大森隆志さんは日本を代表するロックバンド「サザンオールスターズ」の元ギタリストです。
サザンが結成された当初からのオリジナルメンバーで、2001年8月7日に脱退するまで長年活躍されました。
脱退した後は目立った音楽活動はせず、2006年5月11日に嫁と共に薬物関係で逮捕されました。
その後に音楽活動を再開したようですが、メジャーな活動はされていません。
今日は大森隆志さんがサザンを脱退した理由と、その後に一緒に逮捕された嫁さん、そして子供の有無について書いてみたいと思います。
そして、大森隆志さんがどのような人物なのか?どうしてサザンいたのか?などの経歴なども書いてみたいと思います。
大森隆志は創始期のサザンに貢献した功労人。青学進学の秀才
名前 | 大森隆志(おおもり たかし) |
愛称 | ター坊 |
生年月日 | 1956年12月12日 |
出生地 | 岡山県岡山市 |
出身地 | 宮城県 |
身長 | 178センチ |
学歴 | 青山学院大学経済学部第二部 中退 |
活動期間 | 1978年 - 2006年、2007年 - |
大森隆志さんは脱退する2001年まで、サザンオールスターズのギタリストを担当された方です。
ファンの間では「ター坊」の愛称で親しまれ、現在でもサザンを語る上で”ター坊”のワードが登場するぐらい、バンドとの密接度は高いです。
桑田佳祐さんがサザンのギターを探していた際、大森さんの他に2人の候補がいたそうです。
大森さんを選んだ理由については、
1人は「チャランポランでダメ」、もう1人は「テクニックはあるけれどどうもボクよりも音楽を知ってる」といい、大森に対しては「彼はそのどっちでもない」「じゃ下手かっていうと、違う、しっかりちゃんとやってる」「本当にこいつならまかせられると思った」と述べている
と語っており、”真面目過ぎず、チャラチャラしすぎない”、絶妙なポジションだったことを気に入って加入されたそうです。
サザンのデビューのきっかけを作った男。バンドの原型作成と桑田佳祐をプロ志向に誘導
大森さんがサザンに加入したのは青山学院大学に在学してた時期です。
その時期は、桑田佳祐さんがバンドのメンバーチェンジを頻繁に繰り返していたそうです。
そんな桑田佳祐さんに対して、大森さんは「ちゃんとしたバンドを作ろうよ」と声をかけたのです。
そして大森さん自ら、元々バンドにいたベースの関口和之さん、同じ地元のドラムの松田弘さん、パーカッションの野沢秀行さん、青学の後輩だったキーボードの原由子さんが加わり、現在のサザンオールスターズの原型を完成させたのです。
また、大学生時代の桑田佳祐さんは自分の才能に気付かず、プロになるつもりはなかったのですが、大森さんが率先してバンド活動をリードしたことで心を入れ替えたのです。
大森さんがヤマハ主催のアマチュアバンドのコンテスト「EastWest」に申し込み、結果的にサザンは入賞。
そして、桑田佳祐さんは「ベストボーカル賞」を受賞したことで、本腰でバンド活動をしようと決めたのです。
ちなみに、当時のコンテストには「カシオペア」や「シャネルズ」、円広志さんなども参加しており、レベルの高い大会の中での受賞でありました。
ター坊が脱退した理由。表向きはソロ志向だが実際は宗教絡み?
