ビートたけしの愛。師匠/深見千三郎の火事と左手。元嫁と現妻。娘/井子と息子/篤

ビートたけしさんといえば、日本を代表するお笑い芸人です。

キャリアの途中で映画を作り出すと、どの映画も世界中で評価され、”世界の北野”と呼ばれるようになりました。

今の若い子はビートたけしが凄い人だというのは知っていると思いますが、若い頃の芸人としての全盛期を知らない人が多いですね。

今日は、ビートたけしさんの漫才師時代と、私生活について書いてみたいと思います。

世間の方があまり知らない、ビートたけしさんの師匠・深見千三郎さん

そして、嫁・娘の家族や愛車などについて書いてみたいと思います。

ビートたけしが師匠・深見千三郎から教わったこと。火事での死去と指

ビートたけしさんといえば「理想の上司ランキング」「理想の先生」「理想の父親」など、多くのランキングでトップを獲得するなど、人間性が認められています。

物事をわざとくだらない角度から見たり、周囲がリラックスできるような無邪気な振る舞いが愛されているのです。

また、ビートたけしさんは芸人でありながらも”かっこいい”と言われることが多いのも特徴です。

表舞台ではくだらないこと、情けないことをして笑いを取りますが、私生活になると硬派でカッコイイ男になるのです。

実は、そんなビートたけしさんの魅力は、かつての師匠である・深見千三郎さんの影響がモロに出ています。

ビートたけしさんの師匠である深見さんは、

「芸人は舞台を降りたらかっこいいと言われるようにしろ」

「芸人は笑われるのではなく、客を笑わすようにしろ」

「歌も踊りもできない芸人は本当の芸人とは呼べない」

などの名言があります。

ビートたけしと師匠・深見千三郎の出会いと破門。火事の事故での死別

ビートたけしさんと深見千三郎さんが出会ったのは、たけしさんがまだ25歳の頃です。

当時のたけしさんは”浅草フランス座”でエレベーターボーイをしており、深見さんはそのフランス座の支配人であり座長でありました。

色々と面倒を見てもらっていたたけしさんですが、その後の相方・ビートきよしさんと出会いツービートを結成することを決めると、深見さんは激怒し、破門されてしまいました。

破門されてしまったたけしさんですが、ツービートで漫才ブームを作り、芸人の地位向上に貢献すると、破門は解かれたそうです。

フランス座を訪れた時、深見は「何しに来やがった馬鹿野郎この野郎、元気か?」「来るなって言ったろう馬鹿野郎、腹減ってないか?ラーメンでも食うか?」と照れと嬉しさが入り交じった態度で迎えたそうです。

まるで親子のような良い関係であったビートたけしさんと師匠の深見さんですが、別れは突然でした。

1983年の2月2日、浅草の深見さんのアパートで火事が起き、前日にお酒に酔っていた深見さんは逃げ遅れ、59歳の若さで亡くなってしまったのです。

火事の原因はタバコの不始末でした。

深見さんは玄関先で発見され、たけしさん曰く、両手で抱えることができるぐらい小さな姿になっていたそうです。

深見さんは亡くなる2年前に芸人を引退して化粧品会社に転職していたそうで、たけしさんは師匠の死に関して、

「芸人としてはパッといなくなるのもかっこいいなと思った。」

「誰かに悲しまれることが嫌いな人だし、おとっつぁんらしい死に方だった」

と語っています。

後に有名な名言「芸人はそこらへんで野垂れ死ぬのが良い」は、師匠である深見さんの死を見て思ったことでしょう。

ちなみにたけしさんは深見さんが亡くなる1ヶ月前に日本放送演芸大賞を受賞し、その賞金を「小遣いだ」と全て深見に渡したそうで、深見さんは馴染みの飲み屋で「タケの野郎がよ、生意気によ、小遣いだなんて言ってよ」と話していたそうです。

