玉置浩二の昔の配偶者。元妻/薬師寺ひろ子や安藤。歴代の奥さんまとめ

玉置浩二さんのお嫁さんといえば、現在の青田典子さんのイメージですね。

馴れ初めから結婚式、現在まで惚気話ばかりで幸せそうです。

玉置浩二さんにとっての運命の女は、間違いなく青田典子さんです。

ただ、青田典子さんに行き着くまでに、それなりに回り道もありました。

恋多く人生を歩む玉置浩二さんは、過去に3度の結婚と離婚を経験してます。

入籍こそはしなかったものの、結婚することを考えていた女性もいます。

今日は、歴代の玉置浩二さんの奥さんについて振り返ってみたいと思います。

玉置浩二の歴代の嫁。一般女性、薬師寺ひろ子、安藤さと子、石原真理子、青田典子。

職業 結婚した年 離婚した年
一般人の女性 一般人 1983年 1986年
薬師寺ひろ子 女優 1991年 1998年
安藤さと子 ミュージシャン 1999年 2007年
石原真理子 女優 2009年(入籍せず) 2009年
青田典子 元モデル 2010年 現在も嫁

キャリアのほとんどを”既婚者”として過ごしたモテ男

玉置浩二さんの結婚歴を見てると、長いキャリアの中のほとんどを既婚者として過ごしてることが分かります。

男前で才能豊かな玉置浩二さんは若い頃からモテモテなので、むしろ結婚して一途になってる時間が長く、結果的に遊んでる女は少ないです。

1983年の若手時代の一般人女性を皮切りに、離婚した5年後に再婚。

再婚して離婚した1年後に再婚。

さらに再婚した2年後に石原真理子さんと事実婚状態。

石原さんと破局した1年後に青田典子さんと再婚したという流れです。

最初の結婚の1983年から最後の結婚の2010年までの27年間、独身でいたのは僅か7年間だけです。

玉置浩二の最初の結婚。初婚の相手は同じ北海道出身の一般人

玉置浩二さんが最初に結婚したのは1983年のことです。

「安全地帯」のボーカルとしてデビューした僅か2年後のことです。

結婚した相手は玉置浩二さんと同じ北海道出身の一般人の女性です。

その女性と結婚した同年に、安全地帯は「ワインレッドの心」を大ヒットさせ、バンドの名前を全国区としてました。

結婚して早々に仕事で結果を出せたという点、かなりの運を持った女性だったと言えます。

ただ、スター歌手となり、俳優としてデビューした1986年には離婚してしまいます。

最初の嫁さんとの間に子供はいませんでした。

1991年に薬師寺ひろ子と再婚。馴れ初めは歌曲”コール”?離婚理由

1986年に初婚の相手と離婚した玉置浩二さん。

その後は5年間は独身生活を送ります。

独身になった1年後の1987年にはソロデビューを果たします。

薬師寺ひろ子さんと再婚したのは1991年なので、5年間は独身生活を送ったことになり、これは玉置浩二さんのキャリアの中で最長であります。(常に美女と結婚してる男なので)

離婚後からの5年間こそが、玉置浩二さんが最も仕事に比重を寄せた期間であったのではないか?と推測されます。

薬師寺ひろ子さんと知り合ったのは離婚後の1年後の1987年に『胸の振子』の作曲で知り合い、その後に交際に発展。

1991年1月にふたりは結婚し、当時は大物カップルの誕生と大きな話題となったのです。

玉置浩二と薬師寺ひろ子の結婚式。離婚理由はDVや両親との不仲?

玉置浩二さんと薬師寺ひろ子さんは1991年に結婚し、ハワイのマウイ島で挙式しました。

玉置浩二さんは会見で『どんなことがあっても最後まで一緒にいたい』と、薬師寺ひろ子さんこそ運命の女だと明かしていました。

新婚時代はおしどり夫婦として知られていた二人でしたが、結婚から7年後の1998年6月に突如として離婚を発表し、世間を賑わせました。

表向きはおしどり夫婦だった二人ですが、実は家庭内では玉置浩二さんのDVがあったり、玉置さんと薬師寺さんの両親が不仲だったりと色々と噂がありました。

この離婚発表には少し逸話があります。

薬師寺ひろ子の誕生日パーティで離婚発表で重苦しい雰囲気

玉置浩二さんと薬師丸ひろ子さんが離婚を発表したのが、1998年6月に開催された薬師丸ひろ子さんの34歳の誕生日パーティーだったのです。

玉置浩二さんが司会を務めるパーティーは大いに盛り上がっていましたが、パーティーの最後に突然玉置浩二さんが『今日で別れます』と爆弾発言。

薬師丸ひろ子さんも『そういうことです。(離婚)届けはこれから出します』と離婚を発表

華やかな場が一変して重苦しいムードとなり、誕生日パーティーが『離婚披露宴』に変換されてしまったのです。

1999年に歌手でキーボード奏者の安藤さと子と結婚。馴れ初めも離婚理由も”音楽”

