川田亜子さんといえば、2000年代に活躍したテレビアナウンサーです。
2008年に29歳の若さでこの世を去りましたが、彼女の死後、ネット上では多くの謎や陰謀論が持ち上がっています。
かつて川田亜子さんはTBSのアナウンサーとして活躍し、多くのバラエディ番組で独自の存在感を示し、持ち前の美貌で多くの視聴者を虜にしました。
フリーに転身した後も人気アナウンサーのひとりとして売れっ子のポジションを保っていました。
そんな彼女が突然、練炭自殺という形で死去してしまったということで、当時は世間に大きなインパクトを残しました。
今日は生前の川田亜子さんがどのようなアナウンサーだったのか?ということ、そして、ネット上で囁かれている死の真相・陰謀論について書いてみたいと思います。
かつてケイダッシュの幹部の谷口元一さんと恋仲だったことや、残された遺書の内容、最後の恋人だったマット・テイラーさんの状況、他アナウンサーへの仕事の相談など、彼女に纏わる都市伝説のネタは後を絶ちません。
川田亜子の経歴。TBSに入社し強かな小悪魔キャラでお茶の間の人気者に!
本名 | 川田亜子 |
愛称 | あこちゃん |
生年月日 | 1979年1月17日 |
出身地 | 石川県金沢市 |
身長 | 163センチ |
没年月日 | 2008年5月25日(29歳没) |
出身小学校 | 金沢大学附属小学校 |
出身中学校 | 金沢大学附属中学校 |
出身高校 | 盛岡白百合学園高等学校卒業(在学時にアメリカ留学) |
出身大学 | 白百合女子大学文学部 |
資格 | 英語検定2級。フランス語検定2級。秘書検。 |
趣味 | スポーツ観戦。将棋。愛犬の散歩。 |
好きな色 | 白。ピンク。 |
好きな食べ物 | 母のコロッケ |
川田亜子は兄2人に医師の父を持つエリート。元々はスッチーに憧れていた
川田亜子さんの父は元金沢大学医学部助教授で医師と、とても優秀な方です。
兄弟は兄2人と、男性の多い家族で生まれ育ちました。
もともとはスチュワーデスを夢見ていたそうですが、911の同時多発テロの頃にニューヨークにおり、事件のショックからジャーナリストの道を志すようになりました。
2002年にTBSに入社しましたが、TBS以外にも1局の内定をもらっていたという、とても求められた人材でした。
2年目にアシスタントを担当した「爆笑問題のバク天」で人気アナウンサーの仲間入り!
川田亜子さんのキャラクターがブレイクしたのは、2年目の2003年にアシスタントを担当した「爆笑問題のバク天」です。
番組のロケで、”ランチタイムが終わった後に美女がおねだりしたら、ランチを出してくれるのか?”などいう検証企画に繰り出し、そこで生粋の小悪魔ぶりを発揮したのです。
川田亜子さんは”おねだり系”など、美女の武器を使用したロケに多く登場し、大抵の場合、”おねだり成功”という結果を出し続けたのです。
番組ではあたかも川田亜子さんが常日頃から、女の武器を上手く使って得してるというイメージが付けられました。
が、当時から川田さんは「普段はそんなことしない」「初めてです。(おねだり行為が)」と否定していました。
しかし、そのキャラがウケてからは、川田亜子さんも番組の為にキャラ作りをして、勇敢に小悪魔系キャラを演出し始めました。
ある時期にはバク天の収録中に、急性胃腸炎で倒れ、都内の病院に数日間緊急入院するということがありました。
今思えば、若くして自分を偽る大仕事にストレスを抱えていたのではないか?と言われています。
川田亜子は2008年に29歳の若さで車(ベンツ)で練炭自殺で死去
川田亜子さんは2007年3月23日でTBSを退社し、その後はフリーアナウンサーとして活動されました。
ケイダッシュという芸能事務所に所属する形で多くの番組に出演し、2007年4月に念願の報道キャスターの仕事を獲得しました。
2008年に入っても多くの番組に出演し、フリーアナとしての地位も確固たるものにしました。
しかし、そんな矢先、2008年5月26日の早朝に川田亜子さんは東京都港区海岸の路上に駐車していた白いメルセデス・ベンツ車内(社有車)で、倒れていたところを発見されました。
川田さんはドアにもたれかかり倒れており、その後に警視庁三田警察署により死亡が確認されました。
車内に練炭が発見されたことから、自殺と断定され報道されました。
順風満帆だと思われていた川田亜子さんの死去に、当時、世間は大きなショックを受けました。
亡くなった同月からブログに病み投稿。鬱と不安を伴う適応障害だった?