サザンオールスターズと言えば、1978年のデビューから一度もメンバーチェンジをしていないという、オリジナルメンバーにこだわった友情系のバンドでありました。
よくエアロスミスと比較されていたのは、結成から同じメンバーという体制を崩さないところも理由です。
メンバーの結束が固いサザンでしたが、2001年の結成23年目にして初めてメンバーのバンド脱退騒動が起きました。
しかも、脱退したのが結成当初からバンド活動を引っ張り、デビューのキッカケを作ったギタリストの大森隆志さんだったのです。
当時の大森隆志さんは、前年の2000年末から“心身のリフレッシュ”を理由にバンド活動を休止しており、ファンの間でも脱退の噂は囁かれていました。
2001年8月に桑田佳祐さんのラジオ番組の中で、正式に大森隆志さんの脱退が発表されると、長年オリジナルメンバーのサザンを信じていたファンは大ショックでした。
大森隆志のサザン脱退の表向きの理由は”彼のソロ志向”
2001年8月に桑田佳祐さんのラジオ番組の中で、正式に大森隆志さんの脱退が発表されましたが、その中で桑田佳祐さんが語った、大森さんの表向きの脱退理由は、
「やはり彼のソロ指向が近年非常に強くなってきたということなんですよ」
「おれとしでは、まぁ23年間やってきた家族みたいなもんだから、ギター練習したりして、また戻ってくるのを待ってるからさぁ、みたいなことを言いまして、彼もまたそれを承諾してくれたんですけど……。ただ、彼の律義な性格からすると、最終的に脱退、独立という形が一番前向きな結論かなということになりました」
とのことで、
”大森さんのソロ思考が強くなった”ことが、脱退の理由として説明されました。
ちなみに、大森さんの脱退が決定するまでに、サザンの他のメンバーともミーティングを重ねに重ね、悩み抜いた結果であることを強調していました。
ファンの信頼が肝であると分かっていての、慎重な説明でありました。
しかし、一部のファンは近年のサザンや大森さんの姿を見ていて、脱退の理由は他にあるのではないか?と勘ぐっていました。
表向きな理由はソロ思考で、本当は”宗教絡み”ではないか?との声もあったのです。
大森隆志のサザン脱退の真相。本当は宗教の事情でクビ?
表向きはソロ思考が強いが故に脱退したとされていますが、実は脱退ではなく”クビ”ではないか?と言われいます。
当時の大森隆志さんの関係者が、
「じつは大森氏の九州の実家は、お母さんが創価学会の熱心な会員で、本人も20年ほど前から学会の活動に積極的に関わっていました。
初期の頃は他のメンバーたちも特に問題にしていなかったんですが、ここ数年、彼の学会への傾倒ぶりがひどくなり、音楽の練習に集中できなくなったあげく、ついにバンド活動に支障をきたすほどになって、見過ごしておけなくなったというのが真相なんです」
と言及していました。
つまり、実家の母が某宗教の熱狂的なファンだっただけでなく、当時の大森さんは宗教のトップのお気に入りの女性と再婚。
”ある時期から大森さんも信仰が強くなり、サザンの活動に支障をきたすようになった”とのことで、結果的にクビになったという事情が伺えます。
ある時期には大森さんが宗教が発行する新聞に載ったり、宗教が推す政党の応援に駆けつけ自分の歌を披露したり、信者がサザンのライブで宗教の旗を振って応援するなどしていたそうです。
ある時期に桑田さんが大森さんに注意し、大森さんが宗教に相談、そして宗教側から信者に『コンサートに旗を持っていくのはやめましょう』呼びかけてもらって、一応は収まったようです。
しかし、その後も宗教絡みの問題が収まらなかったということで、結果的にクビになったとされます。
サザン脱退の真相については”秘密守秘義務”の契約で絶対的秘密。週刊誌の取材では「墓場まで持ってく」
大森さんがサザンを脱退して20年の月日が流れた時、ある雑誌のインタビューで記者から脱退の真相について問われました。
すでに20年の月日が流れており、ネット上でも多くの憶測が流れ、大森さんも普通に教えてくると思われました。
しかし、雑誌内にて、
「ダメです。脱退した時に<秘密守秘義務>の契約を交わしていますので無理です。墓場まで持って行く覚悟ですから」
と、脱退時に交わした秘密守秘義の契約があるが故に、今後も脱退の真相については語るわけにはいかないと説明したのです。
その記事の中で、
「バカなことを言わないでくださいよ。誰よりもサザンを愛していたのは自分です。その自負は強烈に持っています。どうして自分から愛するサザンを脱退しなければいけないのですか?」
と語っており、宗教絡み以外のに噂された”バンドのやる気がなくなった”、”メンバーと不仲になった”という説は否定されました。