1998年に薬師寺ひろ子さんと劇的な離婚をした玉置浩二さん。

3回目の結婚相手は同じミュージシャンの安藤さと子さんです。

玉置浩二さんと安藤さと子さんは1995年のツアーに安藤さんがキーボートで参加したことがきっかけで知り合いました。

知り合った4年後の1999年に結婚を発表しました。

安藤さんと玉置浩二さんは本職の音楽で通じ合っていたこともあり、長くラブラブでありました。

結婚した6年後の2005年にもスポーツ紙の取材に手を繋いで登場し、「一番の理解者」だと安藤さんに熱視線を送っていました。

しかし、そのインタビューの2年後の2007年に突然離婚を発表しました。

安藤さと子と玉置浩二の離婚理由は音楽中心の生活と石原真理子の暴露本?

公私ともに順調だった玉置浩二さんと安藤さと子さんでしたが、結婚から8年後の2007年12月1日に離婚を発表しました。

玉置浩二さんと安藤さと子さんの離婚理由について、『2人の生活スタイルが異なるようになったこため』と明かしています。

当時の公式ホームページでは離婚理由について、

「結婚してから8年の年月がたち、2人の生活スタイルが異なるようになりました。お互いに話し合い、仲良しでいるために選んだ道です」

とのコメントを発表していました。

2006年のツアーに嫁の安藤さんは参加していましたが、2007年のツアーには参加していなかったことで、雲行きが怪しいと言われていた矢先でした。

表向きな離婚理由とは別に、玉置浩二さんの音楽中心の生活や安藤さんが”普通の夫婦の形”を求めたことも理由とされてます。

また、2006年の年末に玉置さんが昔に交際していた石原真理子さんが暴露本を出版。

その暴露本にて、玉置さんのDVや不倫や心中騒動を明かしたことも少なからず安藤さんとの夫婦生活に影響したとされてます。

入籍できなかった石原真理子。破局理由はDV?新婚旅行で喧嘩?

玉置浩二さんと石原真理子さんは、実は昔に交際していたそうです。

その詳細については2006年12月に出版した自伝『ふぞろいな秘密』にて綴られています。

前嫁・安藤さんとの離婚理由に関係があったのでは?と言われるほどに過激な内容でありました。

自伝には全盛期である1980年代の自身のことを中心に綴っており、当時の玉置さんとの不倫や暴力被害について、詳しく書かれていたのです。

驚くべきは、石原さんと玉置さんはこの本の出版をきっかけに再び連絡を取り合うようになり、恋愛に発展したということです。

婚姻届けを受理されず。玉置浩二と石原真理子が別れた理由

奇跡の再会と復縁に芸能界は湧きましたが、まさかの1年未満で破局を迎えました。

玉置浩二さんと石原真理子さんは2009年3月から新婚旅行に出かけるなどラブラブでした。

しかし、旅行から帰国後すると関係が悪化

2009年9月に法律上夫婦にならないまま破局しています。

破局する1ヶ月前に出演したスマスマでは、夫婦ラブラブな姿を見せたばかりで世間は驚きました。

スマスマでは石原さんが「24時間一緒にいます」とラブラブぶりをアピールしていたにも関わらず、驚きです。

原因としては2009年2月、石原真理子さんと婚姻届けを提出したのですが、ここに問題があったとされてます。

石原さんは2003年にアメリカ人男性と結婚し、2004年に離婚したとされていました。

しかし、石原真理子さんと前の旦那の離婚が成立していなかったことから、婚姻届けを受理されなかったことが関係あるとされています。

ちなみに石原さんは玉置さんが自分と別れてすぐに青田典子さんと熱愛が報じられるとお怒りモード

ブログでは「一方的別離」「人として未解決なことあります」と玉置さんを批判していました。

現在の嫁・青田典子と運命の再会。結婚歳月最長を更新!

玉置浩二さんの現在の嫁・青田典子さん。

実は彼女が20歳の頃に3ヶ月から半年ほど交際していたことがあったそうです。

再会して復縁したきっかけは、2009年にマイケルジャクソンが亡くなり、マイケルと同い年の自分はもっと頑張らないといけないと、過去の安全地帯のメンバーと久々に連絡したときです。

過去のメンバーと連絡してる際に、バンド時代に交際していた彼女のことを思い出し、”青田典子さんは何してるんだろう?”と気になって連絡したのが再会した理由です。

数十年ぶりに復縁し、すぐに結婚。

当時は「どうせ、すぐに離婚する」とマイナスなイメージでしたが、現在までにラブラブは継続されてます。

すでに結婚して10年以上が経過してるので、玉置浩二さんの過去の結婚生活の中で最長となりました。

きっと、青田典子さんこそが、玉置浩二さんにとっては運命の女なのです。

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