1998年に突然この世を去ったhideさん。
今になっても交流のあったミュージシャンは、「本当にhideさんが亡くなったのか?」と現実を受け入れることができないそうです。
特にエックスのリーダーであるYOSHIKIさんは、”hideは自殺するような人間ではない”と、”まだこの世のどこかで生きてると信じてる”と言い切っています。
当時のhideさんの関係者も、”原因がわからない”と困惑していたぐらいです。
実は、当時のhideさんの死因を巡っては、未だに多くの仮説や都市伝説が流されています。
今日は、1998年に亡くなったhideさんの当時の報道と、その後に分かったことをまとめ、hideさんの死の真相についてまとめて書いてみたいと思います。
また、hideさんが亡くなった後に公開されたすっぴんや、学生時代の素顔などにも触れてみたいと思います。
hideの死因の真相。首にタオルは趣味の延長の事故で自殺じゃない?
hideさんが死去されたのは1998年5月2日、午前8時52分です。
当時は事故後の速報から告別式の現場からの生中継など、異常なほどに過熱した報道がされました。
それだけhideさんが時代のカリスマだったということです。
hideさんが死去の報道は、当初は死因に「自殺」と発表されていました。
当時、ファンはhideさんの死を受け入れることができず、又はhideさんの死因が自殺であることを認めたくない風潮がありました。
しかし、調べが進む中で、hideさんの死因の「自殺」は覆ることはありませんでした。
しかし、hideさんが亡くなった当時に開かれた会見では、マネージャーを務めていた実の弟・松本裕士さんが「事故死」と明言していました。
hideの自殺を信じない人多数。事故死こそが真相?
弟の会見での”事故”の発言があってか、ファンの間ではhideさんの死の真相を探る動きがあり、死後数十年経った今でも、”hideさんの死因は他にある”と信じる人が多くいるのです。
弟が出した本には、警察の事情聴取で”自殺でないなら不審死扱いになると言われ渋々自殺にした”という事まで書かれていたぐらいです。
当時のhideさんが、仕事のことで悩みが増え”お酒の量が増えていた”、”タオルを使ったマッサージを行っていた”など、自死ではなく事故の可能性がある行動が多く発覚しています。
hideの死因は事故?お酒・演出練習・個人的趣味などの憶測
HIDEが1998年5月2日、ドアノブに掛けたタオルで首を吊った状態で発見され死亡しました。
警視はhideさんが「自殺」と断定していますが、自殺を示唆する発言や行動がなかったことから、真相は今だに謎です。
仮にhideさんの死因が自殺ではなくて事故だったとしたら、どのようなケースだったのか?
hideさんの本当の死因として憶測されている説をいくつか紹介します。
亡くなる数時間前までは、Spread Beaverのメンバーと打ち上げでお酒を飲んでおり、その席でメンバーと喧嘩しています。
メンバーのKiyoshiさんに「お前はYOSHIKIと居るだけで売れるもんな。」「お前(hide)が売れてなかったら、今頃俺が売れてた。」と言われていたそうです。
さらに帰りの車の中でも弟に「お前はどう思う?」聞き「分からない」との返答され、さらに「お前もか!」と怒っていたそうです。
つまり、
・酔っている
・イライラしてる
↑この状況から帰宅し、自宅で一人でいるときに、何か間違い起きたということを想定したケースを考えてみます。
流れとしては、
飲みの席でバンドメンバーと喧嘩
↓
帰りの車の中でドライバーだった弟にも怒る
↓
朝の6時半に南麻布の自宅マンションに怒りながら帰宅
↓
朝の7時半(帰宅から約1時間後)に同居していた婚約者に発見される。
