今も尚、世の男たちのカリスマであり続ける甲本ヒロトさん。
甲本ヒロトさんといえば「ザ・ブルーハーツ」のボーカルとして活躍され、同バンド内で数々の名曲を生み出しました。
ブルーハーツではマーシーごと真島さんの「終わらない歌」「トレイントレイン」「1001のバイオリン」など作詞能力が目立ちましたが、甲本ヒロトさんの「シャララ」「リンダリンダ」「ラブレター」も負けじと素晴らしかったです。
今日は甲本ヒロトさんが色んな所での発言の中から、名言と呼ばれる言葉たちを整理してみたいと思います。
甲本ヒロトの発言・名言。イライラした人や学校に友達がいない学生への言葉が感動的!
パンクロッカー=反逆的というイメージがあります。
日本のパンクの神様とされる甲本ヒロトさんも、当然、反逆的な思考を持っていると思われますが、過去の発言を聞いてる限りそんなこともありません。
嫌な物事に立ち向かったり、間違ってる問題を解決しようと無理するのではなく、自分の状況を冷静に見つめ、”確実にできる”ことを大切にしています。
代表的な名言としては、
「明日のための今日じゃありません。今日のための今日です」
「より良くならなくていいんだよ。俺たち最高なんだから。」
「馬鹿なら馬鹿ほどカッコええ。駄目なら駄目ほどカッコええとか、そういう世界ってあるんよ」
「一生懸命考えたり思ったりしてわからなくなって、最後の最後のところで逃げ場のないところまで追い詰められて、だからロックンロールをやってる気がするんだよ」
改善や反省、進化を訴えるよりも、甲本ヒロトさんは”自分のままでいること”と、自分の強みや魅力に気づくことの重要性を伝える言葉が多いです。
甲本ヒロトの名言。イライラやストレスについて
自分がイライラしていると嫌なものですが、甲本ヒロトさん的には、それでこそ人間で当たり前と発言しています。
「色々不安だろ?なあ、イライラするしなあ。それなあ、大人になっても不安だし、50過ぎてもイライラするから、そのまんまでいいんじゃないすか。物事解決するよりも、イライラしたまんまさあ、ロック聴きゃあいいじゃん。うん。」
また、この言葉の他にも、
未来は真っ暗。 お先真っ暗というのはすげー前向きな言葉だよ。真っ暗なんだよ。どこがいけないんだよ。そん中に すっげー誰も見たことがない、どんなに勉強したってわかりっこない、 素晴らしいものが隠れてるかもしんない。 真っ暗ってことはいいねえ。みんな平等で。
と、嫌なことがあることが悪いわけではないとの名言も残しています。
実際には科学的に人間はある程度のストレスがあった方が健康に良いとの検証結果がありますしね!
学校に行くのが嫌な学生への言葉
学校に行くのが嫌だという学生は全国に多いと思います。
甲本ヒロトさんは、過去に学校が嫌になった若い子に向けたメッセージも発信しています。
「居場所あるよ。席あるじゃん。そこに黙って座ってりゃいいんだよ。
友達なんていなくて当たり前なんだから。
友達じゃねぇよ、クラスメイトなんて。たまたま同じ年に生まれた近所の奴が同じ部屋に集められただけじゃん。
趣味も違うのに友達になれるわけないじゃん。山手線に乗ってて、『はい、この車両全員仲よく友達ね』って言われても、『いや、偶然今一緒に乗ってるだけなんですけど』って。友達じゃねぇよ。
ただ、友達じゃないけどさ、喧嘩せず自分が降りる駅まで平和に乗ってられなきゃダメじゃない?その訓練じゃないか、学校は。
友達でもない仲よしでもない好きでもない連中と喧嘩しないで平穏に暮らす練習をするのが学校じゃないか。だからいいよ、友達なんかいなくても。」
甲本ヒロトさん本人も嫁さんとの間に1人の娘がおり、立派に娘を成人まで育て上げています。
ロックでありながらも父性的なエッセンスも混じったメッセージだったと思います。
忌野清志郎の告別式での甲本ヒロトの弔辞。「ファンにありがとうは言わない。僕もそのひとりだから」
甲本ヒロトさんが発した名言の中でも有名なのが、2009年5月2日に亡くなった忌野清志郎さんの告別式での弔辞です。
