安倍晋三と昭恵夫人の馴れ初め。子供がいない理由。隠し子報道は嘘!

日本の総理大臣を務めたことのある安倍晋三元総理

安倍晋三さんは現役時代から生前まで、嫁・昭恵夫人との仲良しな関係が話題になることが多かったです。

印象の悪いニュースもあれば、好印象のニュースもあり、まさに苦しい時も楽しい時も共にした素敵な夫婦でした。

今日は安倍晋三元総理が生前に愛した昭恵夫人との関係についてまとめてみたいと思います。

2人の馴れ初めや結婚式、そしてその後に子供が生まれなかった理由についても書いてみたいと思います。

安倍晋三と昭恵夫人の若い頃。2人共東京都出身の富裕層

安倍晋三さんは1954年9月21日に東京都新宿区に生まれました。

次男として誕生しましたが、弟の信夫さんは養子に出され、実質は末っ子として育てられました。

名前 安倍晋三(あべしんぞう)
出身地 東京都新宿区
生年月日 1954年9月21日
学歴 成蹊大学法学部政治学科卒業、南カリフォルニア大学政治学中退
所属 自由民主党(第90、96、97、98代の内閣総理大臣)
配偶者 安倍昭恵

父の安倍晋太郎さんは晋三さんが4歳だった1958年に第28回衆議院議員総選挙に立候補し初当選を果たしました。

幼い頃から選挙や政治が身近にあった安倍晋三さんですが、政治よりも野球選手刑事になることに憧れていたそうです。

小学3年生の頃に父が選挙に落選したため、その後は選挙区の都合で山口県にいることが多かったそうです。

大学は成蹊大学に進学しました。

卒業後の春にカリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通いますが、日本人ばかりで語学が磨かれないとして、イタリア系米国人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通いました。

その後も1978年1月から春季・夏季・秋季と1年間、南カリフォルニア大学に留学しました。

留学中は「英語がわからない」と毎日国際電話をかけて晋太郎さんに怒られていたそうです。

1989年に帰国後、神戸製鋼所に入社し3年間勤めました。

総理就任後に神戸製鋼所に視察に訪れ「工程課厚板係の安倍晋三です」と挨拶したのは有名ですね!

神戸製鋼所に勤めた後、父・安倍晋太郎さんの秘書官を務め、その頃から政治に携わるようになりました。

安倍昭恵(旧姓:松崎)の若い頃。カトリック系の女子校出身。元ヤンではない?

昭恵夫人(旧姓:松崎)さんも東京都出身。

昭恵さんは1962年6月10日生まれで、安倍晋三さんよりも8歳年下です。

名前 安倍昭恵(あべあきえ)旧姓:松崎
出身地 東京都
生年月日 1962年6月10日
学歴 聖心女子専門学校卒業後、立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科修士課程修了
職歴 電通

生家の松崎家は、森永製菓創業家の森永家と繋がりが深い家系で生粋のお嬢様です。

生まれた頃から色白で体の線も細く、飲んだミルクを吐き出してしまうようなか弱い幼児でした。

幼稚園から高校まで聖心女子学院の系列に通い、聖心女子大学ではなく聖心女子”専門”に進学し卒業しました。

ちなみに聖心女子はカトリック系の学校で、港区の白金にあるお嬢様が多く通う学校系列です。

おとなしかった昭恵さんですが、学校のシスターからの提案で11歳の頃にカナダに留学し、性格が少し強くなったそうです。

学生時代は勉強が苦手で、ディスコで遊ぶなど活発な青春時代を過ごしました。

ゴルフやスキーなど流行りのスポーツを嗜み、髪型も服装も派手だったそうです。

先生から内部進学でも系列の大学に進学できないと言われ、結果的に系列の”専門”に進学したのです。

聖心女子専門学校卒業後に電通に入社しました。

電通での昭恵夫人は「宣伝部長」「宴会部長」と呼ばれるほどに、会社の飲み会の中心にいたようです。

当時流行りだったボディコンを着こなし、流行したクラブ「ジュリアナ東京」でも目撃情報があったそうです。

安倍晋三と昭恵夫人の出会いは1984年。馴れ初めは電通の上司・濱岡博司の紹介でのお見合い

安倍晋三さんと昭恵夫人の出会いはお見合いです。

電通に入社した昭恵夫人ですが、入社して早々に上司の濱岡博司さんからお見合いの話をされますが、当初、若かった昭恵夫人はお見合いを断っていました。

一度はお見合いを断りますが、その後に社内恋愛していた男性と別れた後に、改めて濱岡氏からお見合いの話をされたのです。

濱岡氏は再度、お見合いを誘う際、「違う世界(政治)の人と知り合ってみるのも面白いと思うし、食事だけでもどう?」と言われ「確かに」と思い、軽い気持ちでお見合いに臨んだのです。

