伝説の俳優/鬼丸慶一郎の経歴/学歴。死因は心筋梗塞。出演作はクローズやVシネマ

鬼丸(おにまる)さんは、少年時代に数々の伝説を残し俳優として活躍された方です。

2019年に死去されてしまいましたが、現在でもネット上では数々の逸話が話題に上がることが多く、今では伝説化されています。

今日は鬼丸さんが経歴と俳優としての人生と、若い頃の逸話についてまとめてみたいと思います。

また、亡くなった理由・原因についても書いてみたいと思います。

鬼丸慶一郎は埼玉出身で大宮工業高校中退。土田晃之とは小学校からの幼馴染

芸名 鬼丸
本名 鬼丸慶一郎
生年月日 1973年3月10日
没年月日 2019年10月27日(46歳没)
出身地 埼玉県大宮市(現:さいたま市)
血液型 AB型
最終学歴 大宮工業高校(中退)
職業 俳優。ダンサー。
活動期間 1998年 - 2014年

鬼丸さんの本名は「鬼丸慶一郎」で、かなり珍しい苗字をしています。

埼玉県大宮市(現在のさいたま市)出身で、小学校の同級生にはお笑い芸人の土田晃之さんがいます。

小学校の名前は不明ですが、土田晃之さんが"さいたま市立大砂土中学校"出身なので、その近所の「大砂土小」「蓮沼小」「島小」のどれかだと予想できます。

鬼丸さんは少年時代に散々悪いことをして、カリスマ性は地元だけでなく全国に伝わっていたそうです。

ちなみに芸人の土田晃之さんとは小学校の同級生ですが、生前は鬼丸さんと同級生であることを明かしませんでした。

土田晃之が鬼丸と小学校の同級生だったことを告白したのは死後。再会はクローズ鑑賞中

芸人の土田晃之さんも学生時代は悪だったと有名です。

鬼丸さんは生前から悪系のコンテンツに名前が登場することが多く、年代も地元も一緒な2人が友人関係だったのではないか?という噂はずっとありました。

土田晃之さんはそんな噂がネットにありながらも、鬼丸さんの生前は、なかなか友人説に言及することはありませんでした。

しかし、2019年に鬼丸さんが死去すると、その3年後に自身のラジオ番組で改めて鬼丸さんと小学校の同級生であることを認めました。

鬼丸さんは若かりしころ、「カリスマ不良」と呼ばれていた人物で、土田は「大宮でカラーギャングを作った。“青ギャン”みたいな」という過去を持っていたという。「鬼丸君、小学校の同級生で、男前なのよ。俺が芸人始めたばっかりのころにオニさん、俳優として…みたいな」と振り返った。

 土田はある時、深夜に放送されていた人気シリーズ「クローズ」の映画を見ていたという。「『イケメン俳優を集めてやってるな』なんて思って。『もっとゴリゴリのやつ出してくれよ』って思いながら」。すると、どこかで見覚えのある顔に気づいたそうで、「板尾(創路)さんがヤクザの組長役をやってて、板尾さんの次の人みたいな、若頭みたいなのがいて、『すっげえ見たことある。誰だろう?』と思って」。ネットで検索したところ、鬼丸さんの名前がヒットしたという。思わぬ形での“再会”に、土田は「オニさんの名前が出て来て、『オニさん!』って。それはビックリして、夜中に大きな声を出した」と振り返っていた。

映画で似てる人がいて、検索してみたら同級生の鬼丸さんだったと発覚したという、まさに運命の再会ですね・・・。

土田さんは”オニさん”と呼んでおり、小学校からの同級生相手に”さん付け”してる点がリアルです。

土田さんが鬼丸さんが同じ業界で活躍してるのを知ったタイミングが、生前なのか、死後なのか謎ですが、”怖くて言及できなかったのでは?”と噂されています。

土田さんは自分のことを大した不良ではなかったと遠慮していますが、実はバリバリの悪で、テレビではいえないようなことをしていたという”都市伝説”の元。

鬼丸さんと共演してしまうと、バラエディで土田さん自身の少年時代の非行ネタにされるのが嫌だったのでは?という説もあります。

鬼丸の過去の伝説。2年の少年院、カラーギャングの創始、暴走族の総長。

鬼丸さんの少年時代が”かなりヤバかった”の周知の承知です。

ネット上に残されている逸話を読んでいる限り、若い頃のやんちゃぶりは芸能界では圧倒的に上位だと確信が持てます。

鬼丸さんの当時の逸話をまとめてみると、暴走族時代のこと、カラーギャングを作ったこと、裏社会との噂など、激しい内容ばかりであります。

”青”のカラーギャングを作ったのは鬼丸さんだった?

