元アイドル歌手の河合奈保子さん。
河合奈保子といえば、80年代から90年代までに活躍され、その後は作曲家・女優としても活動されていました。
デビュー当時は西城秀樹の妹というキャッチフレーズで世の出ました。
期待の新人としてキャリアを始め、期待通りに昭和の終わりを彩る活活躍をされました。
アイドルを引退した後は結婚し、2人の子供を出産し、娘も歌手として活動されました。
今日は河合奈保子さんの若い頃のアイドルとしての姿と、結婚した旦那と誕生した息子・娘の現在について書いてみたいと思います。
若い頃の河合奈保子の美しさ!昔のアイドルの中では圧倒的な愛嬌。スカート事件は本当?
都会的なイメージのある河合奈保子さんですが、実は関西出身のアイドルです。
また、妹っぽい愛嬌が魅力の彼女でありましたが、3歳年下の妹がいる長女であります。
活動名 | 河合奈保子 |
本名 | 金原奈保子 |
生年月日 | 1963年7月24日 |
出身地 | 大阪市住吉(現・住之江区) |
血液型 | O型 |
身長 | 160センチ |
出身小学校 | 大阪市立砂浜小学校 |
出身中学 | 大阪市立住吉第一中学校 |
出身高校 | 私立大阪女子学園高等学校(現:大阪夕陽丘学園高等学校)→明治大学附属中の高校定時制 |
活動期間 | 1980年〜1996年 |
基本的に生まれも育ちも大阪ですが、転勤族の父の影響で、幼少期には東京に住んだこともあります。
小学生の頃からピアノを習い、音楽のスキルを磨きました。
子供の頃の夢は保母さんで、近所の小さな子供と遊びのが大好きだったそうです。
河合奈保子の若い頃。素人の高校生時代にオーディションで見出され西城秀樹の妹としてデビュー
河合奈保子さんは中学2年生の秋、多くのスターを輩出した伝説のオーディション番組「スター誕生!」に応募するも書類選考で落選。
高校1年生の時、「HIDEKIの弟・妹募集オーディション」に応募、大阪選考の段階で落選しますが「この子もすごいいいんじゃないの?」と、本来は定員1名だったところ、特別枠として最終選考に進み、決勝大会で見事優勝を勝ち取ったのです。
西城秀樹の妹分として雑誌で紹介されていましたが、デビューする前から既に完成されたビジュアルでありました。
グランプリを獲得した後は、東京の高校に編入し上京。
厳しいレッスン漬けの毎日を過ごし、1980年6月1日に「大きな森の小さなお家」でアイドル歌手としてデビューを果たしました。
デビューしたのは16歳の頃でした。
ちなみにデビュー前に左右にあった八重歯の左を抜歯し、右だけを残しチャームポイントを調整したそうです。
歯を狙って調整した甲斐もあってか、アイドルデビューした当時のキャッチフレーズは、「ほほえみさわやか カナリー・ガール」でした。
1981年の18歳になった頃には「スマイル・フォー・ミー」で第32回NHK紅白歌合戦に紅組のトップバッターとして出場を果たしました。
河合奈保子の若い頃。20代はグラビアも人気!作曲家としての才能も開花
10代の頃に人気アイドルの座に昇り詰めた河合奈保子さん。
20代になるとグラビア、作曲、ラジオDJ、女優、声優と多方面で才能を発揮しました。
グラビアに関しては10代の頃から作品を出していましたが、当時は自分に自信がなく、消極的なオーラがありました。
しかし、20代になると一気に洗練され、写真集はグラビアモデルを本業にしてる女性を超える売上でありました。
何よりも驚きなのは、アイドルにして、若くして”作曲家”として活躍されていたことです。
21歳だった1984年発表のアルバム『DAYDREAM COAST 』では録音から制作に参加、1985年のベストアルバム『NAOKO 22』のボーナストラックという形で自作曲を発表、23歳になった1986年には初の全作曲オリジナルアルバム『スカーレット』を発表しました。
また、21歳からラジオパーソナリティとしても人気者になりました。現役の芸人さんとの掛け合いをしっかりこなし、内容は常に充実していました。
22歳の1985年のアニメ映画『ルパン三世 バビロンの黄金伝説』では主題歌と共に声優として出演。
26歳になった1989年には、ミュージカル『THE LOVER in ME 〜恋人が幽霊』に出演し、同作品では作曲も担当し、女優・作曲の2つの才能を見せしめました。
若い頃の河合奈保子の衣服ハプニング写真は合成?
