2019年に紅白板合戦に出場して以来、快進撃を続けるOfficial髭男dism。
ヒット曲「Pretender」をリリースした後もハイクオリティな楽曲を続けて作り続け、さらにはライブやメディアでの佇まいや言動からは「天才」と呼ばれています。
作詞作曲能力、歌唱力、ブランディング、どの点においても完璧なのです。
そんな藤原聡さんの経歴を振り替えてみると、大学を卒業した後に地銀務めだった過去があり、社会人としての経験が今のバンドの飛躍に恩恵を与えているのではないか?と思いました。
今日は藤原聡さんの生い立ちや家族、そして学生時代、銀行員時代を振り返って、どうしてあのような天才が作られたのか考察してみたいと思います。
藤原聡の学歴と職歴。国立大学卒業後に島根銀行の営業マンとして苦しむ
氏名:藤原聡(ふじはらさとし)
生年月日:1991年8月19日
血液型:O型
出身地:鳥取県米子市
身長:164cm
家族構成:父・母・自分・妹
結婚:既婚(2019年11月22日)
所属:Official髭男dism
出身小学校:米子市立義方小学校
出身中学:米子市立後藤ケ丘中学校
出身高校:米子東高校
出身大学:島根大学
藤原聡は地元・島根県で最も偏差値の高い「米子東高校」で音楽と勉強を両立させた
藤原聡さんは鳥取県米子市出身です。
勉強は好きだったようで、中学を卒業すると地元の島根県でも一番偏差値の高い米子東高校に進学します。
当時の藤原聡さんはドラムの練習に励みながら勉強も両立させていたそうです。
RADWIMPSの野田洋次郎さんも、バンドと部活を両立させ、後にバンドを休止して勉強に戻り慶應に受かったという実績がありますね。
天才系ミュージシャンの青春というのは音楽+何かの両立が鉄板らしいです。18歳までに人間性の9割の形成が終わると言われているので、この時期に音楽と兼ねて別の努力ができることが重要ということですね。
藤原さんは自身の学生時代をこう振り返ってます。
藤原:僕はドラマーだったんですけど、勉強もしなきゃいけなかったから、“勉強の合間には、休憩で楽器を練習する”っていうのはすごくやってました。あと、一番自分の中で良かったなって思うことが、勉強も毎日するだろうからギターの練習も1日にまとめて5~6時間やるんじゃなくて、毎日15分でも30分でもいいからやることが大事だと思うんですよね。最初ってどうしてもピックが当たる角度とかギターを押す弦の間違いとか、体に覚え込ませないといけないことがたくさんあるから、体に覚え込ます系は一夜漬けや1日集中よりも、何日も何日もちょっとずつやっていった方がいいと思う。
とのことです。
藤原聡は国立大学に進みOfficial髭男dismの天才集団と出会う
藤原聡さんは名門校を卒業した後は、地元の島根大学法文学部法経学科に進学します。島根大学法文学部の偏差値は「50.0~52.5」くらいで普通ですが、この選択が人生を好転させます。
有名なインフルエンサーのひろゆきさんも、過去に国立大学に進む恩恵について語っています。
藤原さんは大学時代に同じ軽音部に所属していた楢崎誠、松浦匡希、そして他校で仲が良かった小笹大輔3人とともに2012年6月7日、Official髭男dismを結成します。
小笹大輔さんは東京大学を狙えるぐらいの学力を持っており、その他のメンバーも島根大学の偏差値以上の頭脳を持った賢い方ばかりです。
この秀才軍団との出会いが、今のヒゲダンに繋がっているのです。
多くのメンバーが大学を卒業した後はバイトをしながらバンド活動に励むことを決意しますが、藤原さんは大学卒業後、「島根銀行」に就職します。
藤原聡の下積みはバイトではなくスキルを求めらる銀行員
Official髭男dismのボーカルを務める藤原聡さんが、髭男でメジャーデビューする前に地元・島根の島根銀行で2年間営業マンを務めていたことは有名ですね。
藤原さんは地元で就職をしながら音楽活動をしていたのですが、このことについては、インタビューで「音楽を趣味でやろうと思ってて」と話されてます。
地元で働きながら音楽を趣味でやろうと思ってて。ライブもできますし。
だから、普通に就活しました。東京に行きたいとか、音楽レーベルに務めるとか、そういう気持ちもなかったです。
趣味のつもりのバンド活動も早くからレーベルやライブハウスに声がかかり本格的なものとなってしまいました。
藤原聡は銀行員とバンド活動を根性で両立させた?
それでも銀行銀当時は定時に退社できていたこともあり、19時スタートのライブにも間に合っていたのだとか。
日曜日に東京でライブがあるときには、土曜日に夜行バスに乗って会場入りし、トップで歌ってその日のうちにまた夜行バスに乗って帰宅するというなんともハードスケジュールな日々を送っていたそうです。
最終出勤日に上司が藤原さんに手紙をくれたそうで、以下のような内容が書いてあったのだとか。
「本当はもっといろんなことを教えていこうと思っていたけれど、きみの音楽が素晴らしいことも知っていた。これからどんなに辛いことがあっても、耐え抜く心と素直さをすごく大事にしていけば大丈夫だよ」みたいなことを書いてくれていて。
この手紙は今でも藤原聡さんは大切してるそうです。
あの当時のハードスケジュールを乗り越えた過去があるからこそ、現在もレコーディングもライブ活動も妥協せずに頑張れてるのです。
天才・藤原聡を作った家族と生い立ち。両親と兄弟は妹だけ?
藤原聡さんの勉強や音楽の成果を見ていると、そんな彼を育てた親も天才なのではないか?と思ってしまいます。
家族構成は父と母と兄弟は妹だけで間違いなさそうです。
藤原さんは現在、親や家族について言及することは少ないです。やはりプライパシー的な部分で色々と気を使っているのでしょう。
過去のインタビューでご両親について語っているのは、「両親の影響もあって幼稚園のころからクラシックピアノをやっていた」ということなど間接的なことばかりです。
藤原聡のお父さんは学校の教師?
藤原聡さんのお父さんに関しては「小学校の教師ではないか?」という噂があります。
なぜ、教師だと噂されているのかはある大手掲示板に「藤原聡さんの父親が小学校の教師」だと記載されているからという理由なので、しっかりとした証拠はありません。
母親に関しては藤原さんが過去にツイッターで母の誕生日について言及してたりしてるので、名前が出せるぐらい仲良しのようです。
藤原聡の唯一の兄弟は妹のみ。年齢は5歳年下(2014年時点でセンター試験終わる世代)
藤原聡さんには妹がいます。
年齢は過去のツイッターの発言から5歳年下であることがわかっています。
「我が家も妹がセンター終えました。りうくんもお疲れ様ですね」
「ざきみやと俺の誕生日が一日違いな件。つまり一日違いの誕生日のうちの妹とざきみやの誕生日は同じ。こいけも同じとのこと。世はせめーな!」
家族の誕生日について言及してるとは、身内想いの優しい方なんだなと思います。
同級生に野球選手の九里亜蓮と横田誓哉(BLACK BOTTOM BRASS BAND)
ちなみに藤原聡さんの中学の同級生にプロ野球選手の九里亜蓮さん、高校の同級生に「BLACK BOTTOM BRASS BAND」で活躍する横田誓哉さんがいます。
島根県は有名人が少ないと言われてる中で、藤原聡さんが学生時代に出会った人たちはみんなポテンシャルが高いです。
これもきっと何かの縁なのでしょうね。