
2017年に待望の復活を果たした伝説のバンド「T-BOLAN」。
活動が再開されなかった理由にはボーカルの病気がありましたが、現在までにメンバーやファンの支えの元、元気に活動されております。
コロナ禍ではありますが、これまでに順調に活動してきたT-BOLAN。
しかし、2021年8月に、またもやショックングなニュースが報道されました。
それはバンドのドラマーでありリーダーである青木和義さんが、音楽活動を休止するということで、一時的にT-BOLANの活動から外れることが発表されたのです。
今回は青木和義さんが活動休止して理由と、実家家業について調べてまとめてみました。
T-BOLAN・青木和義が実家家業を継ぐために活動休止を発表
2021年8月27日に青木和義さん本人が自身のブログの中で、活動休止することを発表しました。
ロックバンドT-BOLANのドラム青木和義(54)が、27日をもって活動を休止すると発表した。
バンドの公式サイトで「私、T-BOLANドラム青木和義は本日を持ちましてT-BOLANの活動を休止することをご報告させて頂きます。長い間、T-BOLANを応援してくださっている皆様には多大なるご心配をお掛けしますことを本当に申し訳なく思います」と報告した。
コロナ禍が背景にあり、地元岐阜での家業を守るための「苦渋の判断」だったという。
青木は「自分自身T-BOLANドラマーとして音楽活動を行っていく上で、一方で個人青木和義として地元岐阜にて、譜代から引き継いだ家業をこれまで両立してまいりましたが、昨今のコロナ禍の中、度重なるツアーの中止などを受け、これから先の人生を見つめ直す機会が増えました。メンバーとも幾度も話を重ねてまいりましたが、苦渋の判断で家業を守るため当面の期間T-BOLANの表舞台の活動を休止することを決心しました」とした。引用元:Yahoo!ニュース
活動休止の理由は、岐阜県の実家の家業を継ぐ為だと説明されてます。
過去にドラムの先生などのお仕事をしていたので、てっきり先生の仕事などを続けるのかと思いましたが、今後は実家家業に専念するみたいです。
T-BOLAN・青木和義のブログでの挨拶。活動休止の理由と今後
私、T-BOLANドラム青木和義は本日を持ちまして T-BOLANの活動を休止することをご報告させて頂きます。
長い間、T-BOLANを応援してくださっている皆様には多大なるご心配をお掛けしますことを本当に申し訳なく思います。
自分自身T-BOLANドラマーとして音楽活動を行っていく上で、一方で個人青木和義として地元岐阜にて、譜代から引き継いだ家業をこれまで両立してまいりましたが、昨今のコロナ禍の中、度重なるツアーの中止などを受け、これから先の人生を見つめ直す機会が増えました。
メンバーとも幾度も話を重ねてまいりましたが、苦渋の判断で家業を守るため当面の期間T-BOLANの表舞台の活動を休止することを決心しました。
今後は、地元岐阜に根付いた生活基盤設計に専念し、数年前から立ち上げた音楽やドラム演奏を楽しめる店の運営にも携わっていく所存です。
自分自身の思いで、長年一緒に歩んで来たメンバー、そして応援してくださったファンの皆様にご迷惑、ご心配お掛けすることを思うと、なんとも説明しがたい気持ちで胸がいっぱいになり、本当に申し訳なく思いますが、あたたかく見守っていただけたら幸いです。
T-BOLAN 青木和義(KAZ)
青木和義の出身・地元・年齢
名前:青木和義(読み:あおき かずよし)
生年月日:1966年11月13日
出身地:岐阜県本巣市
血液型:A型
担当:ドラム。リーダー。編曲。
17歳で上京
1987年T-BOLAN前進となるロックバンド プリズナーを結成。
第二回BADオーディション(being主催)でグランプリを獲得。
バンド名をT-BOLANに改名 1991年アースシェーカーのボーカル、マーシーをサウンドプロデューサーに迎え、悲しみが痛いよでT-BOLANメジャーデビュー。T-BOLANでは「離したくはない」「 Bye For N ow」など数々のヒット曲を生み出す。
1999年:解散
2012年:再結成ライブ
2017年:本格的に活動開始
青木和義の実家は柿農家。家業は嫁と子供のために?
今回の活動休止の報道の中で気になったのは青木和義さんの実家ですね。
家業というのは、主にどのような仕事なのでしょうか?
調べてみると、青木さんの生まれ育った岐阜県本巣市は柿農家が多く、また本人のサイトの関連ページに柿があるために、柿農園なのではないか?という説が強いです。
青木さんはすでに結婚され子供もいる方なので、自分から子供に仕事を継がせたい気持ちがあるのでしょう。
過去に実家の岐阜でバスの運転士の仕事をしていた?
T-BOLANは2017年に本格的に活動を再開させましたが、それまでは各々に別々の活動をされていました。
当時、青木和義さんは実家のある岐阜県でバス運転士の仕事をしていたそうです。
今回の家業の報道で、実家がバス会社だと勘違いしてる人もいるみたいですが、それは間違いです。
ドラムの講師の仕事もできる方なので、なんでも出来る方ですね。
今後、柿農家を人に任せることができた頃に、またT-BOLANのドラマーとしてライブ復帰してほしいですね!
青木和義がT-BOLANおよび音楽活動を休止したことへの反応
・若い人は誰この人?となるでしょうね。おじさんおばさん世代には本当に懐かしい。54歳で人生の舵を全く違う方向に切るのは大変かと思いますが、地元のためにというのが素晴らしいなと思いました。改めて年表を見ると、紆余曲折あったバンドだなぁ
・中学生の頃、大ファンでした。中1でファンクラブに入り、中2でコンサートも行きました。学校じゅうがT-BOLAN好きでしたね。私は「遠い恋のリフレイン」が好きです。森友さん、ギターの五味さんが好きでした。コンサートあるなら行きたいです。子供連れて行きます。私は41歳になり、子育て、仕事、コロナ禍、色々ありますが、最近特に中学高校で夢中になって聴いた曲をまた聴きたい。最近のミュージシャンは聴きたいバンドがいない。
・去年、ツアー途中でコロナにより中断。思うような活動が出来ないまま休止は残念です。家業を継がれるとのことで、お忙しいでしょうが、またどこかで再結成することを願ってます!
・森友さんと青木さんから始まったT-BOLAN。森友さん復活後、バンド活動再開後、T-BOLANの名前をいろんなメディアで目にするだけで泣きそうになります。LIVE HEAVENで魅せてくれたパワフルドラムが忘れられません。いつの日かまた4人のT-BOLANが見たいです。苦渋の決断、どうかお元気で。ありがとうございました。