松山千春の現在の病気。ガンで透析?若い頃からの糖尿病。コンサートライブ中止

日本を代表するシンガーである松山千春さん

これまでに「君を忘れない」「季節の中で」「恋」「旅たち」「銀の雨」などの名曲をリリースし、現在までにカラオケやラジオで耳にします。

長く歌手として活躍されている松山千春さんですが、昨今は体調を崩したとして話題になりました。

松山千春さんには癌や透析などの病気の噂が多くあります。

今日は現在の状況と、病気の噂についてわかっていることなどをまとめてみたいと思います。

松山千春の病気の噂の理由は激痩せ。のど自慢出演でガン疑惑?

現在までに松山千春さんはがんや透析という病気は公表していません。

しかし、ネット上では、松山さんがそのような病気を患っているのではないか?という心配の声が出ています。

なぜ、公表もしてないのに、そのような心配の声が出ているのか?

調べてみると、ことの発端は2018年に激痩せした姿でメディアに出演したことにありました。

松山千春さんは2018年にNHKのど自慢に出演しました。

番組に登場した松山千春さんは以前よりも激痩せしていました。

痩せただけでなく、歌が不安点だったということで、「何か病気なのではないか?」との声が出たのです。

さらに、同年に週刊誌から病気疑惑を疑う記事が登しました。

週刊誌で松山千春への癌や透析の疑惑が書かれる?

週刊誌の記事では番組出演をオファーする前から元気がなく、収録が終わった後もぐったりしていたという裏話が書かれていました。

週刊誌に載せられていた写真、かなり年齢を召した印象でありました。

「出演OKがなかなか出ず、ギリギリまで交渉したそうです。最近、松山さんがあまりにもやせたのもあって、“大病を患っているんじゃないか”という話も出ています」(芸能関係者)

『のど自慢』で見せた松山の激やせと歌の不安定さ。病との関係はあるのだろうか。

「松山さんが何度か患った自律神経失調症は、心理的ストレスから交感神経と副交感神経のバランスが崩れることで、体に不快な症状が現れる病気です。味覚や嗅覚が落ち、食欲不振になってやせるかたも多い。歌手の場合は、緊張や不安を感じることで音程がわからなくなったり、高い声が出なくなり、最悪の場合失声症になることもあります」(精神科医の片田珠美さん)

『のど自慢』出演後、会場から出てきた松山は、ひどく疲れた様子だった。記者が声をかけると、マネジャーが制止する中、「いいんだよ」と取材に答えた。

「まあ疲れたらちょっとガクッとはなるよ。でも元気ですよ。秋のツアーもまだ発表してないけど決まってる。今回は無理して沖縄まで回る。野音を中止してすまないなぁという気持ちもあるし、ラジオを聴いてくれている人たちのところに行って、自分が元気だぞっていうところを見せたいね」

