元ブルーハーツで現在はクロマニヨンズで活躍している甲本ヒロトさん。
過去も現在もバンドマンが憧れるヒーローです。
あまりにメディアに登場しない甲本ヒロトさんですが、実は俳優の弟である甲本雅裕さんは頻繁に露出しています。
俳優としてん弟は”話題作でよく見るけど名前がわからない”という2番手ポジションが多く、兄貴が甲本ヒロトさんだと知らない方も多いです。
今日は甲本ヒロトさんの弟・甲本雅裕さんについて書いてみたいと思います。
また、甲本雅裕さんから見た兄貴”甲本ヒロト”さんに纏わる言及もまとめてみたいと思います。
俳優・甲本雅裕(まさひろ)は甲本ヒロトの2歳年下の弟[学年は3つ違い]
当たり前ですが、出身地は兄の甲本ヒロトさんと同じ岡山県岡山市です。
兄のヒロトさんがO型なのに対して、弟の雅裕さんはA型です。
身長は兄の174センチより3センチ大きい177センチです。
本 名 | 甲本雅裕(こうもと まさひろ) |
生年月日 | 1965年6月26日 |
出身地 | 岡山県岡山市 |
身 長 | 177cm |
血液型 | A型 |
学歴 | 京都産業大学経営学部卒業 |
前職 | アパレル会社勤務 |
ジャンル | ドラマ、映画 |
活動期間 | 1989年ー |
名脇役で邦画ファンで見たことない人はいない存在
俳優としての甲本雅裕さんの優れた点は”名前は覚えられないけど役は忘れられない”ということです。
甲本雅裕さんが俳優を志したのは、就職した後と意外と遅めです。
京都産業大学経営学部卒業し、アパレル会社に就職し2年で退職するまで、俳優とは縁のない生活を送っていました。
甲本雅裕さんは小学一年の頃から剣道を始め、中学、高校、大学と剣道に明け暮れる体育会系だったのも意外です。
梶原善さんに誘われ1989年の24歳に東京サンシャインボーイズに入団し、5年後1994年に劇団が活動休止になるまで、ほとんどの劇に出演しました。
甲本雅裕の配役は弱々しいサラリーマンから極道、良い人から悪い人までマルチで、どの役柄も見事に演じ切ります。
これまでに「踊る大捜査線」「ガリレオ」「ごくせん」「下町ロケット」など、日本の芸能の歴史に残る名作の中で存在感を残しました。
年間で6本、7本のドラマ、映画に出演することは当たり前で、驕らずに休まない勤勉さも甲本雅裕さんの強みであります。
兄のヒロトは弟・甲本雅裕のために楽曲「キング・オブ・ルーキー」で応援!
甲本雅裕さんは大学を卒業した後は、大阪市内の婦人服メーカーに就職し生地の管理業務に携わりました。
会社員になった後、それまで趣味として映画の見方が変わり、「役者になりたい」との思いが生まれ、その後に思い切って脱ラサし役者の道を目指しました。
当時、兄のヒロトさんは弟が俳優の道に進むことを応援し、弟のために曲を作ったこともあ りました。
ブルーハーツのアルバム「DUG OUT」に収録されている「キング・オブ・ルーキー」こそが、甲本ヒロトさんが弟を応援するために作った曲なのです。
とても歌詞の短い曲ですが、やりたいことをやりたい!と思えるような、とてもご機嫌な曲です。
下積み時代は兄貴と同じ中華料理屋でバイト。子供の頃に仲が悪い時期もあった
甲本雅裕さんは子供の頃から兄貴のことが好きで仲良しだったそうです。
ただ、「そんな兄と部屋が一緒だったため、一緒にいるのが嫌な時期もありましたがよく2人で裏山で遊びました」と普通の兄弟のように、兄のことが嫌になった時期もあったようです。
アパレル会社を辞めて上京した後に兄のいる中華料理店でバイトしたり、兄貴のライブに顔を出したりと、大きくなって以降の兄弟仲はずっと良好なようです。
現在の甲本雅裕と兄・ヒロトの関係。テレビで語る意外なエピソード
甲本雅裕さんは長いキャリアの中で、何度かメディア出演をしています。
メディアに登場すると、共演者に毎回決まって兄のヒロトさんについて聞かれます。
兄・ヒロトの思い出を少し話すだけで、ネット上では話題となっていました。
現在でも兄弟で仲が良い見たいですが、甲本雅裕さんが語って話題になった兄の話を整理してみたいと思います。
甲本ヒロトはボロボロの工場に住んでいてドブネズミみたいだった
