昔のGLAYの元メンバーの現在。クビ脱退の理由。Akira,shingo,iso,Nobumasa

現在のGLAYのオリジナルメンバーといえば、ボーカルのTERU、ギターのTAKUROとHISASHI、ベースのJIROさんに加えてサポートのドラマーです。

正式なドラムがいないバンドとして知られてます。

しかし、インディーズ時代からのGLAYの歴史を辿っていくと、ドラムを正規メンバーに加えてはクビ、脱退の繰り返しであったことがわかります。

これまでにもドラマーに恵まれないバンドなんて存在したかというぐらい、悪いことばかりです。

ファンの中では正規のドラムメンバーがいた時代のインディーズ時代のGLAYだが好きだったという人もいるみたいです。

今日は、GLAYに過去に在籍したメンバーと、クビ又は脱退してしまった理由をまとめてみました。

インディーズ時代のGLAY元メンバーの現在と脱退・クビの理由

GLAYはメンバーの地元・北海道で結成され、その後にメンバー全員で上京し、苦しいインディーズ時代を乗り越えました。

華々しい今の活動内容からは想像もできないほどに散々な時期を送っていたのです。

GLAYは1991年10月に上京後初のデモテープ『Angelus Bell』の販売が開始しましたが、その当時1991年はGLAYのドラマー不在問題が深刻で、デモテープのメンバーはベースのSHINGOがドラムを担当、HISAHIがベースを担当すると、かなり苦しいポジショニングで収録された内容でありました。

過去にGLAYに在籍したメンバーと、在籍してた時期、やめてしまった理由をまとめてみました。

元メンバーの名前 在籍期間 クビ・脱退の理由
SHINGO (ベース) 1990年~1992年9月 女を幸せにするため
ISO 1992年2月~5月 実力不足
AKIRA 1992年5月~1994年1月 活動内容が不満で辞退

NOBUMASA

1994年~1995年4月 事務所の意向で解雇

 

ISO(ドラム)。実力不足でクビ

名前:ISO (イソ)

担当:ドラムス

高校生でありながらHISASHIさんのバイト先で誘われGLAYに加入しました。

が、TAKUROさんに「君の演奏ではGLAYの音楽を表現できない」と、わずか3ヶ月でクビになってしまいました。

一説によると、彼本人が当時人気のなかったGLAYに見切りをつけて自ら去ったとの説もあり。

1992年2月から5月までの在籍期間でした。

ISO本人はTAKUROさんからのクビ宣告を受け入れましたが、ISOの家族から平謝りをさせられてしまいました。

SHINGO(ベース)はバンドよりも女を取った。彼女ができて練習・休みがちに

名前:SHINGO (シンゴ)

担当:ドラムス、ベース

SHINGOさんはGLAYのインディーズ時代のベーシストです。

メンバーと同じく函館出身のメンバーで、もともとはドラマーをやっていたそうです。

加入当時はメンバーの中でも上手いほうで、本人は当初「高校時代から函館でやってたんだけど、函館では俺、函館一のベーシストなんて言われたこともあるんだよ」と自慢話をしていたそうです。

ある時、彼女が出来たことから、急に練習を休むようになり、挙げ句の果てにはライブの直前に彼女が風邪を引いたとの理由でライブを休んだそうです。(当日はTAKUROさんがベースを弾いたとか)

当時のTERUさんとAkiraさんが彼の家の近くまで行って話を聞くと、バンドよりも彼女を幸せにしたいとのことで脱退が決定。

最後はお別れライブをしての脱退となったので、わかだまりはないそうです。

AKIRA

名前:AKIRA (アキラ)

本名:上島 明 (うえしま あきら)

担当:ドラムス

出身地:東京都

血液型:B型

アキラさんは様々なバンドでヘルプをしていたそうですが、プロを目指していたそうです。

AKIRAさんは当時からGLAYの曲の良さに注目し「俺がドラマーになったらこのバンドはもっと良くなる」と、TAKUROさんに自分を売り込み加入しました。

GLAYのドラマーとして上京当初から長く在籍しました。

シングル「真夏の扉」、「Life ~遠い空の下で~」、アルバム「灰とダイヤモンド」に収録されている全曲でドラムを担当しています。

この方は暴露本を出したことでも有名ですね。

本人の著書「Beat of GLAY」では、メジャーデビューの際にレコード会社から、

「みんなやる気がなかったら、やらなくてもいいんだよ。うちはGLAYとしては、TERUくんのボーカルと、TAKUROくんの曲があればいいんだから。この2つさえあればGLAYとして、どういう形でもウチからデビューさせられるからね」

と言われたそうです。

また、課せられた厳しいスケジュールと、変化していく音楽性にAKIRAは違和感を持ち、メジャーデビュー直前にGLAYを脱退します。

課せられた厳しいスケジュールと、変化していく音楽性にAKIRAさんは違和感を持っていたそうです。

脱退になってしまった決定的な理由は、アルバムのレコーディングの際の大遅刻ではなかったのか?と回想してます。

メジャーデビュー直前に脱退し、現在は音楽事務所に所属し、音楽活動とプロデュース業を行っています。

NOBUMASA (ドラムス)

名前:NOBUMASA (ノブマサ)
本名:大庭 伸公 (おおば のぶまさ)
担当:ドラムス
出身地:大阪府

1994年から1995年4月まで在籍。
彼もアキラさんと同じく暴露本をリリースしてます。タイトルは「夜明け」です。
当初はサポートメンバーとして加入し、後に正式メンバーとして加入しましたNOBUMASAさんは人間性が良くドラム技術もメンバーから認められました。
しかし、事務所は彼を突然解雇してしまいます。
暴露本の中では脱退が決まる前からTAKUROさんは新しいドラマーを見つけていたそうです。
現在はAKIRAと同じ事務所に所属し、音楽活動を行っています。

 

元GLAYに死亡したメンバーがいる?現在Akira,shingo,iso,Nobumasa

昔GLAYで活躍していた四人のメンバーですが、現在は何をしてるのでしょうか?

アキラさんとノブマサさんは現在もサポートやプロデューサーの立場から音楽は続けていますが、その他のisoさんとシンゴさんは何をしてのか謎です。

シンゴさんは当時の彼女と無事に結婚することができたのでしょうか?

当時、高校生だったisoさんは別の選択肢があったので、大学に進学して就職したなど考えられます。

たまに元メンバーに死亡説が出るのですが、近況がわからないだけに、そんな憶測が流れるのかな?と思います。

RADWIMPSもオリジナルのドラマーの山口さんがお休みした数年後から「昔いたメンバーが死んだ」と怖い噂が出ていました。

おすすめの記事