フリーアナウンサーの千野志麻さんといえば、現在は結婚し良き母のイメージがあります。
フリー転身前はフジテレビアナウンサーとして「チノパン」の愛称で人気者となり、結婚しフリーに転身した今も公私ともに充実しており、死角なしの成功者であります。
しかし、そんな千野志麻さんにも黒歴史が存在します。
それは2013年に起こした自動車事故です。
現在でもネットで掘り起こされることが多い事件です。
実は、この事件を巡ってさまざまな都市伝説のようなものが存在します。
千野志麻は2013年に男看護師をはね死亡させる。自動車運転過失致死で書類送検
千野志麻さんが事故を起こしたのは2013年1月2日のことでした。
当時、千野さんは35歳でした。
元日に実家・静岡県沼津に家族で帰ってきていた千野志麻さん。
家族で宿泊していた静岡県沼津市のシティホテルの駐車場で、千野さんは夫と子供を乗せて自身で車を運転。
車は大型SUVの外車でした。
ホテルの駐車場で右折した際、駐車場で場内を歩いていた38歳の男性看護師・荻原俊文(長野県)さんをはねてしまったのです。
さらに、ぶつかって地面に倒れた萩原さんの体に、そのまま車で乗り上げてしまい、跳ねた看護師男性を死亡させてしまったのです。
千野志麻は書類送検され略式起訴され100万円の罰金刑で済む
千野志麻さんは2013年1月2日に事故を起こし、その1ヶ月後の2月12日に自動車運転過失致死の疑いで、静岡県沼津警察署により書類送検されました。
その後に出演していた番組を全て降板。
国民的アナウンサーの大きなゴシップに、世間は驚きを隠せない様子でした。
事故を起こした同年末の2013年12月27日に、千野さんは静岡区検察庁から略式起訴されました。
静岡簡易裁判所で100万円の罰金刑に処され、千野さんは即日納付しました。
この事故に関しては、「人が亡くなってるのに罰金で済むのは甘くないか?」などの声もありました。
千野志麻ってなんで逮捕されないのは上級国民の夫の影響?賠償金や刑務所に纏わる疑問
2013年1月2日に地元のシティホテルで人を轢いてしまった千野さん。
実は趣味はドライブというほどの車好きとして有名で、2011年に車雑誌の取材では26歳で初めて車を購入し、休日には愛車を飛ばして沼津に行くことも明かしていました。
年末休暇の帰省先で起こしてしまった悲劇だと考えると、なんとも悲しい気持ちになります。
名前 | 千野志麻(しお) |
愛称 | チノパン |
生年月日 | 1977年8月9日 |
出身地 | 静岡県沼津市 |
身長 | 167センチ |
血液型 | AB型 |
出身中学 | 不二聖心女子学院中学校 |
出身高校 | 不二聖心女子学院高等学校 |
出身大学 | 聖心女子大学文学部卒 |
著名な家族 | 父が沼津市議会議員の千野慎一郎 |
職業 | フリーアナウンサー。(元フジテレビアナウンサー) |
趣味 | フラワーアレンジメント、旅行。 |
特技 | クラシックバレエ |
報道が出た際、「これは逮捕で長期刑だろう」という声がありました。
しかし、実質、罰金刑だけで済んだということで、「結婚した旦那が上級民族だからでは?」との憶測が出たのです。
千野さんは2006年に現在の旦那さんと結婚していますが、その旦那さんについて掘り下げてみましょう!
