田中裕二さんといえば、安全地帯のドラムとして活躍されていた方です。
2022年12月17日に死去してしまいましたが、その手前の安全地帯の記念ライブには映像で出演されていました。
情報が少なく謎が多い田中裕二について色々と書いてみたいと思います。
数年前に患った病気の現在の様子、実業家としての顔、結婚や子供などについて書いてみます。
安全地帯・田中裕二の経歴と結婚・子供。ドラムの腕前と評価
名前 | 田中裕二 |
生年月日 | 1957年5月29日 |
死没日 | 2022年12月17日(65歳) |
出身地 | 北海道旭川市 |
血液型 | O型 |
既婚 | すでに結婚し娘が誕生。 |
職業 | ミュージシャン(ドラマー)。実業家。 |
田中裕二さんは自動車整備工である父親の家庭に生まれました。
5歳の頃に早くも、安全地帯と共にメンバーとなる矢萩弥さんと出会っています。
初めてバンドを結成したのは中学3年生の頃でした。
田中裕二さんは高校生の頃に、六土開正さんの「六土開正バンド」に矢萩渉さんと共にと参加していました。
「六土開正バンド」での田中裕二さんは、洋楽バンドのコピーをやっていました。
その後、オリジナル曲を中心に作って活動する「安全地帯」に出会い、「六土開正バンド」のメンバーは彼らに惹かれ、2つのバンドは合併することになりました。
田中裕二の安全地帯でのドラムは上手?高校時代は交通事故で下手になっていた
田中裕二は安全地帯でドラムを担当しています。
安全地帯は玉置浩二さんの歌唱力ばかりが注目されており、他メンバーの実力は疑問視されがちです。
田中裕二さんのドラムの腕前は上手いのでしょうか?
正直、安全地帯の曲調的に、田中さんドラムは特段派手ではなく、主張するような場面がありません。
ただ玄人の方からはリズム感がずば抜けているとして、非常に評価が高いそうです。
ドラミング自体はシンプルですが、曲に寄り添う絶妙な強弱、緩急のつけ方が魅力となっているそうです。
ちなみに、高校時代の田中裕二さんは交通事故に遭っており、一時期ドラムプレイが酷かったそうです。
高校1年の頃に、事故で右太ももを骨折し、足には補強として鉄の棒が入っていたのが理由だそうです。
田中裕二は90年代に結婚し子供が産まれていた!
田中裕二(安全地帯)は結婚や子供の誕生を公表をしていません。
結婚自体は90年代にしており、同じく90年代に第一子の女の子が誕生してます。
嫁さんは一般人の女性です。
その後に2人目、3人目の姿は確認できておらず、正式な子供の人数は不明です。
ちなみに、田中裕二さんの長女は過去のライブドキュメント「ILOVEYOUからはじめよう」にチラッと映ったことがあります。
実業家としての田中裕二。人気カフェや安全地帯脱退後の実家の自動車屋
安全地帯のドラムである田中裕二さんでですが、実は実業家としての顔もあります。
実家が自営業だったということで、経営の世界が身近にあったせいかもしれません。
安全地帯がデビューする前の1978年には、田中さんは一度、実家の自動車屋を引き継ぐとして脱退しています。当時の田中さんは21歳でした。
田中さんが脱退したのと同じ頃、安全地帯は井上陽水からサポートとして声がかかり、バンドは軌道に乗り始め、当時の田中裕二は「安全地帯が上手くいけばいいな」と陰ながら応援していたそうです。
結局は、バンドに戻った田中裕二さんですが、1994年に「カフェ・ド・とおやま」をオープンさせました。
安全地帯・田中裕二のカフェが大人気だった。現在は閉店
田中裕二さんのカフェは「カフェ・ド・とおやま」という名前で1994年にオープン。
当時、安全地帯のメンバーが経営ということもあってすぐに話題になり、多くのメディアで取り上げられ人気を集めました。
その後、2006年に名前を「Y's cafe」に変更しました。
安全地帯が活動休止した際には、田中さんはほぼカフェ経営1つで頑張っていたそうです。
2008年にはカフェのYouTubeチャンネルを立ち上げて、現在の飲食経営の先掛のようなこともしていました。
地元でとても有名で人気のカフェでしたが、田中さんの病気とコロナ禍が重なって、2020年の夏頃に閉店となってしまいました。
”また復活させて欲しい”と惜しむ声が多くありますが、跡地にはすでに別のお店が出ております。
安全地帯・田中裕二の病気の現在。脳出血で活動休止もバンドは脱退していない
田中裕二は現在すべての活動を休止しているようで、安全地帯の活動にも参加していません。
活動休止している理由は「脳内出血」という病気です。
彼は2019年に脳内出血となり入院し、全ての活動を停止させたのです。
田中さんが入院した当初は、ファンが田中さんが経営してるカフェに折り鶴を送ろうと働き、田中裕二さんを気持ちで支えようと必死でした。
ただ、入院した翌年の2020年にはコロナ禍が訪れ、同年の夏にはカフェが閉店してしまいました。
健気なファンたちは、現在も田中裕二さんの容態を心配してる状態です。
田中裕二は安全地帯の2022年のライブには映像で登場!
