくれたんだよ。

と、自身の書籍の中で給食代や教科書代もすべて免除されていることが悔しかったことを綴っています。

矢沢さんのお金を稼ぎたいという野心は、小学校低学年の頃から植え付けられていたということですね。

そして、父親になった時には、お金のことで苦労はさせたくないとの記述もあります。

自分が親になったら、息子の給食費や教科書代は絶対払ってやると誓っていましたよ。

また、当時は子供ながら毎日が面白くなく、「つまらない」が口癖だったそうです。

ロックミュージックという楽しくて刺激のあるものに惹かれたのは必然的だったのかもしれませんね。

当時「つまらない」ばかり言う矢沢少年に対して、おばあちゃんは泣きそうな顔をして「面白いところに行け」と言ってたそうです。

祖母も可愛い子供に何もしてあげれなくて悔しかったことでしょうね。

矢沢永吉はクリスマスに顔にケーキを投げつけられる

矢沢永吉さんの幼少期の悲しいエピソードの代表として、友人に貧乏を馬鹿にされて顔にケーキを投げられた話がありますね。

ある年のクリスマスイブの日、矢沢さんが近所の土手で遊んでいると、鉄工所の息子がデコレーションケーキを舐めながら持って来て、

永吉、きょうはクリスマスイヴだけど、おまえの家はこういうの食えないだろう。欲しいか。ちょっとなめさしてやろうか?

と挑発してきたそう。当時の矢沢さんは子供なので純粋な気持ちで「うん、なめさして、なめさして!」と言い、その息子は「そうか、なめたいか」とケーキを矢沢さんの顔めがけて投げたのです。

その時のことを矢沢さんは、

その時、オレがどうしたと思う?「てめえ、この野郎」と殴りかかる?いや、ちがう。世の中って劇画じゃないんだ。オレは口惜しかったから、すぐにはなめなかった。けどそれをなめたんだ。落ちないでくれ、頬っぺたから。落ちないでくれさえすれば、あいつがいなくなってからなめられる。そいつが横を向いてる時に、舌をのばしてなめた。

と、そんな状況でもケーキを舐めたい気持ちがまさっていたそうです。

ちなみにこの鉄工所の息子は、意地悪で甘えん坊な嫌なやつでしたが、子供の頃の矢沢さんにとってはうらやましい存在。しかし、それから約10年後にその鉄工所の息子の家は倒産したそうです。

その息子がみすぼらしく歩いている姿を目にし、「ざまみろ」と思われたそう。矢沢さんは後に「バチが当たったんだろうね」とおっしゃっていました。

矢沢永吉に在韓疑惑?朝鮮名から帰化?官報で本名「趙永吉(チョ ヨンギル)」通り名「巴山永吉」が発覚?

古くからネット上で矢沢永吉さんが”実は在日で帰化した”という噂が広まっていました。

噂では矢沢さんは在日韓国人で、本名は「趙永吉(チョ ヨンギル)」、通り名は「巴山永吉」

昭和53年6月8日に帰化して日本国籍を取得とのことでした。されたと言われています。

官報にも1978年(昭和53年)6月8日に帰化して日本国籍を取得したと記載があると言われています。

ネット上では官報の画像が出回っているので、一度みかけたことがある人もいると思います。

ちなみに在韓というのは、

「第二次世界大戦前の日本の朝鮮支配の結果、日本に渡航したり、戦時中に労働力として強制連行され、戦後の南北朝鮮の分断、持ち帰り資産の制限などにより日本に残留せざるを得なくなったりした朝鮮人とその子孫。韓国籍をもつ者と朝鮮籍を持つ者とを併称する場合は、在日韓国・朝鮮人という。」