河合奈保子さんの若い頃の写真で、歌唱中にベルトが外れるハプニングシーンがあります。
この写真を巡っては、合成なのか、本当なのか、当時のファンの間でちょっとした論争になっていました。
正確な時期はわかりませんが、まだ新人だった頃の彼女が池袋西武でキャンペーンとして歌唱していた時の写真です。
ネット上には、彼女の肌着らしき衣服が見えてしまっているシーンの写真が出回っています。
色々と調べてみると、彼女が焦ってベルトを直してる姿や、ベルトが外れそうなシーンがあります。
司会の女性が彼女を心配してフォローしてるシーンがあるので、衣服がズレたこと自体は本当のようです。
ただ、ネットに出回っている写真は、見え方が露骨で不自然なので、あのワンショットに関しては謎です。
河合奈保子は現在の旦那・金原宜保との間に2人の子供を出産!育児優先で活動休止
河合奈保子さんは1991年2月6日に現在の旦那さんと結婚しました。
結婚相手はヘアメイクアーティストの大御所的存在と言われる金原宜保(たかやす)さんでした。
結婚当時の河合さんの年齢は32歳でした。
馴れ初めはCM撮影で金原さんが河合奈保子さんのヘアメイクを担当したことがきっかけだったそうです。
当時の河合さんは、
「お会いした瞬間に、今までにない光がキラッと…。“この方だな”と思いました」と一目ぼれだったことを明かし、「人を思いやる心、家族に対しても深い愛情を持ってらっしゃる」と語った。
と語っており、アプローチは河合さんからだったそうです。
河合奈保子は結婚後に歌手活動も芸能も休止
河合奈保子さんは1996年2月1日に記者会見に臨みました。
結婚相手がヘアメイクアーティストだったということもあり、金原宜保さん考案の“奈保子ちゃんカット”と名付けたヘアスタイルに、淡い黄色のスーツを合わせて登場し話題となりました。
結婚式は、結婚発表会見から5日後の2月6日に行われました。
ちなみに結婚する前年1995年のライブツアーが、彼女の実質最後の歌手活動でありました。
また、第一子を出産後は芸能活動を休止していたということで、この結婚はファンにとっては複雑なものとなりました。
河合奈保子の2人の子供。長男と長女。娘は歌手のkahoとして活動
1996年に現在の旦那さんと結婚した河合奈保子さん。
翌年の1997年には第一子の男児を出産、そしてさらに1年後の1998年には第二子の女児を出産しました。
結婚 | 1996年 |
第一子出産 | 1997年 |
第二子出産 | 1998年 |
河合奈緒さんは1997年に第1子となる子供を出産した際、
「子育てが終わるまでは仕事をしない!」
と誓ったそうです。
実際に、97年に長男を産んだ後はライブ活動もメディア出演もされていません。
2人子供を産みましたが、第二子の長女は歌手としてデビューし近況が確認できましたが、第一子の長男に関しては、生まれた年以外の情報は一切公開されていないようです。
河合奈保子の娘・kahoが14歳で歌手デビュー。学業優先で活動休止も英語力で世界で活躍を見据える?
河合奈保子さんが1998年11月1日に第二子として出産した長女。
2013年に若干14歳にして歌手デビューを果たし、世間を驚かせました。
河合奈保子さんの娘・kahoさんは2013年9月にわずか14歳で歌手デビューを果たしました。
kahoさんはお母さん譲りの美貌と独特の歌声に、当時大変な話題になりました。
芸名 | kaho(かほ) |
本名 | 非公開 |
生年月日 | 1998年11月1日 |
出身地 | 東京都(オーストラリア育ち) |
言語 | 日本語。英語。フランス語。 |
職業 | 歌手。ラジオパーソナリティ。 |
好きな食べ物 | チーズ |
kahoさんは親の影響で幼少期から音楽に近い生活を送っており、6歳頃には母親の影響でピアノを嗜んでたそうです。
9歳の時に父から貰ったボイスレコーダーに歌を録音するようになり、12歳の時から自宅に備わっていた本格的な音楽設備を用いて、本格的に作詞、作曲を開始しました。
13歳の時に、父親を通じて以前宇多田ヒカルを手がけた三宅彰氏がkahoさんのデモテープを聴いて才能に惚れ込み、ソニーミュージックとの契約にこぎつけたのです。
14歳になった2013年に、kahoさんの「every hero」が堀北真希さん主演のドラマ「ミス・パイロット」の主題歌に抜擢され、同曲で歌手デビューを果たしたのです。
甘い見た目とは裏腹に、ハスキーな歌声や歌唱力、そのギャップがすごいと話題になりました。
kahoさんはオーストラリア在住で、家の外ではほとんど英語で生活しているという背景から、「第二の宇多田ヒカル」として大々的に売り出されました。
デビューしてすぐに2013年12月26日放送の「kahoのオールナイトニッポンGOLD」(ニッポン放送)でラジオパーソナリティに初挑戦するなど、将来のスターとして期待されていました。
しかし、2015年以降は活動休止状態で、2017年12月発売の週刊誌では現在は引退状態であると書かれていました。
kahoの現在と今後の歌手活動の可能性
kahoさんの歌手活動の休止には河合奈保子さん一家のある方針が影響しているとも言われています。
「kahoさんがオーストラリア在住という物理的な問題もありますが、それよりも夫妻が娘の教育に対してとても厳しく『今は音楽活動よりもまず学業優先!』と言い聞かせているそうです。第一子を出産するにあたって、河合さんは『子育てが終わるまでは仕事をしない』と誓いました。それほど娘の教育には強い信念を持っていて、今でも娘の送り迎えは欠かさないほどだそうです」(芸能関係者)
アイドルを休止して子育てに奔走してきた河合。だからこそ、娘には「一過性の人気で終わってほしくない」という思いが強いようだ。
「『娘には日本にとどまらず、世界的アーティストとして活躍してほしい!』というのが、夫妻の願いだそうです。kahoさんはネイティブな英語も問題ないし、自宅にあるスタジオで歌う際は河合さんも聞き入ってしまうほど。将来性は高く、本格的な活動は高校を卒業してからになるでしょう」(前出・芸能関係者)
つまり、若いうちは仕事よりも学業を優先して欲しいという想いと、将来的に海外でちゃんとした形で活動をするためということです。
2017年に引退状態と報道されましたが、今後は海外で活動する可能性もあります。