玉置浩二の若い頃のイケメンと今の色気。年齢ごとの髪型。生い立ち/実家

玉置浩二さんといえば、自然で美しい白髪がトレードマークです。

本人は白髪が生え始めた時期から、その色合いを気に入り、白髪染めはしないで自然体でいたそうです。

自然の産物である美しい白髪は、多くのファンがうっとりする彼の象徴です。

玉置浩二さんは現在も色気があって美しいですが、若い頃も美形のイケメンでありました。

今日は昔から現在までの玉置浩二さんの髪型などを振り返り、彼の華麗な経年経過を追ってみたいと思います。

また、若き玉置浩二さんを追うのと同時に、彼の生い立ちなどについても書いてみたいと思います。

若い頃の玉置浩二。イケメンで美しい?安全地帯時代の20代

玉置浩二さんは1982年にバンド「安全地帯」のボーカルとして世に出ました。

1983年に最初の結婚を経験し、同年に「ワインレッドの心」をヒットさせ全国区のミュージシャンの仲間入りを果たしました。

デビュー当時の玉置浩二さんは若々しくて凛として、正統派イケメンの類でした。

当時の玉置浩二さんは25歳という若さでした。

1986年には「ブルシアンブルーの肖像」にて俳優デビューを果たしました。

ヒゲが似合っており、大人の色気を手に入れた感じですね。

この映画のときは28歳でした。

20代とは思えない雰囲気を持っていました。

1987年にはソロデビューを果たしました。

29歳と、30歳になる手前にソロになったということですね。

アイメイクがキマっており、少し中性的なイメージに寄っています。

玉置浩二の30代。若い頃で最も安定したイメージ

20代の頃の玉置浩二さんはサイケっぽい印象だったり、ザ・フォークっぽかったりとイメージが落ち着かない印象でした。

デビューしてすぐに時期で、俳優の挑戦やソロデビューのこともあったので、それは仕方ないと思いますが。

30代になってからの玉置浩二さんは比較的に印象が落ち着いており、歴代最も正統派なイケメンだったと思います。

1989年の「行かないで」をリリースした当初の玉置浩二さん。

この当時で31歳です。

初婚の一般人の女性とは離婚し、業界人っぽい洗練された雰囲気に変わりました。

1991年には女優の薬師寺ひろ子さんと再婚されました。

当時で33歳です。

落ち着いた黒髪に、紳士服が似合っています。

1993年からは、すでに今の玉置浩二さんの色気の欠片が伺えます。

この当時で35歳です。

年相応な大人の色気があって素敵ですね!

1996年には誰もが知る名曲「田園」をリリースしました。

この時期の玉置浩二さんが”30代の玉置浩二”って感じで仕上がっています

当時にして38歳でした。

40代から色気が止まらない玉置浩二。ヒゲも白髪も似合うカッコイイ男

玉置浩二さんは四〇代から色気がガチです。

ほど良く白髪が生え始め、ヒゲも伸ばし始め、とても似合っています。

1998年のルーキーをリリースした時期の玉置浩二さんはワーク感があります。

当時にして40歳です。

2002年には安全地帯での活動を再開させ話題になりました。

当時にして44歳です。

白髪の量も増え、ヒゲは剃り落としいます。

良い意味でおじさんらしく、落ち着いたかっこよさがあります。

2005年にはドラマ「あいのうた」に出演し、8年ぶりのドラマ出演となりました。

当時にして47歳です。

美しいシワ感が、玉置浩二さんの優しい表情を作り、とても素敵であります。

ドラマの中での玉置浩二さんの役柄は、性格ブスな主人公に家族や人の幸せを伝える警察官であります。

ミュージシャンとして優しさや幸福、苦労を歌う玉置浩二さんの表現が生きた素晴らしい作品でありました。

50代以降の玉置浩二の色気

現在の玉置浩二さんは60代であります。

スタイルも維持され、歌唱力には説得力が増しています。

昨今では特に歌唱力が讃えられることが多く、第二の全盛期に入っているような印象です。

50代に再婚した青田典子さんとは現在もラブラブで、その頃から私生活も落ち着いています。

60代前後では健康上、いろいろと問題があった時期もありましたが、本人の持ち前のストイックさで乗り越えています。

これから、どんなおじいちゃんになるのか?、楽しみですね!