ということで、当時は矢沢さんの地元では珍しくないことだったので、その噂は本当っぽく広がったのです。

実際に帰化したとの記載のある官報の画像も出回っていますが、実はこの写真ごと偽物で在日の情報はデマの可能性が高いとされています。

矢沢永吉が韓国人である噂に嘘の可能性。1978年より前にパスポート取得しパリに

昭和53年6月8日の官報にて、矢沢永吉さんが在韓で帰化したとの情報が載っているとされる官報の画像。

こちらの画像自体が偽物の可能性が高いのです。

写真のデータが正しければ、矢沢さんは1978年(29歳)に日本国籍を取得したことになります。

しかし、矢沢永吉はその4年前の1974年に仕事でパリに行っています。また1年前の1977年にはアメリカで現在の嫁のマリアさんと出会っています。

つまり、帰化した1978年よりも前にパスポートを発行し、海外に行っていたということです。

もし当時在日韓国人であれば航空券の予約は朝鮮名である必要があり、さらに外国人登録証を携帯しなければなりません。

当時の矢沢永吉さんは日本人として普通にパスポートを取得してパリやアメリカに飛んだことがわかっており、1978年に帰化したとの情報は辻褄が合わないのです。

多くのファンの間では、この有名な官報の画像はねつ造だと言われています。

矢沢永吉のバイクの免許は純粋な日本人でないとありえない

他にも矢沢永吉の国籍が韓国ではないことを証明としてバイクの運転免許証があります。

矢沢永吉の免許証は写真集などで公開されている他、赤坂にあるオフィシャルショップ「DIAMOND MOON」でも展示されています。

矢沢さんは高校時代からバイクに乗っており、当時からの免許証が日本国籍なのです。

運転免許証は在日韓国人であれば朝鮮名と朝鮮籍が記載されるので、この当時の免許が日本国籍の時点で在日ではないことが証明されます。

また、帰化は20歳以上の成人にしか認められていないため、高校時代の免許証が日本国籍というのはこれ以上ない強すぎる証拠であります。

矢沢永吉が在日だと疑われる理由はジョニー大倉と実家の場所?

どうみても日本人らしい顔立ちの矢沢永吉さんですが、なぜ在日だったという疑惑が出たのでしょうか?

シンプルに矢沢さんのことが気に入らない人が画像を作成して陥れようとしたというのが一番の理由だと思いますが。

それ以外で考えらるのは、矢沢永吉さんが在籍していたバンド「キャロル」のメンバー・ジョニー大倉が在日だったことで、その印象がかぶってしまった可能性があります。

そして、矢沢永吉さんの出身地の広島市南区仁保が、歴史的に在韓との関わりが深い土地であることも関係してると思います。

矢沢永吉の在韓疑惑の発端?実家の母や親戚のエピソード

矢沢永吉さんは広島県の出身で、広島市南区仁保に生まれました。

実家の場所も、広島県広島市仁保(現在の広島市南区)にあります。

この広島市には終戦後から多くの韓国人が移住するようになり、その多くが重工業や商業といった職業に従事していました。

矢沢さんの実家がある広島市南区にはコリアン・タウンと呼ばれるほど韓国系の移民が多く住んでいた背景があります。実家は戦前から同じ場所にあるということで、実家の住所も韓国人説の原因になっていると考えられます。

矢沢永吉が中国人という噂は絶対に嘘

在韓疑惑の他にも、中国人疑惑もふわっと出たことがあります。

きっと矢沢永吉さんが地元を離れた後に横浜で音楽活動を開始し、横浜中華街で働いていたことがあったから、そのような印象に繋がっているのかと・・・。

その思い入れから「チャイナタウン」という曲があったり、代表曲「止まらないhaha」のMVのロケ地に中華街を出したりしてます。

だからと言って中国人であることは絶対にありえません。

矢沢永吉は身長をサバ読んでる?実際の背と体重

メディアの印象だけでなく、過去のプロモーションビデオで出演する外人女性に小柄な子ばかり、コンサートのバックバンドの外人も小柄、ステージでピンで出ることが多く周りに人がいない、などもサバ読み疑惑の発端になっているそうです。

昔にとんねるずの[食わず嫌い]に出た時は、身長の高い2人の近くに行かなかったなども言われてましたね。

また、コンサートに行った人の口コミで、”前から5列目の席で矢沢を見ましたが、僕より(178センチ)明らかに低いです! ”という意見もありました。

でも、背の高い人と並んだ画像などネットで探せばいくらでも出てきます。

180センチのイチローさんとほぼ一緒です。

イチローさん以外にも洋楽アーティストなどと並んだ画像もありますが、矢沢さんは普通に180センチ前後はある印象であります。

なぜ、一部では矢沢さんが身長をサバ読んでると思われているのか・・。

ただ、実際の身長は180センチもないのは事実だそうです。実際は公表よりも0.5センチ低いそうです。

実際の矢沢永吉の身長は170後半?0.5センチサバ読み

そうなると、確かに0.5センチほどサバ読んでることにはなりますね。

また、60代男性で平均2cm背が縮むといわれているので、現在の矢沢永吉さんの身長は177.5センチかもしれませんね。

人は歳を取ると膝の軟骨が磨り減ったり背骨が猫背気味になったりもし、印象も変わるそうです。過去に腰に病気があったとも言われていますし。

おすすめの記事