斉藤由貴の可愛い若い頃(年齢24)と尾崎豊との不倫Friday。別れた理由と歌(アイラブユー)

これまでに数々の不倫騒動を起こしている女優の斉藤由貴さん。

モテるからこそ、既婚者になっても多くの男性からアプローチされますし、それだけ魅力的な女性ということです。

ちなみに斉藤由貴さんは若い頃の独身時代もモテモテで、なんとあの尾崎豊さんと不倫関係だったこともあるのです。

しかも、歩み寄りは尾崎豊さん側だったというから本物ですね!

今日は若い頃の斉藤由貴さんは可愛らしさ、美しさを振り返ると共に、当時大きなスキャンダルに発展した尾崎豊さんとのフライデーゴシップについて振り返ってみたいと思います。

若い頃の斉藤由貴の可愛さ。超絶美人でモテモテ![画像]

斉藤由貴さんは、1966年9月10日に横浜市神奈川区白楽にて、水島裁縫店の職人の父親(前職は家具職人)と、共に働く母さんの元に生まれました。

礼儀作法に厳しい父親と、束縛しない母親に育てられ、現在の律儀でありながらも天真爛漫で素敵な斉藤由貴さんが完成したのです。

子供の頃が目がぱっちりしてて可愛かった斉藤由貴さんは、幼少期からモテモテだったそうです。

斉藤由貴さんは1984年に18歳の頃に第1回東宝「シンデレラ」オーディションを受けてファイナリストまで残り、さらに同じ年に『少年マガジン』(講談社)第3回ミスマガジンでは遂にグランプリに選ばれました。

その後に芸能界デビューをすると、CM出演で「あの可愛い子は誰?」と美貌が話題になり、19歳の頃に歌手デビューを果たし35万枚のヒットを記録しました。

歌手としてブレイクした同年に「スケバン刑事」で主演を果たし、女優としての名声も手に入れました。

10代にして歌手としても、女優としても成功されたということです。

尾崎豊が一目惚れした若い頃の斉藤由貴。超絶可愛い写真!