↓
病院に搬送され朝の8時52分に死亡が確認される。
hideがタオルを使った遊びが好きだった説
まず、一番多く言われているのは、hideさんの夜の遊びです。
当時のhideさんは、タオルを使って一人で遊ぶのが好きだったそうですが、その遊びで何か間違いがあり、事故ってしまったのではないか?という説です。
ただ、当時のhideさんは交際関係にあったスタイリストの高橋恵美さんと同居しており、一人で遊ぶ必要のない状況だったのではないか?ということで、この説は少し弱いです。
ちなみにhideさんの第一発見者も高橋惠美さんだったそうです。
お酒の飲み過ぎ+いつものタオルを使った肩こりのマッサージで事故
亡くなる寸前のhideさんは音楽活動のことでストレスが溜まっており、毎晩のように飲み歩いてたそうです。
また、hideさんは肩こりが酷く、日頃からタオルを使ったマッサージを行なっていたそうです。
つまり、酔っていながらタオルで肩こりマッサージをしようとしたら事故ってしまったというケースも考えられます。
ただ、酒に酔って気分が良い時にわざわざ自分でマッサージしたいと思うのか・・・と考えると、この説も怪しいですね。
ライブ演出に首を吊るシチュエーション?パフォーマンスの練習で失敗説
hideさんが次回行う予定だったライブでは、なんと首を吊って登場するという演出が組まれていたそうです。
自宅でそのライブ演出の練習をしてる際に、誤って事故ってしまったのではないか?という説です。
この説もかなり弱いです。
仮に練習してたとして、家のドアノブとタオルで練習になるのでしょうか?
直前まで仕事のことで喧嘩してイライラしていたという状況を考えると、この説には無理があるように思えます。
本当に自殺を選んだ可能性
当時のhideさんは音楽活動で悩んでおり、非常に憂鬱だったそうです。
例として、HIDEさんは「hide with Spread Beaver」の形態をあまり気に入っておらず、「with」は付けたくないと事務所の上層部に訴えましたが、聞き入れてもらえなかったという話が有名ですね。
そして、一部メンバーとの確執ともなれば、精神的にかなりキツかったことが想像できます。
毎日のように飲み歩いてたいということで、アルコール依存症だったとも言われています。
ソロになっても人気は衰えませんでしたが、寂しがり屋な一面があり、精神的に不安定になっていたそうです。
hideさんは亡くなる直前のラジオで、自分のことを「情緒不安定」「躁鬱病」だと語っていたぐらいです。
テレビでお酒を飲む理由に関して「寝る前にベッドの中にいると、鬱のようになるのが嫌で」と発言していました。
本当に自分で死を選んだ可能性も0ではないということです。
hideの死後の影響。告別式に5万人集結。後追いと”ねこぢる”の噂
人気がピークだったhideさんの死去のニュースは日本全体を震動されました。
エックスのメンバーですぐにhideさんと対面したのは、Toshi、PATA、HEATHの3人で、ロサンゼルスにいたYOSHIKIさんは対面していません。
ファンはhideの住んでいた南麻布のマンション、横須賀にある実家、原宿のhide経営のグッズショップなどに集合し、酒・花束を供えて手を合わせる光景が夜まで続きました。
死亡翌日の5月3日、hideの遺体は東京・築地本願寺へ移され、同日にロスから帰国したYOSHIKIさんが遺体が置かれている築地本願寺(浄土真宗)へ向かいました。
YOSHIKIさんは飛行機の中でhideさんのニュースを聞いて涙を流し、空港で待ち受ける報道陣を前に放心状態でした。
hideのいる築地本願寺(浄土真宗)で後追い自殺するファン。最終的に何人?