川田亜子さんは、死の直前まで綴っていたブログに、
「先週から口が回らなく、どうしたものかと悩んでおりました。普段から喋りがなめらかとは言えない私にとっても心配であり、不安が押し寄せてきます。特に心あたりもなく(中略)人生は無常ですね」(5月7日)
「いつもの私がまだ見つけられません」(5月8日)
「母の日に私は悪魔になってしまいました」「産んでくれた母に、生きている意味を聞いてしまいました。母の涙が 私の涙がとまりません。母の涙が耳の奥で響いているのです」(5月12日)
「元気になるまで、皆さんとこうしてお話をするのを休憩させていただきます」「やっぱり 自分の気持ちが伝えられないのは寂しいですね」(5月14日)
「言葉が・・・出てこないので、今日は書くのをやめようと思います」(5月21日)
「仕事の合間 一番苦痛であります。昔は本を読んだりお茶をしたり、ぽーとしたり。楽しかったのに…今はせつないです。豪華なホテルのロビーで優雅に幸せそうにしている方々を眺めてながら、移りゆく景色に胸がきゅーとしめつけられます」(5月22日)※最後の投稿
などと精神的に不安定な内容の投稿をしていました。
そんなことから、精神科医は当時の川田さんが「鬱(うつ)と不安を伴う適応障害」だったと診断していました。
ちなみに川田さんの最後のテレビ生出演となった08年5月24日に生放送されたテレビ朝日系番組「サタデースクランブル」では、青木ヶ原樹海での自殺を扱った特集も組まれ、川田さんは終始うつろな様子でした。
所属事務所は2008年5月26日に、
「5月上旬頃から様子がおかしいと感じ、本人に直接確認したところ大丈夫だと言っていました。体調が悪い様子ではありましたが、心配しつつも仕事はしっかりとしていたので安心していました。今回の件につながる理由が皆目見当もつきません。所属事務所としては、本当に驚いているとしか言えません」
とコメントを出しており、事務所的にも川田さんの異変の変化には気が付いてはいたそうです。
細木数子との共演で号泣。
川田亜子の死の真相。中絶し婚約破棄説。恋人のマット・テイラーと元カレの谷口元一
川田亜子さんが自殺した理由には、さまざまな憶測が出ています。
多くは、
・男関係
・仕事の悩み
などの説が強いです。
川田亜子さんが亡くなる最後に書いたブログの文章や、発見された遺書の内容から、多くの都市伝説が登場してます。
一部メディアが伝えた恋人、元カレの存在や、亡くなった数年経ってから周囲の方からの言及もあり、謎は深まる一方です。
”悪魔になった”。最後のブログと遺書の内容は中絶を意味していた?
川田亜子さんは、付き合いっていた芸能事務所の方との間に子供を妊娠し、それを中絶し病んでいたとの仮説があります。
異性トラブルの説に関しては、一部メディアでも報道があったほどです。
残された遺書と、亡くなる日の数日前に書いたブログの内容からも、点と線で結ぶことができます。
川田亜子さんは5月12日の”母の日”に、ブログで「母の日に私は悪魔になってしまった」と投稿しています。
ある事務所の社長と付き合い婚約寸前までいって妊娠し、子どもを母の日に堕胎して鬱病になり、自殺に至った可能性も高いとされています。
そして、その精神的ショックから病を発症し、人前で仕事ができるようなメンタルでなく、仕事もダメになっていたとの見解です。
川田亜子の最後の恋人マットテイラーと交際が噂されたケイダッシュの谷口元一氏
川田亜子さんはTBSを退社した後、報道などの仕事を求め、ケイダッシュという大手芸能事務所に所属し、仕事を取っていました。
ある時期に、そのケイダッシュの幹部である谷口元一さんと交際の噂がありました。
ネット上で多く語られる川田亜子さんの都市伝説では、
・川田亜子はフリーで仕事を取るために権力者と交際
・権力者との子供を身籠もり、子供を産みたかった。
・しかし、婚約が破棄し中絶をしなければいけなかった。
・そのショックから精神的に病み、仕事もできないメンタルになり追い込まれた。
⇧という内容が多いです。
しかし、川田亜子さんが最後に交際していた男性は芸能事務所の社長ではなく、平和活動家のマット・テイラーさんです。
つまり、権力者との将来が破綻したことが、そのままダイレクトに死に繋がったとは言い難いということです。
川田亜子の遺書はマット・テイラーに宛てた?谷口氏とのトラブルも?