ずっと音沙汰もなくファンを心配させていた田中裕二さん。
2022年には久々の大型ライブが決定しましたが、その際には田中さんの不参加が発表され、ファンは落胆しました。
ただ、いざライブが始まると、田中裕二さんが映像で登場、ファンは歓喜の声を上げました。
さらに、田中さんのカウントから1990年の「情熱」がスタートし、映像の中で田中さんのドラミングやドラムソロが加わり、最後は玉置浩二さんが「安全地帯、ドラム!田中裕二!」と送り出す粋な演出がありました。
現在も田中裕二はリハビリを頑張っている
ライブ映像に登場した田中裕二さんですが、まだまだ元気な様子でした。
少し前にはカフェのインスタグラムで”リハビリを頑張っている”と言及しておりました。
安全地帯のメンバー名簿には田中裕二さんの名前が残されており、復帰が期待されている状態です。
追記:田中裕二は2022年12月27日に死去。直後に安全地帯・紅白決定。葬儀・告別式
安全地帯の田中裕二さんは、12月月17日に亡くなったことが玉置浩二&安全地帯オフィシャルサイトで発表されました。
死因は脳出血です。
65歳の若さで旅立ちました。
「かねてより療養中でありましたところ、12月17日の夜、ご家族に見守られながら永い眠りにつきました」
死去された2022年は、安全地帯が結成して40周年目という節目でした。
安全地帯のドラマーとしての最後のライブは、17年12月9日に香港で開催されたライブでした。
死去されたのは12月17日ですが、世間に公表されたのは12月23日でした。
葬儀は12月22日に親族のみで執り行われた。
安全地帯のギターで6歳の頃からの親友である矢萩渉さんはTwitterで、
田中ちゃん頑張ったね お別れもしてきました穏やかな顔でした 田中ちゃんゆっくり休んでね いつの日かまたね…
安全地帯の初代ドラムで、玉置浩二の実兄でもある玉木一芳さんもTwitterで、
「最後は人生悔いのないようにで一致 太く短い人生かもだけどお疲れ様でした。合掌」
と、追悼コメントを出しています。
玉置浩二さんは追悼コメントらしいのは出していませんが、死去した後に安全地帯での紅白出場が決定したので、紅白本番で、正式に追悼をすることでしょう。
安全地帯の紅白出場が決定。手前には玉置浩二の「SONGS」が話題になっていた
田中裕二さんの死去が発表された12月23日ですが、その直後に安全地帯の紅白出場が発表されました。
死去に合わせたサプライズ感がありますが、バンドは今年40周年だったということで、もともとは隠し玉候補になっていた可能性が高いです。
また、田中さんの死去が発表された前日の12月22日には玉置浩二さんがNHKの「SONGS」に出演し、バンドとしての過去の名シーンを振り返ると共に、その裏側について告白されました。
番組では安全地帯というバンドの楽曲の素晴らしさと、玉置浩二さんのプロ意識が伝えられ、その日は”安全地帯”と”玉置浩二”がトレンドとなっていました。
2022年12月23日 | 安全地帯の紅白出場が決定 |
2022年12月23日 | 田中裕二さんの死去が発表 |
2022年12月22日 | 玉置浩二がNHK音楽番組「SONGS スペシャル」に出演 |
2022年12月17日 | 田中裕二さん死去 |
安全地帯のファンは、これだけバタバタと振り回される40周年になるとは想像もしていなかったことでしょう。