矢沢永吉の現在の嫁・マリアに離婚歴?不倫/愛人関係と馴れ初めと子供

私生活が謎に包まれている矢沢永吉さんですが、実はプライベートでは現在の嫁・マリアさんは2人目です。

売れる前に知り合い結婚したすみ子さんとは、現在の嫁・マリアさんとの不倫関係が原因で離婚し、その後に矢沢さんはマリアさんと再婚したのです。

波乱万丈な矢沢永吉さんのキャリアですが、その中でも大事な位置を占めるのは現在の4歳年下の嫁・マリアさんだと言われてます。

今日は矢沢永吉さんとマリアさんの出会いから不倫関係、子供の出産、再婚、そして現在をまとめてみたいと思います。

矢沢永吉と現在の嫁・マリアとの馴れ初め。不倫・愛人として前妻と子供を捨てた

矢沢永吉さんは1972年の下積み時代に前嫁・すみ子さんと出会い、同年に結婚してます。

前嫁・すみ子さんとの間に3人の子供が生まれ、仕事も順調でありましたが、1977年か1978年に現在の嫁のマリアさんと出会い、不倫関係となってしまいます。

矢沢さんとマリアさんの馴れ初めは、矢沢さんが海外活動をしている時、ロサンゼルスで(1977年か1978年)で知り合ったとされます。

知り合った当時のマリアさんはモデルをしており、アメリカ人クォーターというだけありスタイルも顔も美しく一目惚れだったそうです。

当時の矢沢さんは多忙な毎日に精神的に疲労しており、強くて自立したマリアさんに魅力を感じ、入り込んでしまったのです。

1979年に発表された「過ぎゆくすべてに」という曲の歌詞の中でマリアさんの名前が含まれており、さらには6年後の1985年にはマリアさんとの間に子供が誕生したのです。

上記のすべては前嫁・すみ子さんとの離婚が成立する前だったということで、矢沢さんはすみ子さんと離婚する際に、ポルシェ3台分(6000万ほど)の慰謝料を払ったとされます。

マリアが35億借金苦の矢沢永吉を支えた

矢沢永吉さんがマリアさんに入れ込んでしまった理由の1つに、当時、巨額の詐欺被害に遭ってしまい、35億という借金を背負って苦しんでいたという背景もあります。

詐欺事件が世間に知られたのは1998年でしたが、実際に詐欺が発覚したのは10年以上前で、ちょうど矢沢さんとマリアさんの不倫関係が本格的になった時期でした。

矢沢さんは35億の借金を背負った瞬間「終わった」と思ったそう。お酒に逃げる毎日だったそうです。

しかし、そんな時期にマリアさんは矢沢さんに対して、

お酒もいっぱい飲んだでしょ?飽きたよね?たしかに大変な額だけど、矢沢永吉が本気を出したら返せないお金じゃないから

と矢沢さんを励まし、矢沢さんもマリアさんの励ましの言葉に対して、

これは映画だと思えばいいや

と開き直り、それから10年以上もの間、凄まじい量のライブ本数をこなし、メディア出演も重ね、借金発覚から15年ほどで35億を返済したのです。

ちなみになぜ、マリアさんは元モデルというだけあって、これほどにも勇敢で前向きな女性だったのか?

実はマリアさんも若くして実業家として苦労しており、矢沢さんと同じくバツイチと波乱万丈な人生を乗り越えて来た女性だったのです。

矢沢永吉の嫁・マリアにも離婚歴?前の旦那は熊谷登喜夫(ファッションデザイナー)?