千野志麻は2006年に福田元総理の孫でエリート会社員の横手信一と結婚
千野志麻さんは2006年4月に福田赳夫元総理の孫で、証券会社に勤めるエリート会社員・横手信一さんと結婚しました。
名前 | 横手信一 |
生年月日 | 1968年 |
学歴 | 大学卒業まで慶應系列(幼稚舎から大学まで) |
経歴 | ゴールドマンサックス入社 |
有名な家族 | 福田赳夫元総理の孫 |
年収 | 週刊誌では約5000万 |
千野さんと横手さんの馴れ初めは共通の知り合いであった岡野光喜(スルガ銀行創業一族出身で元会長)さんが主催する食事会でした。
アナウンサーである千野志麻さんが、岡野さんと繋がりがあったのは、父が沼津市議会議員だった縁だと言われています。
また、横手さんと岡野さんは同じ慶應出身で、そのつながりの食事会で親しくなったとされています。
結婚当初から旦那の横手さんの顔写真は表に出ていません。
しかし、弟の誠二さんは親族の旅館「横手館」の代表になった頃から顔写真が出ています。
とても品があって、いかにも上級階級というオーラがあります。
千野さんは旦那さんとの間に2人の子供に恵まれ、母親としても度々注目を浴びています。
ただ、ここまでの情報だと、千野さんが警察から忖度されるほど大袈裟なステータスではないように思えます。
事故後に千野志麻は激痩せも、その後のママ友に「もう済んだことだから」と発言?加害者遺族は「一生恨む」
事故の後の千野志麻さんは、自分のやってしまったこと猛烈に反省します。
2013年2月に発売された「女性自身」では、激痩せして病んでいる様子が報じられていました。
活動を休止させた後は、自宅から一歩も出ることなく“反省の日々”を送っていたようです。
唯一の外出といえば、双子の息子たちが通う自宅マンションから20メートルほどしか離れていない保育施設ぐらいだったそうです’。
週刊誌では送り迎えする千野さんに取材しようとするも、
「すみません。いまは子供たちの送り迎えの途中なので……。ごめんなさい、何もお話できないんです。すみません……」
と、言葉を選びながら声を震わせて応じていたそうです。
また、記者が「お子さんたちのためにも、頑張ってください」と声をかけると、
「そう言っていただけると……。ありがとうございます」
と、深々と頭を下げ、早足に自宅マンションの中へ入っていったそうです。
千野志麻がママ友の会話で「あれはもう済んだことだから!」と発言?
2013年に痛ましい事件を起こしてしまった千野志麻さん。
当初は、一生懸命に謝罪する姿などが報じられていましたが、翌年2014年には友人らとの会話で問題発言をしていたと週刊誌に書かれていました。
2014年に発売された「女性セブン」で、騒ぐ子供たちを放置しておしゃべりに夢中になっていたとの記事が出て、その中で2013年の事件についての発言も取り上げられました。
ママ友の質問に対する千野元アナの言葉に、カフェテリア内は凍りついた。
「ああ、あれはもう済んだことだから!」
ケラケラと笑うその姿に、質問したママ友すら困惑した様子だったという。
なんと、ママ友に2013年の死亡事故について聞かれた際に、「もう済んだこと」と発言したそうです。
また、遺族が千野さんに対して恨みの感情を抱き続けていることも報じられていました。
2014年4月に発売された「ポストセブン」では、被害に遭った男性遺族が未だに千野さんに対して恨みを持っていることが報じられていました。
千野さんは、事故後の月命日には必ず、夫とともに遺族の自宅を訪問していたそうですが、その時にも遺族は直接「一生恨みます」と宣言したそうです。
「彼女は、ほとんどしゃべらないんですが、“一生かけて償っていきます”と言ってました。だけど、私たちの心の傷は絶対癒されることはありません。だから、はっきり言ったんです。“一生、憎みます”と」(A子さん)
今年1月2日で事故から1年が経った。A子さんによれば、千野は、1月4日を最後にA子さん宅を訪れていないという。
「お墓のほうには行っているらしいですが、1年過ぎたらここには来ないような状況ですからね。誠意があるとは思いにくいです。私は、裁判を起こそうとは思っていません。ただ…心の償いをしてほしいとだけ思っております」(A子さん)
事後後に自宅への訪問はせず、被害男性の墓参りのみには行っているということで、遺族の心の傷は癒やされていないそうです。
あくまで2014年4月に発売された週刊誌の内容でのことなので、あれから10年以上経った今は、何かした心境の変化があるのかもしれません。