大森隆志の初婚は80年代。1人目の嫁・リンダとの間に2人の子供。離婚後に現在の嫁・涼子と再婚
大森隆志さんの最初の結婚は1980年代です。
初婚の相手は元「ゴールデンハーフ・スペシャル」のリンダさんです。
ハーフの女性メンバーを中心に結成されたユニットで活躍されていた方です。
大森さんの元嫁・リンダさんはベルギー出身の方で、メンバーの中でもトップを争う美貌の持ち主でした。
リンダさんは1977年11月発売の4枚目のシングル「嘘みたい!?」を最後に脱退しています。
結婚生活は長く続かず、2人の子供に恵まれるも80年代のうちに離婚しました。
離婚の理由については明らかにされていません。
リンダさんは、離婚後は大分県のOBS大分放送でリポーターなどをやっています。
リンダさんと離婚した後は、1990年代後半に現在の嫁の矢倉涼子さんと再婚しています。
大森さんとリンダさんの間に生まれた2人の子供は、その後はリンダさんが育てています。
大森隆志の現在の嫁・涼子は宗教関係の通訳として活躍。2人の子供が生まれる
1990年代後半に現在の嫁・矢倉涼子さんと再婚しました。
矢倉涼子さんは根っからの某宗教の信者で、20代の頃から創価学会の池田大作名誉会長に気に入られ、長年に渡って彼の直属の通訳を務めてきました。
宗教の代表が外国の要人と面会する時には、必ず涼子さんがぴったりと寄り添っており、当時の教団の中で彼女のことを知らない人は誰一人いないほどの超有名人だったそうです。
大森隆志さんがそんな池田氏の側近中の側近と結婚したと言うことは、学会員としてはこの上ない名誉であったとでしょう。
一部の噂によると、大森隆志さんは創価学会の広報として一定の成果を上げ、池田大作氏に評価されたため、池田大作氏のお気に入りの矢倉涼子さんと結婚できたのではと言われています。
当時の大森さん宗教内での待遇はかなり特別だったそうです。
もしかして、この結婚で学会内での地位が向上し、それが2000年代のサザンの活動内容に影響を与えたのかもしれません。
ちなみに大森さんと涼子さんとの間には子供は生まれていないそうです。
大森隆志はサザン脱退後に嫁・矢倉涼子と共に薬物で逮捕
1990年代後半に現在の嫁・涼子さんと再婚、そして2001年にはサザンオールスターズを脱退した大森隆志さん。
その後、ソロ活動を開始するのですが2006年5月11日に違法薬物所持により嫁・涼子さんとともに神奈川県警に逮捕されてしましました。
結婚後、大森隆志さんの方から違法薬物に手を出してしまったそうです。
当初、嫁の涼子さんはそれを止めていましたが、結局は2人で覚醒剤に手を染めることになってしまいました。
大森隆志さんは15年前に初めて違法薬物に手を出し、2001年から2002年にかけては継続的に使用していたそう。
一緒に逮捕された嫁・涼子さんにも使用を勧めていたそうです。
大森隆志さんが後のインタビューの中で、違法薬物に手を出してしまったきっかけと、逮捕された時の心境について語っていました。
「人にすすめられやってしまった。わきが甘かったんです。軽い気持ちでやってしまった。もちろん自分でやったことは自分で責任を取るしかない」
「捕まった日は、留置場の中で自殺しようかと思いました。好きなギターは弾けないし……。」
逮捕された時は自殺も考えたほど後悔したそうです。
現在の大森隆志は薬物の抜き打ち検査を行なっている
2006年に現在の嫁・涼子さんと共に薬物で逮捕されてしまった大森さん。
現在は大丈夫なのか?と心配になりますが、今では自ら薬物検査を行うほどに潔白な生活をしてるそうです。
2021年4月15日放送の「じっくり聞いタロウ~スター近況(秘)報告~」に出演した際には、
「全てを台無しにする。これだけはやめた方がいい。この番組に出ようと決めた最大の理由は、薬物に手を出すとすべてを無にしてしまう。みんなにそうなってほしくないという気持ちを伝えたくて」
「留置場で首吊って死のうかとも考えた。勾留されてファンの子から手紙が来たり、安易に死ぬのは単なる現実逃避。全部受け止めて生きていこうと」
と、薬物を使用してしまった後悔と、その怖さについて真剣に語っていました。
公判の際に、弁護士に自ら「2度とやりませんから抜き打ち検査をお願いします」とお願いし、現在までに15年間も抜き打ち検査を続けているそうです。
ソロ活動もサザンほどのスケールではありませんが、しっかりのセンスの良い音楽を作り、特定のファンに愛され続けています。
現在も嫁さんと仲良く暮らしているということで、大森さんなりに自分の幸せ守って頑張っているということです。