北川悠仁と妻/高島彩に離婚は?嫁との結婚式と馴れ初め。痩せたのは年齢?

ゆずの北川悠仁さんとアナウンサーの高島彩さんが結婚したのは2011年の10月です。

人気アーティストと全盛期の人気アナウンサーの結婚に、世間からは祝福の声が続出しました。

人間性の定評のあるふたりの結婚ということで、これからの長く幸せな生活を送ることが予想されました。

実際に2022年現在の時点で2人の子供に恵まれ、特に不倫などの報道もなく、離婚の気配はありません。

しかし、実は過去に週刊誌に2人の結婚生活に黄色信号が出ていることが報じられました

旦那の北川さんが悪いわけでもなく、嫁の高島彩さんが悪いわけでもない内容だったので、その後も揶揄されることもありませんでした。

俗にいう”どこの家庭にもある些細な問題”を、週刊誌が大袈裟に報じられただけです。

今日は、過去に一度だけ報じられた北川さんと高島さんの結婚生活に関する報道と、ふたりの馴れ初めから結婚式までの話題を振り返ってみたいと思います。

北川悠仁と高島彩が離婚することはない?子供2人と円満な家庭

北川悠仁さんと高島彩さんは2005年に出会い、2011年に結婚を果たしました。

結婚した3年後の2014年に長女が誕生し、さらにその2年後の2016年に次女が誕生してます。

出会って結婚するまでに6年、結婚して第一子が生まれるまでに3年という、この堅い時間の使い方が北川さんらしくて素敵ですね。

お互いに結婚前から異性関係で変な報道もなく、とても誠実なふたりが結婚したことが分かります。

結婚した後も、不倫などの報道や疑惑もなく、むしろ北川さんの子煩悩ぶりが露呈して好感度が上がっています。

ただ、北川さんの実家の母を巡って、過去に週刊誌でややこしそうな内情が報じられています。

週刊誌に高島彩と北川の母の嫁姑問題が報じられる。子供の教育方針

誠実で真面目な夫婦に死角なし!という印象ですが、過去には週刊誌に粗を狙われました。

それは2019年に女性誌が報じた、嫁・高島彩さんと北川さんの母が子供の教育方針を巡って揉めているという内容の記事です。

簡単にいうと嫁姑問題です。

実は北川悠仁さんのお母さん”慈恵さん”は、ある団体を率いる、とてもカリスマ性溢れる方

高島彩さんは、結婚後も慈恵さんのいうことに従順だったのですが、子供が大きくなってお受験の時期を迎えると、教育方針を巡ってぶつかってしまったそうです。

自分の子供の進路に関しては、絶対に譲れないと、初めて抵抗してみせたということです。

高島彩さんは自分の娘をカトリック系の学校に進学させたいと考えているみたいですが、北川さんの母はそれを反対してるのです。

子供はカトリック系の学校に通う理由。高島彩のお嬢様育ちが影響?

高島さんが望む学校は小中高一貫教育の女子校で、東大をはじめ難関大学の合格者を多数出している有名進学校だそうで、娘の大学進学を早くも見据えての希望です。

しかし、北川さんの母は子供は自然に育てるべきだと考えており、ガチガチなお嬢様コースに懸念を抱いているのです。

又、北川さんの母はある団体で力を持っている方なので、自分の孫がカトリック系の学校に行くことは、あまり良い話ではありません。

実は高島さん自身は子供の頃にお受験で有名な枝光会幼稚園に入り、受験して小学校から私立に通っていたということで、大人になって親に感謝できたという経験がベースにあるのです。

その報道から3年は経っていますが、ふたりの家庭が揺らいでるような報道は出ていないので、実際にはそこまで大きな問題にはなっていないみたいです。

しかし、現在の高島さんの仕事などに関して、まだまだ不満があるそうです。

北川の母は高島彩の仕事のペースや衣装に苦言してる?