矢沢永吉さんは1989年に17年連れ添った嫁・すみ子さんと離婚が成立。

そして1年後の1990年に現在の嫁・マリアさんと無事に再婚します。

矢沢さんとマリアさんはアメリカ・カリフォルニア州のサンタバーバラで結婚式を挙げられています。

矢沢永吉さんのマリアさんとの不倫関係は当時の週刊誌にもしっかり書かれていました。

不倫関係が始まったばかりの1981年頃から週刊誌にマリアさんとのことは書かれていましたが、当時はあまり具体的にどのような女性だったかは謎でした。

しかし、矢沢さんと結婚したことで周囲から多くの情報が漏れ、週刊誌に載ったのです。

まず、驚くべきはマリアさんも元々は離婚歴のある方だったということです。

時期次第では矢沢さんとダブル不倫だったということになります。

マリアは矢沢との不倫報道の際に28歳モデル美人実業家と書かれる

1980年時点で週刊誌が報じたマリアさんの情報は元モデルで都内にあるフランス料理を経営する28歳の若い実業家ということです。

当時の週刊誌の記事によると、マリアさんはファッション界の仕事に携わっている方と結婚しており、その方と離婚した後に、都内で高級フランス料理店の経営を始めたそうです。
マリアさんの前夫は、ファッションデザイナーの故熊谷登喜夫氏だと噂されております。
そして過去の矢沢さんの発言から、フランス料理は共同で、他でやっていた中華料理のお店もマリアさんと共同なのでは?と言われています。

矢沢永吉とマリアの間に生まれた子供は3人。名前は洋子、優輔、大輔?

矢沢永吉さんは前嫁・すみ子さんと離婚する前に、すでに愛人関係だったマリアさんとの間に第一子の娘が誕生してます。

娘の名前は「洋子」で、現在歌手として活躍しており共にプレモルのCMで共演して話題になりましたね!

前嫁と離婚する前に誕生してしまったマリアさんとの間の長女・洋子さんですが、矢沢さんは月刊PLAYBOYのインタビューで当時の心境を、

「東京に帰ってきて初めて抱いた時に思った。ああ、よく生まれてきてくれたと。その時、いましばらくは大変な思いをさせるけど、必ず矢沢の姓にさせるからと思ったよ」

生まれる前はとても怖く、逃げたい気持ちだったそうですが、いざ抱っこしてみると、娘のためにも現状打破しないといけないとエネルギーがみなぎったそうです。

ちなみに洋子さんが生まれた1年後の1986年にリリースしたアルバム「東京ナイト」に収録された曲では洋子さんの名前を含む曲もあったそうです。

その後にマリアさんとの間に男の子2人が生まれています。

マリアさんとの間の長男と次男は一般人なので名前は公表されていませんが、慶應や早稲田に進学し良い仕事に就いてるそうです。

ネット上では長男が「優輔」で、次男が「大輔」との噂がありますが、あまり信憑性はありません。

矢沢永吉は前嫁・すみ子と3人の子供も大切にしていた

1989年に前嫁のすみ子さんと離婚した矢沢永吉さんですが、その嫁さんとの間には3人の子供が生まれていました。

側から見ると嫁と3人の子供を捨て、他で女と子供を作ったとんでもない男のように見えますが、それは矢沢さんも言い訳せずに自覚してるみたいです。

過去の矢沢さんは、

女房(すみ子さん)や子どもたちにずっと後悔しています。夢と健康とパワーだけで走った時に、すごい大きな力で僕を受け止めてくれたのは女房ですよ。僕はすごく女房に感謝している。その時、何かわからないけれど、僕自身の中で新しい矢沢永吉ができていたんだよね。

できれば、僕は何度も何度も戻りたいと思った。いま振り返ったら、まだ川崎に住んでいた時、すごい人間らしさがあったね。キャロルを作る前に女房と二人でアパートに住んでいてね。どさんこラーメンに行くのが唯一の楽しみで・・・

それで浮島というところが川崎にあってね。そこへ二人でボンゴに乗って夜景を見に行って帰ってくる。その時、長男がお腹に入っていたね。あの時代・・・この前も女房と話してたんですけど、あの時代が結婚して最高の時だったね。悲しい話だけど・・・

と答えています。

初婚の嫁さんに支えられたこと、お金がなかったあの頃が楽しかったこと、子供たちのために懸命に働いてサクセスしたことなど、矢沢さんにとって前の家族も誇りなのでしょう。

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