ちなみに当時の昭恵さんは周囲に「政治家の家とか堅苦しそうで嫌だけど、先方が乗り気だから仕方ない」と嘆いていたそうで、あくまでノリでお見合いをしただけだったようです。

昭恵夫人はお見合いに50分遅刻。側近は悪印象も晋三は惹かれていく

電通の上司・濱岡さんのゴリ押しで実現した安倍晋三さんと昭恵さんのお見合い。

お見合いの場所は、当時の原宿にあった「オーラ」というお店でした。

いざ始まったお見合いですが、なんと昭恵さんは約束の時間よりも50分も遅れて現れたのです。

安倍晋三さんは8歳も年上だったということもあり、年下の昭恵さんの遅刻は悪印象でブスッとしていたそうです。

しかし、会話が始まると、話の内容が合い、とても面白かったそうで、お見合いが終わる頃には彼女に惹かれていたようです。

実は安倍晋三の一目惚れ。お見合いで非礼を浴びても惹かれ続けた

お見合いで50分も待たされた安倍晋三さん。

安倍さんの側近は「時間の観念もない女性はなんて一緒にいても苦労するから帰りましょう」と苦言を呈しましたが、安倍さんは「憧れの女性なのです」と聞かなかったそうです。

実はお見合いをするよりも前に別の食事会で2人は知り合っており、安倍晋三さんはスラリとした昭恵さんのスタイルの良さに”かっこいい”と惚れていたのです。

初対面の際は何も会話をしてなかったということで、完全に安倍晋三さんの一目惚れだったということです。

遅刻されたものの、話も内容が合うということで更に惚れていったのです。

お見合いの後にも再度、食事をし、その後はゴルフに行くなどして親睦を深めていきました。

お見合いから3年後に結婚。正反対の性格でも生活は順調

1984年のお見合い以降、一緒に何度もお出掛けをした安倍晋三さんと昭恵さん。

その後に交際に発展し、1986年10月に婚約しました。

お見合いから3年後の1987年にめでたくゴールインしました。

入籍した同年1987年6月9日に新高輪プリンスホテルで挙式を挙げました。

ちなみに昭恵さんは近年、安倍さんと結婚に至った理由について、

当時は、外務大臣だった義父(故・安倍晋太郎氏)の秘書官でしょっちゅう海外に行っていましたのでなかなか会えませんでしたが、いつもお土産を買ってきてくれました。それで、いい人だなぁって思って結婚したんです。冗談ですよ(笑)。

と冗談めかしに語っていました。

交際時の安倍さんは父の秘書の仕事の都合で海外にいることが多く、昭恵さんと会える時間は僅かだったそうです。

そんな時期も乗り越えての結婚は、2人が本当に想い合っていた証拠ですね。

安倍晋三は結婚後に初当選。政治家になっても仲良し夫婦

1987年に結婚した安倍晋三さん。

結婚生活では昭恵さんと安倍晋三さんは正反対の性格でしたが、特に大きな喧嘩をすることもなく、良いバランスで成り立っていました

その後に1991年5月15日に父の晋太郎さんが急死すると、同年7月8日に父を継ぎ次期衆院選に立候補することを表明しました。

そして、1993年6月の第40回衆議院議員総選挙旧山口1区(定数4)から立候補し、見事に初当選しました。

安倍晋三さんが政治家となってからは生活が一変しますが、支援者の集会に夫婦で挨拶に出向くなど協力体制を築きました。

また、安倍晋三さんは持病のためにお酒が飲めないため、昭恵さんが晋三さんを庇ってお酌を受けるなど、男前に夫を支えました。

1998年から2002年にかけては、安倍晋三さんの地元・下関市コミュニティ放送COME ON! FM』で、「アッキー」の名前でラジオパーソナリティを務めるなど、多方面で旦那に影響を与えました。

2006年に総理大臣に就任後は波乱の連続。個性的なファーストレディー

2006年9月に安倍晋三さんが総理大臣に就任すると、昭恵さんは44歳の若さでファーストレディとなりました。

安倍晋三さんは持病との戦いを強いられながらも、情勢の悪い日本の政治を仕切らなくてはいけなかったのです。

第一次安倍政権は2007年9月に突如として幕を下ろしましたが、大きな理由は体調の悪化でした。

当時の安倍晋三さんは食事会で出された料理もほとんど手がつけられず、そんな安倍さんを昭恵夫人は心配し、『もう政治家なんて辞めてください』と涙ながらに訴えていたそうです。

