小田和正の結婚。嫁・新井恵子との馴れ初め。子供嫌いで作らず

長いキャリアの中で多くの名曲を意味出した歌手の小田和正さん

オフコースから始まり、ソロとしてもヒット作を生み出し続け、日本の音楽界を代表する大御所といえます。

障害を持つ子供をテーマにしたCMで小田和正さんの「言葉にできない」の魅力がドッと広がりました。

小田和正さんはハートフルでドラマチックな曲を作る反面、私生活は毒を吐くことが多い普通の人間です。

私生活では家族と、どう対峙しているのか?どんな恋愛をしてきたの?

愛の絆を感じる楽曲を多く作曲された方だけに気になるます。

今日は小田和正さんの嫁さんと、子供について書いてみたいと思います。

小田和正は1983年に結婚。妻との出会いは中学時代のファンクラブ

小田和正さんは1983年9月3日に、現在の嫁さんと結婚しました。

当時の小田和正さんは35歳で、まだオフコースに在籍してる時期でした。

結婚相手は一般人女性の新井恵子さんです。

顔写真は過去にメディア雑誌に載ったことがあります。

年齢は29歳で、小田さんよりも6歳年下です。

10年と長い交際期間を経て、極秘で入籍していたようです。(両家の家族やメンバーにも内緒)

結婚当時の仕事は音楽プロダクションのアルバイトでした。

恵子さんは小田さんと同じ神奈川県横浜市出身で、学生時代(彼女が)から面識がある関係との噂もありました。

新井恵子との出会い。小田和正は中学生と嫁は小学生だった

名前 小田恵子(旧姓:新井)
生年月日 1953.5.24(小田さんの6歳年下)
実家 繊維関係の会社
兄弟 弟1人。妹1人。
出身高校 横浜共立学園
出身大学 女子美術短期大学卒業
仕事 音楽プロダクションに勤めていた
出身地 神奈川県横浜市

嫁の恵子さんは小田和正さんが中学生の頃から面識があったそうです。

つまり出会った頃の小田さんは中学生なので12歳〜15歳で、恵子さんは6歳〜9歳の小学生あったということになります。

同じ横浜出身ということで、同級生だったという噂があります。

小田和正さんは小学生の頃はキリスト系の学校に通い、高校は中高一貫の聖光学院で、大学は東北大学(建築学部)です。

可能性としては小田さんが通っていたキリスト系の学校の後輩で、そのつながりで教会や活動で恵子さんと面識があったなどです。

また、小田さんの実家が「小田薬局」と薬局だったことと、父親が地元の商店街の基盤を作った大物で顔が広かったということで、他の繋がりからも恵子さんと出会っていた可能性が考えられます。

妻の恵子と小田和正はファンクラブ結成の際に仲良くなり交際に発展

恵子さんは小学生にして小田和正さんと出会いますが、そこでは恋愛に発展していません。(してたら怖い)

横浜共立学園を卒業し、美術大学の短大生になった頃、再び小田和正さんと再会します。

短大時代に音楽プロダクションでバイトし、同じ頃にファンクラブの会報の制作担当者が 恵子さんの友人だったため、 恵子さんもたびたび 事務所にお手伝いに来ていたそうです。

友人がオフコースのファンクラブを作っていたのを手伝い、小田和正さんが結成したファンクラブ「オフコースファミリー」設立メンバーとなりました。

ファンクラブ結成を通じて友人とオフコースのメンバーとグループ交際が始まり、そこで恵子さんと小田和正さんは意気投合し交際に発展しました。

交際が始まったのは1973年は、恵子さんは19歳で小田さんは25歳でした。

嫁・恵子との間に子供がいない理由は小田和正の性格。子供が苦手?

結婚した当初から、小田和正さんに子供がいるという噂はありませんでした。

当時の嫁さんが若かっただけに、そのうちに自然に生まれる思われましたが、現在までに子供が誕生したとの情報はありません。

すでに結婚して半世紀が過ぎ、嫁さんも子供が産める年齢ではありません。

今後も、小田和正さんがお父さんになることはなさそうです。

しかし、なぜ、子供を産まなかったのでしょうか?

小田和正は子供が苦手。「大きな声ではしゃぐ子供が嫌い」

小田和正と嫁の新井恵子との間に子供は生まれていません。

理由は単純で、小田和正さんが子供が苦手だからです。

子供嫌いについては、過去に本人も発言されています。

「町で大声ではしゃぐ子供が嫌いで、もし自分の子供が出来たらそんなことしない子供に育てる自信がないから、子供がいないんです」

とのことです。

子供嫌いというと印象が悪いですが、小田さん自身は子供達に向けた作品を作ったことがあります。

父親としての責任を大袈裟に感じていただけだと思われます。

自身のライブでは、来場した子供にマイクを向けることもあり、実際は子供のことが嫌いなわけではなさそうです。

小田和正が嫁・恵子のために作った曲「I LOVE YOU」(81年)

半世紀近くにも及ぶ、小田和正さんと恵子さんの夫婦生活。

特別に愛妻家という情報はありませんが、別居や離婚の危機というネガティブな報道もありませんでした。

それでも、過去には嫁さんの為に作った楽曲をリリースしたことがあります。

それは1981年発売の「I LOVE YOU」です。

同楽曲の「あゝはやく九月になれば、I LOVE YOU」という歌詞は、結婚を待ちわびている心境を意味しています。

歌詞の内容通りにリリース1年後の9月に結婚

楽曲リリースの1年後の1982年9月に結婚し、次の年の九月に入籍する新井恵子さんに捧げた歌を作り、本当に歌詞通りに想い叶えた流れでした。

その後のインタビューでも、

「そのすべてをこのキーワード(I LOVE YOU)で乗り越えていけたらな」

と語っています。

この曲の裏話としては、当時のオフコースの脱退劇への想いや、1980年12月8日に暗殺されたジョン・レノンへの想いも、同曲の中に含ませていたようです。

夫婦仲は良好で2人での目撃が多い

小田和正さんは嫁さんとゴルフに行くなど、夫婦仲はとても良いようです。

あるファンのブログでは、自宅の前で小田和正さんに会い、サインをもらっている写真をアップ。

その写真にもきっちりと奥さんの後ろ姿が写っており、当時から”近くにいて当たり前”な相方的な雰囲気が漂っていました。

また、週刊誌に不倫を匂わせるタイトルで記事を書かれたことがありましたが、一緒に写っているのは奥さんでありました。

当時の記事でも夫婦で仲良さそうな姿が綴られていました。

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