オノ・ヨーコさんといえば、”ジョンレノンの嫁”というイメージが強いですね。
実はかなりのお嬢様で、ジョンレノンは3人目の旦那ということはあまり知られていません。
また、2人目の旦那と3人目の旦那との間にそれぞれ男の子と女の子の子供を産んでいます。
今日はオノ・ヨーコさんの歴代の旦那さんと子供、そして彼女の偉大な家系図について書いてみたいと思います。
オノ・ヨーコは3度の結婚で2人の子供。娘・キョーコと息子・ショーン。長女からは絶縁?
オノ・ヨーコさんは過去3度の結婚をし、2人の子供を産んでいます。
結婚時期 | 名前 | 離婚 | 子供 |
1956年 | 一柳慧(いちやなぎ・とし) | 1963年頃 | なし |
1963年6月 | アンソニー・コックス | 1969年2月 | キョーコ・チャン・コックス |
1969年3月20日 | ジョン・レノン | ショーン・レノン |
オノ・ヨーコさんの初婚は1956年の23歳で、相手は一柳慧さんです。
初恋の相手だったそうです。
彼は私にとって初めての恋人でした。だけど両親は彼が無産階級の育ちだったから気に入らなかった。
結婚を猛反対され・・・私は大学からも家からも遠ざかるようになりました。サンローレンスを退学しマンハッタンのアパートで新婚生活を始めました
親の反対を押し切っての結婚だったそうです。
最初の結婚相手の一柳慧さんとの間には子供は生まれませんでした。
2人目の旦那のアンソニー・コックス(Anthony Cox)さんと不倫後に妊娠、一柳さんと離婚し第一子の娘が誕生しています。
第一子の出産は30歳の頃ということになります。
その後にすぐにジャン・レノンと不倫関係に発展し、一度の流産、別居を経て1969年に第二子の息子が誕生しました。
誕生日 | 名前 | 父親 |
1963年8月8日 | キョーコ・チャン・コックス | アンソニー・コックス |
1975年10月9日 | ショーン・レノン(別名:小野太郎) | ジョン・レノン |
オノ・ヨーコと第一子の娘・キョーコ。親権を争い絶縁も現在は和解
オノ・ヨーコさんは1956年の23歳の頃に一柳慧さんと結婚しますが、一柳さんとの間に子供は生まれないまま、別居。
一柳さんとの離婚が成立する前の1963年6月(30歳)にアンソニー・コックスさんとの間に子供が妊娠が発覚し、一柳さんとの離婚が成立。
1963年の8月8日には第一子の娘(長女)・キョーコ・チャン・コックスさんを出産しています。
しかし、オノさんは1966年にジョン・レノンで出会うと不倫に走ります。
オノ・ヨーコさんは娘・キョーコさんとレノンさん共に遊ぶこともありました。
不倫関係で家庭をめちゃくちゃにしたにも関わらずオノ・ヨーコさんはキョーコさんの親権を取ろうと、法廷闘争まで行いました。
裁判では、当時5歳だったキョーコさんから「あなたにはもう会いたくない」と言われ、完全に連絡を絶たれ絶縁されてしまいました。
長く絶縁状態だったオノ・ヨーコさんと長女のキョーコさんですが、キョーコさんが20代の時に結婚すると、旦那の勧めで連絡を取り、キョーコさんは子供がおばあちゃんとの接点がないとかわいそうとのことで、再会し仲直りしてます。
ちなみにキョーコさんの親権を取った父のアンソニーさんは、ヨーコさんが親権を放棄する前まで、二人がキョーコに近づくことを脅威に感じていたそうです。
”オノさんとジョン・レノンさんから隠れるために、キョーコさんと共にカリフォルニアのカルト集団に身を寄せていた”という都市伝説まであったほどです。
第二子の子供。息子・ショーンレノンは現在も両親を尊敬?