川田亜子さんの遺書の中に綴られていた謎のメッセージは、生前の恋人だったマットさんに宛てられた内容であります。
助手席には家族あてとみられる白い封筒に入った遺書と、「××さんへ」とあて名があり「本をありがとうございます」「心の底に置いておきます」などと書かれたメモ書きがあった。遺書には家族への感謝の言葉が書き連ねてあったという。
つまり、川田亜子さんが最後まで好意的に想っていた異性は、元恋人ではなく最後の彼氏だったマットさんだったとの見方があります。
ただ、不思議なことに、このマットテイラーさんと谷口さんの間に、数々のトラブルがあったということです。
川田亜子の死後に谷口さんが元ミスコン・吉松育美にストーカー報道。女性が敗訴し謝罪も新事実登場?
谷口元一さんは、川田亜子さんが亡くなって数年後に、2012年度のミス・インターナショナルの吉松育美さんに対するストーカー疑惑で話題になりました。
ストーカー疑惑の内容は、
・収録現場に押しかけて吉松を追いかける
・実家に電話をかける
・探偵を使って自宅を撮影させる
・仕事関係先に電話をかける
という行為です。
被害を訴える吉松さんは、谷口さんを威力業務妨害で警視庁に刑事告訴、あわせて東京地裁に民事提訴しました。
この谷口さんのストーカー疑惑から、過去にも気に入った女性とうまくいかないと同様に圧力をかけ、過去には榎本加奈子さんや畑野ひろ子さん、井川遥さんらも同じ形で一時芸能界から仕事を干されたという憶測も登場しました。
さらに、その女性の近くに男性も芸能界に追われ、過去には芸能界のプレイボーイ・田村淳さんや、畑野ひろ子さんの共演者だった柏原崇さんにも圧がいっていたとのことです。
さらに、一部週刊誌では他殺説まで出るという、闇をより一層深くさせました。
吉松育美の背後にマット。敗訴し全面に謝罪するが川田亜子の件が蒸し返される
谷口さんが吉松さんに圧をかけているとの報道が出たことで、川田亜子さんとの過去の関わりがネット上で蒸し返されました。
当時の川田さんが谷口氏の元を離れて、マット・テイラーという新しい恋人ができたことで嫉妬し、仕事を干し、追い込まれた川田さんが自殺し、谷口さんとマットさんの間に因縁が残ったとの見解もできるということです。
驚くべきは、吉松さんの後ろに、川田亜子さんの最後の恋人であるマットさんがいたということです。
川田亜子さんに続いて、吉松さんと2人続けて谷口さんとマットさんで関わりがあったということです。
続けて「確かに谷口氏の行為は事実だし、批判されてしかるべき。ただ、吉松の後ろにいるのは、谷口氏が原因で自殺したとウワサされる川田亜子さんの元恋人マット・テイラー。マットと谷口氏の間では、金銭トラブルも生じており、個人感情やしがらみも混ざっている。すべての事実関係が判明するまで『どちらの肩も持てない』というのがマスコミの統一見解なんです」と語る。
「訴訟を起こしたのは間違いありません。これで真実が、亜子が殺されたという事実が(裁判のなかで)出てくる。(川田さんへの)脅迫や恐喝について、僕はすべて一緒に事実を見ているし、聞いている。これが裁判のなかで公になる」
マット・テイラーさんは谷口元一さんを相手取り、自身の基金に対する谷口さんのの業務妨害などを争点に提訴しており、その中で川田さんの死の真相も明らかになるだろうと語っています。
しかし、結果的には吉松さんが谷口さん側に全面的に謝罪し、過去の発言の全てを撤回する形となりました。
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日本テレビ放送網株式会社内において吉松育美氏に暴行を働いたこと
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吉松育美氏のスポンサー候補企業に対して圧力をかけて業務を妨害したこと
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吉松育美氏の家族に連絡をして脅迫したこと
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ミス・インターナショナルの主催者に連絡をして吉松育美氏が世界大会に出席できないよう働きかけたこと
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吉松育美氏のスキャンダルを徒らに公表するために、自宅兼事務所を調査会社に調査させたこと
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裁判所に対して虚偽の報告をして執行官に吉松育美氏の住居兼事務所内で動産執行を行わせたこと
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雑誌『週刊新潮』に吉松育美氏を誹謗中傷する内容の記事を掲載させたこと