安倍総理が入院することになった際、昭恵夫人は献身的に寄り添い、安倍さんのことを支えていたそうです。

それでも5年後の2012年12月に安倍さんは総理大臣として返り咲き、昭恵さんは再びファーストレディとなり苦難を共にしました。

昭恵夫人は居酒屋経営、森友問題などで注目。安倍総理は嫁を守り続ける

安倍晋三さんが2012年に総理大臣に返り咲いてからは、昭恵夫人の行動について揶揄する声も増えました。

ファーストレディーとしては異例の2012年には神田に居酒屋「UZU」を周囲の反対を押し切って開店しました。

SNSで活発な投稿をするなど、昭恵夫人に関しては良くも悪くも話題が多くありました。

2014年にFacebookにて、

私はたまたま縁あって安倍晋三という男と結婚した。結婚した当初は、政治家になるだろうとは思っていたものの、総理大臣になるなど思ってもいなかった。女は誰と結婚するかで人生が大きく変わる。私は自分の努力ではなく、夫の立場によって今の自分の立場があることを胸に刻み、今私ができる限りのことをしたいと思う・・・

と投稿した際は、賛否両論の意見が飛び交いました。

家では健康状態の悪い安倍晋三さんを気遣って無農薬野菜で特製ジュースや料理を作るなどサポートしましたが、2017年に森友学園問題、2019年には「桜を見る会」が夫人も絡んで問題となりました。

森友学園問題の頃には夫婦仲に亀裂が入り、離婚秒読みが噂されましたが、結果的に2人は離婚しませんでした。

どんな時も安倍晋三さんは昭恵夫人をフォローし続けました。

安倍元総理の死後、昭恵夫人は「どんな時も守ってくれた」と答えています。

また、生前には旦那さんの好きなところを聞かれ、「嫌なところがない」と答えています。

安倍晋三と昭恵夫人に子供がいない理由。隠し子報道はガセネタ!

安倍晋三元総理と昭恵夫人の間には子供がいません。

夫婦の間に子供がいないことに関して、”不仲だから”などという憶測もありましたが、それらは間違っています。

2人に子供が生まれなかった理由は、単純に昭恵夫人が授かりにくい体質だった為です。

昭恵夫人が安倍さんと結婚した当初は24歳と若く、その頃は「そのうちに自然にできるだろ」と焦りはなかったようですが、その後もなかなか子宝に恵まれなかったようです。

昭恵夫人は、雑誌のインタビューで不妊治療をしたことや周囲からのプレッシャーがあったこと、養子をとることまで考えていたと話しています。

当初は笑顔もみせながら質問に答えていた昭恵さんが涙をこぼしたのは、不妊治療のつらさや周囲からのプレッシャーについて話し始めたとき。

言葉を詰まらせ、ほおを伝う涙をハンカチでぬぐいながら、選挙区の後援者らとの酒席で「嫁として失格だ」「ワシが教えにいっちゃる」などと責められた過去を明かした。

首相とは養子という選択肢についても話し合ったが、

「そこまでする必要があるのかなと。養子をもらって、その子1人にすべてを捧げるより、もしかしたら違うことをやるべきなのかもしれない、と思った」という。

後援者たちから攻められ苦しかったそうで、養子に関してはかなり真剣に考えていたようです。

しかし、安倍さんに兄貴がおり、兄の子供に男の子がいたことで、安倍家の血筋の根絶を責められなかったことがせめての救いだったようです。

安倍晋三の隠し子報道は大嘘。激怒の理由は昭恵夫人の気持ちを考えた為か

安倍晋三さんに隠し子がいるという報道が出たことがあります。

安倍晋三さんが初当選する前の秘書官時代に、博多の美人ホステスとの間に子供が生まれたという内容です。

安倍さんの隠し子報道の手前、側近の政治家・山田宏さんに隠し子が発覚したことで、その皺寄せが安倍さんにもいってしまったようです。

この隠し子の記事については、2012年2月29日に記事の内容が嘘であると主張していました。

記事について言及する際の安倍晋三さんは、珍しく憤った様子でした。

「私はもう週刊誌によっては、例えば隠し子がいるということを、実は週刊誌に断定されたことがあります。

そういうことに対して抗議をしていました。

週刊誌も事実と違うことを書くことは、まぁまぁ、あります。

そうしたことも、ここにずらずら、ずらずら、ずらずら、ずらずら、ずらずら、書いてあります。

そういうことについてはですね。少しちゃんとご自身でも事実かどうかということを調べられることをおすすめしたいと、このように思います」

安倍総理が憤った理由の中には、その記事によって夫人が傷ついたのでは?という、守りたい気持ちがあったのかもしれませんね。

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