当時は“ロック葬”と名付けられるほどにファンキーな告別式でしたが、その立役者になったのは間違いなく甲本ヒロトさんです。
甲本ヒロトさんは告別式にも関わらず黒スーツではなくルイスレザーのジャケットで参加。
甲本ヒロトさんと忌野清志郎さんの独特な師弟関係がエッジの効いたロックな弔辞を生みました。
甲本ヒロトの弔辞全文。忌野清志郎へのロックな別れ
キヨシロー。えー、清志郎、あなたとの思い出に、ろくなものはございません。
突然呼び出して、知らない歌を歌わせたり、なんだか吹きにくいキーのハーモニカを吹かせてみたり。
レコーディングの作業中には、トンチンカンなアドバイスばっかり連発するもんで、レコーディングが滞り、そのたびにわれわれは、聞こえないふりをするのが必死でした。
でも、今思えば、ぜんぶ冗談だったんだよな。
今日も、「キヨシローどんな格好してた?」って知り合いに聞いたら、「ステージ衣装のままで寝転がってたよ」って言うもんだから、「そうか、じゃあ俺も革ジャン着ていくか」と思って着たら、なんか浮いてるし。
清志郎の真似をすれば浮くのは当然で、でもあなたは、ステージの上はすごく似合ってたよ。ステージの上の人だったんだな。
一番最近会ったのは、去年の11月。The Whoの来日公演で、武道館の。そのとき、あなたは客席の人でした。ステージの上の清志郎じゃなくて、客席の人でした。
たくさんの人が清志郎に憧れるように、あなたはロックンロールに憧れていました。僕もそうです。
そんな、いち観客どうしの共感を感じ、とても身近に感じた直後、あなたはポケットから何かを出されて。それは、業界のコネをフルに活かした戦利品、とでも言いましょうか、ピート・タウンゼントの使用するギターのピックでした。
ちっともあなたは、観客席のひとりじゃなかった。僕があまりにもうらやましそうにしているので、2枚あった、そのうちのひとつを、僕にくれました。
(ポケットの中を探る)こっちじゃねえや……これだ。
ピート・タウンゼントが使ってたピックです。これはもう返さなくていいね。納めます。ありがとう。
一生忘れないよ。短いかもしれないけど、一生忘れない。ほんで、ありがとうを言いに来たんです。数々の冗談、ありがとう。いまいち笑えなかったけど。はは……。今日もそうだよ、ひどいよ、この冗談は……。
うん。なるべく笑うよ。そんでね、ありがとうを言いに来ました。清志郎、ありがとう。
それから後ろ向きになっちゃってるけど、清志郎を支えてくれたスタッフのみなさん、それから家族のみなさん、親族のみなさん、友人のみなさん、最高のロックンロールを支えてくれたみなさん、どうもありがとう。どうもありがとう。
で、あとひとつ残るのは、今日もたくさん外で待っている、あなたのファンです。
彼らにありがとうは、僕は言いません。僕もそのひとりだからです。それはあなたが言ってください。
どうもありがとう! ありがとう!
忌野清志郎と甲本ヒロトの関係。幾度も共演を重ねた
甲本ヒロトさんと忌野清志郎さんの関係は1980年台の終わりから始まりました。
1988年8月14日RCの野音でセッションし、2000年の清志郎デビュー30周年記念イベント「RESPECT!」にもヒロトさんは参加。
2004年発売の清志郎さんの「GOD」でもヒロトさんは「REMEMBER YOU」でボーカルとハーモニカで参加。
デビュー35周年を記念したイベント「2005★GOD Presents ROMANCE GRAY35」では「GOD」「上を向いて歩こう」と「キモちE」の3曲を2人で共演。
幾度も共演を繰り返し、ライブやレコーディングでの思い出はたくさんあるとされています。
ヒロトさんは清志郎さんの死後も、2011年の「忌野清志郎ロックンロールショー」に出演し、2021年のフジロックで「忌野清志郎 Rock'n'Roll FOREVER」のメンバーとして「キモちE」を歌っており、現在も音楽を通じて交友は続いてるようです。