記事の中でも”ガン”というワードが登場していますが、松山さん本人が大病に言及するような記述はありませんでした。

2021年には弟が癌で死去

松山千春さんは2021年の9月26日にSTVラジオ「松山千春 ON THE RADIO」で弟・明人さんが2021年9月19日に亡くなっていたことを明かしました。

ラジオの中で松山さんは、

「先週の放送中ですね、9月19日、私の実の弟、松山明人が川崎の病院で息を引き取りました」

「最後は相当痛い、つらい思いをしたと思う」

「5人家族だったのに、俺だけ残ることになった。みんな亡くなってしまった」

「一番、父さんも母さんも明人に期待していたんじゃないかな。一番マメにコツコツタイプ。家の中では一番まともな感じだった」

「2021年、母さんの死から始まり、この9月19日には弟が亡くなり。明人は俺より4つ若いんだから、俺より先に死んじゃダメなのにな。本当に残念だな」

と弟の死の悲しみを噛み締めていました。

四人家族で残っているのは松山さんだけだそうです。

松山千春の昔の病気。糖尿病や自律神経失調症、不安定狭心症。

週刊誌では松山千春さんが未だにタバコを吸っていることが書かれており、まだまだ病気の状態がピークというわけではなさそうな雰囲気でした。

実は松山千春さんは過去にも大きな病気を患っており、「糖尿病」や「自律神経失調症」「不安定狭心症」などの病気に苦しめられてきたことがわかっています。

糖尿病に関しては昔から松山千春さん本人がネタにすることが多く、知ってる人は多いと思います。

自律神経失調症に関しては1991年に患い、一時は回復したものの2017年に再発。

この病気は食欲不振になって痩せてしまう方も多いと言われています。

2018年頃の松山千春さんも自律神経失調症の再発により痩せてしまったとの見方が強いです。

現在も病気しがちな松山千春。幾度もコンサート日程に影響

ちなみに2008年に不安定狭心症を患った際には、コンサートツアーの滞在先で体調不良を訴え病院に搬送され狭くなった冠動脈を血管の内側から拡げる治療も行っていました。

2018年には右足の腓骨神経麻痺を告白し、同年4月にもゴルフの後に低血糖になり、救急搬送されたことをコンサートで明かしました。

また2019年6月には急性喉頭炎が悪化したことにより急遽コンサートを中止しています。

松山千春のプロフィール&経歴。若い頃から現在まで

名前:松山千春(まつやまちはる)

生年月日:1955年12月16日

出身地:北海道足寄郡足寄町

血液型:O型

身長:170cm

所属事務所:オフィス・ゲンキ

松山千春が学業優秀だったが貧乏で大学進学せず

北海道足寄郡足寄町で生まれた松山千春さん。

小学校5年生の時にフォークソングと出会ったのが音楽に興味を持つきっかけでした。

学業は高校を首席で卒業するほど優秀でした。

クラス担任に大学進学を勧められますが、松山千春さんは家庭が貧しかったため大学進学を断念しています。

高校卒業後は進学せず、働きながら合間をみて作詞・作曲を行っていたのです。

竹田健二ディレクターに見出されデビュー

松山千春さんは1975年に『全国フォーク音楽祭』の北海道大会に出場しました。

同大会では惜しくも落選してしまいますが、翌1976年に“生涯の師”と仰ぐ竹田健二ディレクターに見出されました。

竹田ディレクターに気に入られた松山さんは「サンデージャンボスペシャル」内の15分コーナー『千春のひとりうた』に出演し、メディアデビューを果たしました。

翌1977年1月に『旅立ち』でレコードデビュー。

しかし、デビューした同年8月に恩師である竹田健二さんが36歳という若さで急逝しました。

松山千春さんは相当に落ち込み一時は失意に陥りました。

松山千春は『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティでブレイク!

松山さんはデビューした同年10月に『オールナイトニッポン』水曜2部のパーソナリティに起用されました。

持ち前のトーク力で人気を博し、1978年には『オールナイトニッポン』の月曜1部に昇格、

昇格した同年の1978年10月リリースの『季節の中で』がオリコンチャート1位を記録する大ヒットしたことで、全国区な歌手の仲間入りを果たしました。

ラジオから人気アーティストへ

ラジオで人気者になった後に楽曲も売れました、

誰もが知る『長い夜』や『大空と大地の中で』、『君を忘れない』など多くのヒット曲を連発。

松山千春さんは人気歌手としての地位を確立しました。

30歳からは俳優やバラエディなど活動の場を広げる

かつての松山千春さんはあまりメディアに出ないことを売りにしていました。

一方、千春さんがテレビ拒否は「コンサートこそ自分の本領だから」という理由でした。ただし、1978年に「季節の中で」が大ヒットしている最中に「ザ・ベストテン」(TBS)のプロデューサーに「番組宛てに毎週たくさんのハガキが届いている。あなたはこれだけのファンの声に応えるべきではないのか」と説得されて、コンサート会場からの中継という条件付きで応じます。

しかし、30歳になった1985年頃から一転。

バラエティー番組や音楽番組、ニュースやドラマ・映画などに出演し活動の場を広げていったのです。

1991年公開の映画『極道戦争 武闘派』では、日本アカデミー賞『優秀助演男優賞』・『新人俳優賞』を受賞し、演技の才能があることも証明されました。

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