高島彩さんは自分の子供に英語の体操教室、右脳の知育を行う教室などにも通わせるなど教育ママな一面もあります。

子供の進路を巡って姑と揉めてしまったそうですが、実は子供関係以外の面にも、姑絡みの問題があったそうです。

姑の占い主義に乗っ取り結婚する時期を決めた為に、交際から結婚までに6年の月日を費やしたと言われてます。(後にこの諸説は間違いだとなっていますが)

また、子供を産んだ後の仕事復帰に関しても、衣装のスカートの丈の長さや、束縛の激しい大きな仕事に対して苦言を呈していたそうです。

そもそも姑は高島さんが結婚した後は、家に入ると思っていたということで、実は結婚した当初からは多少の軋轢はあったとされています。

北川悠仁と高島彩の結婚式は山梨県の身曾岐(みそぎ)神社で挙式

北川さんと高島さんが結婚した当時は、2人の結婚式がハイセンスだったとして話題になりました。

2人が挙式したのは教会ではなく、神社です。

入籍した同日、山梨・身曾岐(みそぎ)神社で挙式しました。

なんで神社で挙式?と疑問に思う人も多いことでしょう。

結婚した後は、娘をカトリック系の学校に通わせたいと主張して内輪揉めしたとのことなので、この神社での挙式に関しては本人らの希望なのか不明です。

2010年代頃は女優の沢尻エリカさんが高城剛さんと東京・代々木の明治神宮で挙式するなど、神社での挙式がトレンドでありました。

ちなみに翌年2月25日には横浜ホテルニューグランドでの披露宴を含み、全般的に報道陣はショットアウトされ、挙式の様子は報じられませんでした。

ふたりのツーショットがメディアに上がったのは、翌年の2人での海外旅行でした。

結婚した翌年に夫婦でアフリカ旅行

2011年の10月に結婚した北川さんと高島さんですが、ふたりのツーショットは結婚発表当時までメディアに出ませんでした。

初めて2人のツーショットが撮られたのは2012年のアフリカ旅行です。

ずっとツーショットが撮られていなかったというのがすごいですね!

初めての夫婦での取材も、業界人の高島さんがにこやかに対応されていました。

しかし、新婚旅行にアフリカをチョイスするというのもすごいですね。きっとふたりが初めて行く場所に行きたかったのでしょうね。

高島彩と出会いから6年で結婚!馴れ初めは「めざましどようび」での共演

人気ミュージシャンとアナウンサー。

どのような出会って交際に至ったのか気になります。

実は北川さんと高島さんの馴れ初めは、ゆずが「めざましどようび」のテーマソングを手掛けたことがきっかけです。

北川さんが番組へ出演した2005年9月がふたりの初対面です。

すぐに恋へと発展したわけではなく、後に知人を介して再会し、2006年から交際をスタートさせたのです。

ちなみに交際期間中は、東京に住む高島さんと、横浜に住む北川さんという微妙な距離が、擦れ違いから諍いが絶えなかったです。

しかし、実際のふたりの交際は両親を交えて食事をするなど順調でした。

2008年6月に北川悠仁の父親が他界した時は、高島彩が憔悴する彼を献身的に支えたそうです。

そして、高島彩さんがフジテレビを退社し、2011年からフリーアナウンサーとして活動を開始した際には、今度は北川悠仁さんが彼女を支えました。

婚姻届は北川の地元・横浜

お互いに仕事も私生活も支え合い尊重し合い、6年の長い交際で結婚に至ったのです。

「今改めて、女性として、また人として尊敬でき、温かく飾らない心を持つ彼女と、支え合い、分かち合い、刺激し合い、そして微笑み合い、自分たちの家庭を築き、共に生きてゆく事を決意しました」

と直筆で結婚に至った経緯を綴り発表しました。

結婚当時はゆずの“相方”の岩沢厚治さんも結婚したばかりという状況でした。

当時の北川さんの挨拶は、

「先月の岩沢君の発表に続き、すぐでびっくりさせてしまっていたらすみません。ゆずらしいという事で、どうかお許し下さい」

「一日一日を大切に、これからもゆずのリーダーとして、みんなが元気になり、笑顔になれるような音楽を作り続け、届け続けます」

とのコメントでした。

ちなみに、ふたりの婚姻届が提出されたのは北川さんの地元・横浜でした。

その後の生活の拠点が横浜だったらしいので、普通に横浜市民として新婚生活を送るためですね。

北川悠仁が痩せたのは年齢のせい?結婚生活ではない

結婚してから北川さんが痩せたという声があり、それが結婚生活のストレスや食生活ではないか?という意見がありますが、それは関係なさそうです。

よく見ると、結婚して以降、ふっくらした時期などもあるので、単純にダイエットをしたり、運動したり、怠けることもあったりという自然な流れだと思われます。

 

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