hideさんの死が受け入れない状況の中、さらに負の連鎖が続きました。
なんと、YOSHIKIさんがhideとの悲しい対面を果たした翌日の5月4日に、ファンの女性がhideさんのいる築地本願寺で後追い自殺をしたというのです。
後追いはその後も続き、バンドが急遽記者会見を開くほどでした。
この報道がメディアを通じ日本中に流れると、HIDEの遺体が安置された築地本願寺境内などでファンによる後追い自殺が相次ぎました。そのため、元XJAPANのメンバーが自殺を思いとどまるようにという会見を開くほどでした。
後追いしたファンの人数は、最終的に数十人にもなったそうです。一部では50人、60人と言われています。
hideの葬儀・告別式に5万人のファンが集結。徹夜で寺を囲む
バンドで会見を開いた1日後の5月5日に近親者のみの密葬が執り行われました。出席したのは親族、レコード会社及び事務所関係者、バンド仲間(約500人)です。
葬儀の際もファンが築地本願寺を取り囲む騒ぎとなりました。夜中に集まった人も含めて2000人以上が集結したそうです。
ファンの気持ちを察してか、すぐに告別式の日取りも発表され、同時に献花式・葬儀の日時も発表されました。
献花式は予定になかったそうですが、急遽決まったそうです。
献花式には徹夜組500人を含め、のべ1万2千人のファンが訪れました。
5月7日の葬儀では故・美空ひばりの葬儀を上回る著名人史上最高の5万人が集結し、気温は27.6度まで上昇し197人が倒れ、56人が救急車で運ばれる事態となりました。
出棺されるhideさんを見て泣き叫ぶファンの姿が、全国に流されました。
告別式には5万人のファンが集結し、警察などが出動する騒ぎとなりました。
漫画家の”ねこぢる”がhideの葬儀後に後追い自殺?
当時、社会問題にもなったhideさんの死の衝撃によるファンの”後追い”。
実は著名人の方の中にも、hideさんの後追いをしたと噂される人物がいます。
その方というのが漫画家の”ねこぢる”さんです。
ねこぢるさんはhideさんの告別式が終わった3日後の5月10日に、自殺によってこの世を去っています。
後追いだと言われる根拠としては、
・ファンの後追いが流行った時期と同じ
・ヴィジュアル系バンドの追っかけをしていた時期があった
・死の状況がhideと同じ。(自宅のドアノブにタオル)
の3つが言われています。
ただ、晩年は咲夜としての道に悩んでおり、仕事に疲れ、精神的に安定していなかったそうです。
前々から自殺未遂も繰り返しており、たまたまhideさんと時期が被っただけの可能性もあります。
hideのすっぴんや学生時代の写真。素顔もイケメン!
hideさんが死去してから20年以上の月日が流れ、様々な媒体からhideさんの人物像などが発信されてきました。
その中で、最も注目を浴びているのが、”hideさんのスッピン”です。
現役時代にも美しいスッピンを披露していたhideさんですが、かつては”子供の頃は肥満児だった”と語っていたhだけに、学生時代の写真はキツイのかと思われました。
しかし、いざ公開された写真を見てみると、かなり端正な顔立ちで、生粋のイケメンだったことがわかっています。
hideはスッピンでもイケメンだった!子供の頃の太っていた姿もかわいい!
まず、肥満児だったと言われている子供の頃のhideさんの写真を見てみましょう!
普通にかわいいですね!
また、hideミュージアムにあった小学生の頃に作ったパスポートの写真もかわいいです。
このパスポートをめぐっては、大人になって出演した番組「ロケットパンチ」にて、子どもの頃に海外研修に出かけた時に恵俊彰さんと同じ研修旅行だったことが番組内で突然発覚して驚いていました。
中学生になってロックに目覚めてからは、少しずつ痩せていきます。
高校生になる頃には横須賀の不良の溜まり場であった「どぶ坂通り」に通うようになり、酒、タバコ、女を覚えたそうです。
この時期に初めてのバンド「サーベルタイガー」を結成します。
バンドを結成した時期にはすっかり痩せており、大人になった後のhideさんの面影が強いです。
ちなみにバンドで飯を食うつもりはなく、美容師になろうとしていたということなので、ロックに出会ったことで美意識が格段に上がったことがわかります。
バンドマンになってからのhideさんは目元のメイクが濃いので、学生時代と印象は違いますが、すっっピンの写真と比べてみるとたいして変わってないことがわかります。
眉毛で印象が変わっているだけで、整形などはしてなかったようです。
つまり、元々のパーツが美しかったということですね!