18歳でデビューして以降、20代から後半までが”可愛さ”の全盛期であり、30代から40代までが”美しさ”と”色気”の全盛期でありました。

↓まず、可愛さの全盛期だった20代後半までの斉藤由貴さん。

↑綺麗な二重ラインに、通った鼻。

大き過ぎず小さ過ぎない口に、丸過ぎないけど尖り過ぎてない輪郭。

日本の男性が好むパーツのすべてが小さい顔に密集してるようなイメージですね。

芸術レベルに可愛い顔立ちであります。

斉藤由貴の真骨頂は30代、40代?色気と美しさ

斉藤由貴さんの”可愛さ”の全盛期は20代後半だったとしても、美しさや色気の全盛期はアラサーから50歳付近まで続きます。

第二の全盛期の斉藤由貴さんはヴィジュアルだけでなく、女優としての力が強かったことも良かったです。

↓斎藤由貴さんの色気の全盛期。

目のシワ感だったり、表情の美しさだったり、色々と完璧です。

年齢に逆らおうとしてない部分など、自信に溢れていて素敵です。

こんな美しい経年変化ができる女性はなかなかいませんね。

さすが尾崎豊さんに選ばれた女性です。

斉藤由貴と尾崎豊の不倫フライデー。馴れ初めと浮気会見。別れた理由。

斉藤由貴さんといえば、やはり90年代最初の”尾崎豊との不倫”の印象が強いです。

当時、“10代のカリスマ”として一斉を風靡した尾崎豊さんが、斉藤由貴さんと出会い、不倫関係に堕ちた経緯について振り返ってみましょう。

尾崎豊さんと斉藤由貴さんが最初に出会ったのは、1990年11月発売の雑誌「月刊カドカワ」上での対談でした。

実はこの対談、尾崎豊さんが辛い時期に斉藤由貴さんのグラビアに救われたとして、尾崎豊さん側から望んで実現した対談だったのです。

対談をきっかけに意気投合した2人が、その後まもなく不倫関係となりました。

月刊「カドカワ」が発売されたわずか2ヶ月後の1991年1月に、尾崎豊さんと斉藤由貴さんが北海道で仲睦まじく肩と顔を寄せ合う姿を一般人に撮られてしまいます。

その後、その写真が同年4月6日発売の写真週刊誌「フライデー」に掲載されてしまいます。

尾崎さんは1988年の22歳の時に一般人女性(繁美さん)と結婚し、翌年1989年には長男(裕哉さん)も設けていた身です。

1990年当時の尾崎豊さんは”結婚したばかり”で”子供が生まれたばかり”という時期でした。

不倫報道の後に嫁の繁美さんは別居したとの話もあり、世間のバッシングは凄まじかったです。

斉藤由貴が不倫関係を認める会見。”同志”発言

妻子あるシンガーソングライター・尾崎豊さんとの不倫報道の渦中にあった斉藤由貴さん。

不倫関係が公になって約1ヶ月後の5月7日、バラエティ番組の収録のためにテレビ局を訪れた斉藤由貴さんを囲む形で、約20分間の会見が行われました。

恋愛関係については「ご想像にお任せします」と否定せず、「私もたくさん過ちを犯しています」と含みのある言葉を残しました。

斉藤由貴さんは5月3月に「昨年から会ってない」と否定していましたが、この発言がウソだったことも報道で明らかになり、不倫騒動に拍車がかかっていました。

会見で斉藤由貴さんは、

「本当のことを言ってもつまらないと思う」

「私、本当に仲良しなんです。同志みたいな感じ」

と、名言を残しています。

会見で結婚願望について聞かれると、「あるかな、ないかな」とトボけながら、「すごく素敵な人だと思うけど、簡単に(結婚)したいと思わないようにしないといけない」と、自分の立場をわきまえて、結婚を我慢してるかのような発言をしていました。

斎藤さんはモルモン教徒で有名ですが、会見では「宗教って罪人のためにあると思う。私もたくさん過ちを犯しています」「もちろんモルモン教徒じゃなくても、妻子ある人との深い付き合いはいけないと思う」と語っています。

この幸せそうな表情の会見は、当時賛否両論言われ、現在になっても伝説となっています。

尾崎豊と斉藤由貴が別れた理由。嫁と子供との幸せを選んだ?死への伏線?

この不倫騒動の果てに奥様の繁美さんと離婚話も出たと言います。

当初、尾崎豊さんの父親は繁美夫人とその家族に、「息子のために離婚させたい」と申し出ていたそうです。

離婚調停を開始したとも言われていました。

が、その後、わずか半年後には繁美さんとは関係修復

尾崎豊さんが斉藤由貴さんに一方的に別れを告げたことで、2人は破局したそうです。

斉藤由貴さんを一方的に振った理由としては、

・斉藤由貴の宗教が自分の都合に合致しなかった

・嫁と離婚すると凄まじい慰謝料を払わないといけなかった

・冷静になって嫁と子供が一番だと気づいた

・薬物で体もボロボロで斉藤由貴のことも幸せにできないと思った

↑諸説では大体これらが候補です。

尾崎豊さんは斉藤由貴さんと別れた2年後に死去してます。

その後に明らかになった遺書には「ずっと死にたかった」との言葉があり、「さようなら、わたしは夢見ます」と綴っていたことで、本当は元気な体で離婚して、斉藤由貴と幸せになりたかったのでは?という説が浮上しました。

真相という真相はわかりませんが、斎藤さんと破局した1年後の1991年にリリースした楽曲「I Love You」は、斉藤由貴さんのために作ったとの都市伝説があります。

尾崎豊の名曲「I Love You」は斉藤由貴への別れを謳った?”軋むベッド”

尾崎豊さんの名曲といえば「I Love You」です。

斉藤由貴さんとの不倫報道、破局から1年後の1991年にリリースされました。

そして、この曲をリリースした1年後に、尾崎豊さんは死去されました。

諸説では、

「斉藤由貴のために作った曲である」

「死を意識した曲である」

など言われています。

尾崎豊が斉藤由貴のことが好きなまま別れ、死を望んでいたとしたら

楽曲の歌詞の中で、

「若すぎる二人の愛には 触れられぬ秘密がある」

「ひとつに重なりいきゆく恋を 夢見て傷つくだけのふたりだよ」

とのフレーズがあります。

斎藤さんは人気女優としてイメージが大切であり、私生活では宗教に勤しんでる身。

一方の尾崎豊さんは薬物で体が機能してない状態で、好きだった斉藤由貴さんの関係も許されない身。

この2人の境遇から辿ると、一緒になれない女性を想い、既に幸せを諦め破滅的になっている心境が伺えます。

遺書にあった、「さようなら、わたしは夢見ます」という言葉と、曲の歌詞の「夢見て傷つくだけのふたり」「それからまた二人は目を閉じるよ」というフレーズもうまく噛み合ってるように思えます。

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