フジファブリックのボーカル兼ギターの志村正彦さん。
天才の名を欲しいままにした才能あふれるミュージシャンでありましたが、2009年の12月24日に死去されてしまいました。
所属していたバンド”フジファブリック”では全曲の作詞作曲を担当していた彼だったので、死後はバンド解散説が囁かれましたが、バンドは残って3人のメンバーで今も元気に活動されてます。
志村正彦さんはイケメンで多才だっただけにバンド仲間からもモテモテでありました。生前は多くの女性と噂され、中でも椎名林檎さんとの噂は衝撃的でしたね!
志村正彦さんの死因と、生前の女性関係について書いてみたいと思います。
志村正彦は椎名林檎と付き合っていた?モテる天才。死去後に追悼コメントとライブ衣装
志村正彦さんといえば端正なルックスとシュッとしたスタイルの良さが魅力で女性ファンを多く抱えていました。
当時からネット上で志村さんが一緒にいた女性、しゃべっていた女性の話など、女性ファンからは細かくリサーチされていました。
志村さんの女性関係は良い噂も悪い噂も多くありましたが、どれも週刊誌に出たわけでも本人が語ったわけでもないので事実関係がわかりません。
志村さんの女性の噂で最もインパクトがあったのは、同じミュージシャンの椎名林檎さんです。
一時期、志村正彦さんと椎名林檎さんは恋仲であると噂されていました。
ふたりの馴れ初めは不明ですが、2005年にフジファブリックが出したアルバム「FAT BOX」のスペシャルサンクスに椎名林檎さんの名前がクレジットされていたので、2005年の時点で間違いなく知り合っていたことがわかります。
当時の椎名林檎さんは初婚の旦那と別れ、育児も落ち着いてきた時期だったので、もしかしたら遊び程度に関係を持っていてもおかしくありません。
死去された当時の噂では、2009年12月24日に亡くなりましたが、実は前日の夜に椎名林檎さんとデートし、お酒を飲んで酔っ払ってしまった志村正彦さんを、自宅まで送り届けたとの逸話もあります。
椎名林檎さんは志村正彦さんが死去された後に、年末のカウントダウンのフェスに出演し、衣装で志村さんの死を追悼したとされます。
椎名林檎(東京事変)が志村正彦死去の6日後にライブ衣装で追悼?「ありあまる富」を歌唱
志村正彦さんは2009年のクリスマスイヴである12月24日に死去されました。
以前に交際の噂があった椎名林檎さんが12月30日に出演したフェスに白黒のモノクロの衣装で登場しました。
このステージで椎名林檎さんは楽曲「ありあまる富」を歌唱。
この曲は”生きていれば何も失う物はない”という意味を持たせた歌詞で、椎名さんは後にインタビューで、
志村くんが亡くなってすぐに出演したフェスで「ありあまる富」を歌わなければいけないことがすごくつらかった。だって、要するにこの曲は「死んだらおしまいよ」って言っているようなものだから。
と語っています。
ちなみに同じフェスにフジファブリックも出演する予定だったということで、同じフェスのフジファブリックのタイムテーブルでは志村さんの生前の映像が流されました。
他の出演者も志村さんを意識したMCやセトリが目立ち、フェス全体で志村さんを追悼する雰囲気がありました。
フジファブリック目当てにチケットを取ったファンの多くが悲しくなって払い戻ししてみたいですが、駆けつけたファンは来て良かったと感じたそうです。
志村正彦の死因は?最後の姿では不自然にむくんでた?ブログ記事で体調ネタ
志村正彦さんは2009年12月24日に自宅のパソコンの前で冷たくなって発見されました。
29歳の若さで死去されました。
人気ロックバンド・フジファブリックのボーカル&ギターの志村正彦さんが24日、29歳の若さで急逝した。バンドの公式サイトで25日付で発表されたもので「検査の結果は病名不詳」、所属レーベルも「現時点ではサイトに載っているものが全ての情報です」としている。葬儀は近親者のみで執り行う予定。
志村さんの死因をめぐってはさまざまな憶測があります。
生前最後にファンの前に姿を見せた時、志村さんは顔がむくんでいたそうです。
さらには、生前最後のブログでは体調不良を心配するファンに健全をアピールするような内容の記事を書いていました。