2023年12月にYouTube番組「丈熱BAR」に甲本雅裕さんは出演し、兄・ヒロトの売れる前の姿について話しました。
甲本雅裕さんがまだ岡山に住んでおり、兄が住む東京に行った際のエピソードです。
「当時、兄貴は笹塚の潰れた工場に住んでいたから。廃墟みたいな。ドブネズミみたいだったよ、本当に」
「誰でも入れるように、玄関の前にベスパが置いてあって、ベスパのシートをパンッて開けるとカギが置いてあるの。で、カギを開けて、工場の階段を登ると、工場の職員さんがベニアをついたてみたいにして、区分けして生活されていたようなスペースがある。そこに、ミュージシャンやらなんやらが集まってきて。潰れたようなところでドラムセットがあったりして」
「ただで貸してくれとんよ。たまたま兄貴がバイトしていた先の人の持ち物で、でも潰れてるからどうせ空き家になっているから使えばいいって言ったらそんなだめな奴らが集まる場所になった。そこにマーシーとかみんないた」
当時のヒロトさんはボロボロの廃墟のような場所に住み、「リンダリンダ」の歌詞の通りにドブネズミのような暮らしを送っていたそうです。
そこにマーシーさんなどが集まり、バンドの練習ができるスペースもあったのです。
当時にしてハングリーでありながらも、練習に明け暮れる環境に身を置いていたことが分かりました。
兄弟でギャル曽根のファン!兄・ヒロトは出演番組を録画して応援
甲本雅裕さんは2022年5月に「有吉ゼミ」に出演した際、企画で10人前の「超爆盛ドライカレー」完食にチャレンジしました。
その際、30年以上の大食い系番組のファンであることを告白し、大食いタレントのギャル曽根さんのことを「ギャル曽根さんは神だから。誰に会うよりもうれしい」とリスペクトしてることを明かしました。
そして、
「僕、大食い好きってさっきからずっと言っているでしょ?うちのアニキ(ヒロト)も大好きなんです」
「今日も100パーセント見ています。兄ちゃん頑張るで。ギャル曽根さんもおるけぇな。恥かかんようにするけぇ」
と、なんと兄のヒロトさんも大食い番組のファンであることを告白し、出演中の番組も絶対に観てるはずと語ったのです。
収録前に大食い企画に挑戦することをヒロトさんに伝えた際、「録画するから頑張れよ」と兄に気合を入れられたそうです。
生活感のない兄・ヒロトさんの庶民的な私生活が垣間見れ、当時はネット上でファンらが「意外だな」「俺らと変わらん」と感動の声をあげていました。
77歳で亡くなった父親。兄・ヒロトと共に「親父は超えられない」
2022年2月に新聞社のネットサイトにて、兄弟の子供時代と父親について語ったことがありました。
実家がクリーニング屋だった甲本兄弟、ヒロトさんが「父が一番カッコよかったのはアイロンを持っている姿だった」と語ったのは有名ですね。
甲本雅裕さんは子供の頃、常に兄貴の背中にくっついていたそうで、兄弟で寝坊しがちになった際、父が「早起きをすると、家の前を妖怪が通る」と煽り、まんまと兄弟で早起きするようになったそうです。
兄が上京し、大学に進学すると、父はそのことを誇りのように思っていたそうですが、ある時期に兄貴が実家に帰り「大学を辞める」というと落ち込んだそうです。
父はヒロトさんを説得するも、「今日辞めないとダメ」と意地を通し退学。
甲本雅裕さんはその時を父を「どん底まで落ち込む姿を見た」と回想していました。
お父さんは5人兄弟の長男で、若くして電車の運転士になる夢を諦め、献身的に仕事に励み、親戚兄弟を学校に通わせました。
父は「クリーニング屋は俺の代で解散!」と口癖のように話し、自分の子供には後悔のない人生を望みました。
その他にも、「家の中で何をしても構わん。その代わり、一歩外に出て誰かに迷惑をかけたら、俺はお前を許さんぞ」「テストで0点でもいい。ただ友達の邪魔をしたら、俺はお前を許さん」と、自由を持っても他人に悪い影響を与えないことを言い聞かせたようです。
兄のヒロトさんは「親父には敵わない」と話し、77歳で亡くなった後も父のことを尊敬し続けているようです。
ちなみに甲本雅裕さんは2022年の映画「高津川」で念願の主演デビューを飾りましたが、その作品が上映される頃には父は既に亡くなっていました。
”主演してる姿を見せたかった”と、心残りがあるそうです。