師匠の深見千三郎は戦時中に徴用され左手の指を4本失う

ビートたけしさんの師匠である深見さんは強くてたくましいイメージがありますが、実は芸人時代はあるハンデを背負って舞台に立っていました。

それは、深見さんがまだ若い頃のこと、当時の大日本帝国はまだ第二次世界大戦の最中でした。

戦場に赴くことを回避するために、戦時中に徴用されていた軍需工場にて、機械に左手を巻き込み、左手の親指以外の4本指を失ったのです。

深見さんは芸人になった際は、左手に包帯を巻いたり、ジャケットやコートを羽織り左手が見えないように工夫していたそうです。

ビートたけしの元嫁・幹子と長男・篤と娘・井子。全部で4人の子供?

ビートたけしさんといえば、高級車・ロールスロイスに美女を乗せて美味しいお店を回っている姿が度々スクープされています。

一緒に遊ぶ女性など星の数ほどいるイメージがありますが、実はちゃんとした既婚者でありました。(2019年に正式に離婚

たけしさんは漫才ブームが始まる手前の1979年に、女流漫才師「ミキ&ミチ」の内海ミキさんと結婚しました。

漫才師同士の結婚でありました。(ちなみに元嫁の芸人時代の同期に上沼恵美子さんがいます)

まだ夫婦が若かった昭和56年の8月にはたけしさんの「ひょうきん族」で夫婦で漫才を披露したこともあり、かなりラブラブな様子でした。

たけしさんと嫁・ミキさんとの間には1981年に長男の「篤」、

1982年に長女の井子(しょうこ)の2人の子供に恵まれています。

たけしさんの子供の人数に関しては諸説あり、公になっている確かな子供はミキさんとの間に生まれた2人の子供だけです。

ビートたけしの子供は何人?孫を養子縁組で受け入れていた?愛人との隠し子は・・・

娘のしょうこさんは2004年に調理師の男性と結婚し、1年後の2005年3月9日に第一子の女の子を出産し、たけしさんはお爺ちゃんになっています。

当時、たけしさんは、

「知らないうちに籍を入れてた。相手がダンっていう名前しか知らない」「来年の春くらいじゃねえかな。娘が生まれた時も、知らなかったくらいだから…」

これで本当のエロジジイになった。日ごろから仲間うちではエロジジイといわれてたが、これを機会に真のエロジジイ、人様にひんしゅくをかうような立派なおじいさんになりたいと思います」

(将来は)世界的な芸術家にしろって言っているんだ」

「英才教育をするなら、裏から(お金を)渡す」

と発言し、誕生したばかりの頃から孫にメロメロなのがわかります。

その後に長女が離婚すると、孫を養子として自分の子供として受け入れたとされています。

なので、たけしさんの子供は嫁さんとの間に生まれた2人だけではないと言われているのです。

ちなみに、たけしさんは嫁さんの他にも彼女や愛人との間にも子供を作ったりしていたという武勇伝があります。

ビートたけしの結婚と嫁と子供まとめ。現在の嫁との間には子供はいない

2019年に40年以上付き添った嫁・幹子さんと離婚しましたが、翌年の2020年にはマネジメント業務を行う女性と再婚しました。

新しい再婚した2人目の嫁さんとの間には、まだ子供は生まれていません。

1979年:結婚 漫才師の幹子さんと結婚
1981年:第一子誕生 長男の篤誕生
1982年:第二子誕生 長女の井子(しょうこ)誕生
2005年:孫誕生 長女の井子が出産し、お爺ちゃんになる。
2019年:離婚 40年連れ添った嫁・幹子と離婚
2020年:再婚 新しい事務所のマネジメントしてる女性と再婚

ビートたけしのプロフィール

本名:北野 武(きたの たけし)

別名義:北野武、マス北野

ニックネーム:たけちゃん、たけし、殿、世界のキタノ

生年月日:1947年1月18日

出身地:東京都足立区島根

血液型:O型

身長:168cm

最終学歴明治大学工学部(現:理工学部)機械工学科(当時は除籍されていたものの、のちに特別に卒業認定)

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