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「谷口元一氏が川田亜子氏の自殺に関与した」との記事を自身の Blog や facebook に掲載し、外国人記者クラブにおける記者会見、および CBS ラジオで同様の発言をしたこと
↑これら全ての発言を撤回したことで、川田亜子さんの真相究明は先延ばしにされたのです。
マット・テイラーのポジションの謎。余計に闇が深まる
ある報道では、吉松さんとマットさんが出会った場所が、川田亜子さんと出会った場所と同じだったということでマットさん側の闇も見えてきました。
「マットと吉松が交際したきっかけは、マットからの誘いです。六本木にある芸能人御用達の複合書店で声をかけたといいます。いつもの手口で、実は川田アナもここで声をかけたのが始まりだったそうです。吉松を誘った時期は、川田アナが亡くなられて少ししかたっていなかったと‥‥」(芸能プロ幹部)
しかも、マットさんと吉松さんと出会った時期が、川田亜子さんが亡くなって間もない時期だったというのも偶然としては出来過ぎな気がします。
生前の川田亜子が細木数子の前で号泣。安住紳一郎は彼女のTBSでの孤立を把握し相談も‥
川田亜子さんのメンタルの変化は、死去される前のブログ以外にも露呈していました。
それは、2006年10月3日に放送された「細木数子のズバリ言うわよ」です。
彼女は番組の中で、局アナとしての悩みを細木数子さんに相談し、番組内で号泣していたのです。
川田亜子さんは自身がTBS社内で孤立していると相談し、細木数子さんに、
「悪キャラを局から押しつけられてるんでしょ。そして、それを甘んじて受けて、やりこなす中で守ってくれる人が周りにいないね? ちょっと、心に悩みがスゴくあるね?」
「悪キャラのイメージになって、孤独なポジションに入ってるんじゃないの?」
「公私混同しちゃダメ。仕事が来たら、悪キャラを大いに演じなさい。いいのよ、ビジネスなんだから。悪キャラに甘んじなさい。終わったら、パッとチェンジして」
「あなたほど美しく、しっかりしたお嬢さんがモテないわけないのよ。自信持ってやりなさい。泣いてちゃだめだ。泣くぐらいなら辞めなさい。歯をくいしばってやりこなす根性があって超一流のアナウンサーになる」
との言葉をかけられ、たまらず涙したのです。
TBSの局アナ時代から、川田さんは重みを背負っていたということです。
もともと彼女は報道のアナウンサーを希望していたということから、バラエディ中心の起用、予期せぬバラエディでのブレイクと、自分が望んだ道と逆に進んでしまったそうです。
2007年でフリーに転向したのも、報道のアナウンサーをやりたいが為でした。
実際にフリーになってすぐに受けた仕事は報道でした。
又、川田亜子さんが亡くなってから10年後に、彼女の先輩アナウンサーであった安住紳一郎さんが、生前の彼女から相談を受けていたことを明かしました。
安住紳一郎さんの告白を聞いてる限り、当時の川田亜子さんがTBSで相当辛い想いをしていたことが分かります。
安住紳一郎に”一緒に組もう”。川田亜子を突き放し後悔
川田亜子さんが亡くなって10年後の2018年に、彼女の先輩アナウンサーである安住紳一郎さんが、生前の彼女とのやり取りを告白したことがあります。
安住さんが川田さんについて言及したのは、2018年5月27日のラジオ番組「安住紳一郎の日曜天国」の中でした。
「川田亜子って女性アナウンサーが、私の後輩におりまして。ちょうど、一昨日で亡くなってから10年で。友人とか家族の別れとは、また違いまして...。あの、本当に、もう少し何かできたんじゃないかなと、変わらずにずっと考えています...」
と、ちょうど10年前に亡くなった川田亜子さんの名前を出し、涙声で当時の状況と後悔を語ったのです。
当時、安住アナ自身がアナウンス部で孤立しており、ちょうど同じ時期に川田さんから相談を受けたそうです。
「そのとき、まだ生きていた頃の川田が、夜中に俺のところにやってきて、『安住さん、私も孤立してしまいました。私と組みませんか?』って突然言ったんですよね。たぶん、川田は俺に甘えに来ていただけだと思うんだけども...。
と、夜中にわざわざ安住さんに相談をしに来たそうです。
しかし、当時の安住さんは川田亜子さんに対して、
でも、俺は俺で何か、『お前とのやり方は違う。お前は自分のやり方で仕事が煮詰まったんじゃないか』と少し突き放してしまった。そこに対しての後悔がものすごくあって。その後結局、彼女は自殺してしまうんだけど、本当に、その時のことを後悔しています。川田さんのことを大事に思っていた人には、申し訳なく思っています
と、やり方が違うから組むことはできない、自分の孤立は自業自得だと突き放してしまったのです。
安住さんは番組の中で、当時の自分が突き放さないで、もう少し話を聞いてあげていればと後悔の念を語っていました。
ラジオでの告白は翌日にすぐにネットで拡散され、当時からのTBSの閉鎖的な空間に驚く声が多くありました。
あくまで局アナ時代のことで、自殺とは直接関係と思われますが、フリーに転身した後の様々な軋轢に苦しんでいた背景をみれば、彼女がTBSで奮闘を続けていれば亡くなることもなかったのかもしれませんね。