志村正彦の生前最後のブログ記事。死去の14日前に体調良好をアピール
志村さんはフジファブリックのホームページにてブログ記事を書いていました。
最後の更新は死去した14日前の12月10日でした。
日記の内容では、体調が良いことをアピールする記事が書かれていました。
1ツアーやるとなると、1ツアーに1回は必ず風邪をひいていた過去のフジファブリックですが、最近全然ひきません。体調もかなり良好です。どこも痛くも痒くもない。
インフルエンザが流行っているみたいですが、僕らは大丈夫です。ここまで健康だとなんか…年末にこう…風邪が来そうで怖いのです。まあ、ひいている暇など微塵も無いのですが。でも、かかってしまう時はかかりますよね。分かります。どんだけ、予防接種しても、マスクしても、栄養つけても、かかる人はかかります。そりゃあ仕方ないですわ。なったら治すだけですね。
もうこうなったら、フツーにライブの無い来週あたりにむしろ風邪ひいときたい。
死の14日前はまだまだ体調は良かったみたいですが、最後の”フツーにライブの無い来週あたりにむしろ風邪ひいときたい”という言葉が気になりますね。
”むくみ”の症状の特化した整体師が志村正彦をブログで追悼?
ある整体師の方がアメーバブログにて、志村正彦さんの死について言及しました。
その方はフェスのバッグステージなどでマッサージを施すような仕事をしており、志村さんが亡くなった年のサマソニでは、フジファブリックの別メンバー(金澤ダイスケ)のマッサージをしたことを引き合いに、誰かが近くで志村さんの体のことを気にかけていればこのようなことにならなかったと悔やんだ投稿をしたのです。
今年もサマソニのバックステージでアーティスト
の治療をしましたが、
縁あって、フジファブの金澤ダイスケさん
(キーボード)を治療しました。
治療しながら色んな話もしました。志村さんは来ていませんでしたが、
もしも、もしも、来ていただいていたとして、
体を拝見して、何か今回の突然死に関わる何かが
そのときに発見できていたんではないか?何らかのサインが体から発せられていなかったか?
それに気づいて、何か予防的なアドバイスが
出来たんではないか?誰かが亡くなられて、
全て、後で思うこと。たら、れば、です。
残念です。あの様な奇才はいまの日本の音楽界には希少でした。
もし、自分が整体をやってあげれたとしたら、最悪の事態にはならなかったのではないか?と綴っています。
志村正彦は姉と妹も超美形!
生前は才能だけでなく”イケメンバンドマン”としても注目されていた志村正彦さん。
志村正彦さんの家族構成は両親と姉・妹の5人家族です。
実は志村さんは姉と妹も美形で、とても美人なのだとか。
志村正彦さんが亡くなった後に行われたお別れ会『志村會』に妹と姉も参加していたそうです。
志村が生前開いていた飲み會の名前に由来して名付けられた「志村會」は、志村正彦にお別れの献花をする場として設けられた。中野サンプラザが会場に選ばれた背景には、志村がデビュー以前に中野でアルバイトの傍ら、いつの日かこのステージに立つことを夢見て努力を重ね、その目標を叶えた思い入れのあるホールであるといういきさつがある。
ステージ上の献花台には、志村の出身地(山梨県富士吉田市)、およびバンド名「フジファブリック」にもゆかりのある富士山が、白のストックと青いデルフィニュームなど約1500本規模の生花により描かれ、その上に赤いギターが造花で象られた。ステージ上には志村が愛用していたギター7本、アンプ6台が並べられ、両脇には参列者からのメッセージカードを受け付けるためのギターケースが開かれた状態で配置。ホール外のロビーエリアには、マイクスタンド、ギター、アンプ、エフェクターなどがライブ時のセッティングのままに再現され、生前好んでいたタバコやアイスコーヒーなどが思い出の品として展示された。足元には、志村にとって最後のライブとなった2009年12月13日Zepp Tokyoでのイベント出演時のセットリストも貼り付けられていた。
家族を目撃したファンの方がツイッターでつぶやき拡散されたのです。
ちなみに古くからのファンの間では、志村さんに美形の姉妹がいるのは有名だったそうです。