天才・玉置浩二の生い立ち・実家と家族

生年月日:1958年9月13日

出身地:北海道旭川市

身長:177cm

血液型:A型

出身高校:北海道旭川農業高等学校

職業:シンガーソングライター・作詞家・作曲家・編曲家・俳優

配偶者:青田典子

房子
不明
玉置一芳(ドラマー)
不明
青田典子(モデル)

五人家族の末っ子。祖母は民謡歌手!

玉置浩二さんの家族構成は、父親・母親・兄・姉の5人家族です。

玉置さんは意外にも末っ子です。

玉置浩二さんは子供の頃からスポーツが大好きで、音楽の英才教育を受けていたわけではなかったそうです。

実家は貧しく、小学校1年生の頃から中1まで新聞配達のアルバイトをされていたそうです。時代ですね。

実は玉置浩二さんの祖母は民謡の歌手であり、子供の頃からよく面倒を見てくれていたそうです。

その影響から、玉置さんも子供の頃から民謡を習っていたそうです。

祖母のルーツがあったおかげで、わずか3歳にして恋愛に関する楽曲を作曲していたそうです。

母の房子と兄は玉置一芳は安全地帯がメジャーデビューをする前のドラマー

玉置さんの父親と母親は一般の方ということもあり情報があまりありません。

子供の頃から両親とも共働きだったようです。

なので民謡歌手の祖母が玉置浩二さんをお世話をされていたのです。

父親の職業は旭川市役所の職員とネットでの情報では載っていました。

母親の名前は「房子」さんと言うようで過去の活動を辿ると関わりが見れます。

玉置さんは「純情」という曲を作っておりその歌詞が母親への思いだと言われています。

兄の玉置一芳さんは安全地帯がメジャーデビューをする前のドラマーでした。

時期的には安全地帯に参加したのは1973年です。当時のベースの宮下隆宏さんと共に加入されています。

ちなみに兄はレッド・ツェッペリンに憧れていた為ロックに傾倒し、ヤマハポピュラーソングコンテスト(ポプコン)第6回に初出場すると第11回を除く第13回まで連続出場されているほどに活発に音楽活動をされていました。

ちなみに、1977年6月に兄である玉置一芳さんは脱退されています。

兄は近年、妻の美記子さんのプロデュースをされ2014年にメジャーデビューを果たしています。

姉に関しては一般の方なのか情報が出てきませんでした。

玉置浩二の学生時代。中学時代にバンド結成し北海道旭川農業高等学校に進学

玉置さんの出身高校は北海道旭川農業高等学校です。

偏差値は45ですが、勉学よりも通学で選んだ説が濃厚です。

玉置浩二さんが初めてギターを習ったのは中学生の時です。

中学2年生の時に武沢豊さんを誘いバンド結成。その時にバンドは「インベーダー」という名前でその後「安全地帯」に改名されています。

玉置浩二さんは高校生になっても音楽に専念。その影響でせっかく進学した高校も1年足らずに中退されました。

高校を中退してからバイトをしながら音楽活動

中退されてからはアルバイトしながら廃屋をリフォームしたスタジオで本格的にプロを目指した合宿生活を送りました。

当然、大学には進学されていません。

ポプコン第12回では「昔にみたもの」で北海道代表で本選会に出場。

札幌市内にてFMラジオ番組の生放送に出演し5曲演奏。

安全地帯はメジャーデビュー前から地元では実力あるバンドとして有名で、周辺の人はいつブレイクしてもおかしくないと思っていたそうです。

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