1966年に出会い不倫関係になったたオノ・ヨーコさんとジョンレノン。
1968年11月21日に不倫相手であったジョンレノンさんとの子供を妊娠しますが流産。
1969年年2月にようやくアンソニーさんと離婚、1ヶ月後の1969年3月20日にヨーコさんとジョンさんは挙式。
当時ヨーコさんは36歳、ジョンさんは28歳で、ヨーコさんは7歳上の姉さん女房でした。
1973年4月に架空の理想国家「ヌートピア」の建国宣言のイベントを行いましたが、度重なる国外退去命令により挫折。
同年9月にジョンさんはロサンゼルスに移り、2人は別居状態となりました。
1974年の11月にジョンさんがニューヨークで開催したエルトン・ジョンさんのコンサートに出演し、そこで再会し、1975年の初めには再び同居を開始。
復縁し再度同居した1975年同年に、ジョンさんと同じ誕生日の10月9日にショーン・レノンさんが誕生したのです。
結婚生活7年目で恵まれた子供でした。
名前 | ショーン・レノン |
出生地 | アメリカ・ニューヨーク |
生年月日 | 1975年10月9日 |
身長 | 175センチ |
出身大学 | コロンビア大学中退 |
家族 | 母:オノ・ヨーコ。父:ジョン・レノン。 |
息子の名前「ショーン」の由来は、2人の復縁を取り持ってくれたエルトン・ジョンさんに由来しています。
ジョンさんの民族的ルーツであるアイルランドで「ジョン」に相当する最もポピュラーな名前、ということから「ショーン」と名付けられました。
ショーンさんのミドルネームの「太郎」は、ジョンさんから何か日本名をと頼まれたヨーコさんが「ショーン」と同様に”日本で最もポピュラーな名前”という理由から付けたました。
ジョンレノンはショーンさんが生まれた後、しばらく音楽活動から離れました。
1977年以降は家族揃って訪日もしており、日本でもショーンさんを連れて歩くジョンさんの姿が数多く目撃されています。
5歳になった1980年12月に父・ジョンは死去。
子供の頃から音楽に触れる生活を送り、ショーンさん自身も子供の頃から芸能活動を行っていました。
マイケル・ジャクソンさんの映画「ムーンウォーカー」にも出演するなど、共演シーンが話題となりました。
大人になった後は日本のCMに出演したり、音楽活動を送ったりしています。
1984年に母親・オノさんのカヴァーアルバム「Every Man Has A Woman」で歌手デビュー。
1990年には、オノさんや佐野元春さんの企画アルバム「HAPPY BIRTHDAY, JOHN」に参加。
1991年には、レニー・クラヴィッツのアルバム「ママ・セッド(Mama Said)」で、楽曲「オール・アイ・エヴァー・ウォンテッド(All I Ever Wanted)」を共作。
1992年には資生堂「ダンガリー」のCMに出演。
父のジョンの若い頃にそっくりだと話題になっていました。
1995年には、オノさんのアルバム「ライジング(Rising)」で、自身のバンド「IMA」として参加しました。
1998年には、初のソロアルバム「Into The Sun」を発売しソロデビューを飾っています。
2008年にはHONDA「フリード」のCMに出演するなど、要所で話題になっていました。
ショーンさんは現在も音楽活動を続け、2020年にはジョン・レノンさん生誕80年を祝いアメリカのテレビ番組にて、ジョン・レノンさんの楽曲「Isolation」を披露しています。
オノ・ヨーコの華麗な家系図。父親は日本興業銀行の総裁の息子で母親の祖父は安田財閥を一代で築く
名前 | 小野洋子 |
生年月日 | 1933年2月18日 |
出身地 | 東京都 |
出身大学 | 学習院大学中退。サラ・ローレンス大学中退。 |
職業 |
音楽家。芸術家。ボランディア。 |
オノ・ヨーコの凄すぎる家系図!絵に描いたようなエリート階級
ジョンレノンさんなど、偉大な方と結婚したオノ・ヨーコさんですが、彼女の育ち自体もかなり凄いです。
父親 | 小野英輔 | 東京銀行ニューヨーク支店の初代支店長。(現在の三菱) |
母親 | 小野磯子 | |
父方の祖父 | 小野英二郎 | 日本興業銀行の総裁 |
曾祖父 | 安田善次郎 | 安田財閥を一代で築く。貴族院議員。 |
オノ・ヨーコの両親は父・小野英輔さんと母・磯子さん。
父の小野英輔さんは東京銀行(現三菱東京UFJ銀行)の前身である横浜正金銀行の銀行家でした。
父親は横浜正金銀行は第二次世界大戦において、外国通貨を収集する機関であり、その頭取は日銀総裁になるともいわれていたそうです。
オノ・ヨーコの父方の祖父は小野英二郎で元日本興行銀行の第四代総裁です。
また、母の磯子の家系も凄いです。
日本経済史で旧4代財閥といえば、三井、三菱、住友、安田ですが、安田財閥は磯子さんの家系の安田善次郎さんによる創業です。
安田善次郎さんは富山県富山市出身で父は下級武士でした。
奉公人として江戸に出て両替商に勤め、安田銀行(後の富士銀行)を設立します。
安田銀行は富士銀行を経て現在のみずほフィナンシャル・グループに発展し、損保会社は損保ジャパンに、生保会社は明治安田生命保険、そして不動産分野では東京建物に発展していきます。
その後に税金の支払実績から貴族院議員になったのです。