土田さんが鬼丸さんとの繋がりを告白したラジオの中でも言われていましたが、鬼丸さんは少年時代にカラーギャングの創始に携わっていた可能性があります。

少年時代の鬼丸さんが仲間内で結成したチームで青をシンボルカラーとした「青ギャン」と呼ばれる存在でした。
「鬼丸軍団」や「クリップス」が、日本初のカラーギャングだったとの説もあるので、仮に鬼丸さんが作った青の集団が初めてだったとしたら、正真正銘の”日本に初めてカラーギャングを作った男”に該当します。
ちなみに、その時代に大宮でストリートファッション・ショップ「LOOSE」を開店もされたそうです。
「最初は『青』だった。埼玉の大宮が発祥で、映画俳優もしていたアウトローのカリスマが仲間と一緒に立ち上げたんだ。彼が青い色のギャングファッションばかりを置いたショップ『L』を経営していたので、後輩が慕って身につけた。そして『青』は大宮から池袋、そして横浜へと広がっていった」
一番最初だったかは謎ですが、鬼丸さんのカリスマ性か成り立ったギャンググループが存在したのは事実のようです。

地元・埼玉県大宮の暴走族の総長だった?

カラーギャングの都市伝説に続いて、鬼丸さんには元暴走族だったという噂まであります。
鬼丸さんは、少年時代地元・埼玉県大宮市(現:さいたま市)で暴走族「関東武蔵連合・大宮緋龍会」の総長だったという噂です。
そこで18歳くらいまで現役だったそうです。
仮にそれが本当だとしたら、地元・大宮で2大不良グループでトップを張っていたということになります。

少年時代に所属していたグループのケツ持ちとズブズブだった?

鬼丸さんが所属していたと噂される暴走族。
その暴走族を陰で支えていた組織と、鬼丸さんの関係も噂されています。
”部屋住をしていた”、”盃を受けた”、など、組織との関係が噂されています。

鬼丸さんは少年時代の抗争が原因で2年間も少年院に入った?

鬼丸さんが所属していたとされる「大宮緋龍会」は、過去に暴走族同士で激しい抗争がありました。
鬼丸さんの経歴には少年院に2年間入っていたというのがあり、それはその時の抗争に参加した時の罪で入ったと噂されています。
鬼丸さんは小田原少年院(2019年3月閉鎖)に2年間収容されたとして、通常は短ければ4ヶ月以内で長くても12ヶ月以内なので、2年というのは相当にやばいことをした証拠です。
抗争は徐々に過激になり、抗争相手を車のトランクに詰めて浚たり、お互いのたまり場を襲撃して放火したなんて話も残っています。

鬼丸の死因は心筋梗塞。千原ジュニアが番組で明らかにした

鬼丸さんは2019年11月に死去されました。
複数の関係者らによって死去したことが明らかにされました。
当初、死因は公開されておらず、ネット上では事件性があったのではと噂されました。

しかし、その後に1998年公開の映画「ポルノスター」で共演があった、お笑い芸人の千原ジュニアさんが、自身の番組「にけつッ!!」にて、鬼丸さんの死因が心筋梗塞であったと言及しました。

鬼丸の葬儀と死去前の「ナインソウルズ」での言葉

鬼丸さんが死去された当初、鬼丸さんの関係者による葬儀案内がツイートされていました。
幅広い人脈を築いた方だっただけに、参加した方がのメンツもすごかったことが想像できます。
ちなみに鬼丸さんは「ナインソウルズ」にて、こんな言葉を残しておりました。
俺の葬式はするな

知らない者は手を合わすな

死んだことを誰にも言うな

オヤジもオフクロも探すな

俺のために泣くな

忘れろ

焼いた灰はドブに捨ててくれ

『ナインソウルズ』鬼丸慶一郎

さすがに、これは言い過ぎだと思いますが。
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