昭和にブレイクしたジャニーズ発のバンドユニット「男闘呼組」。
ギターボーカルの成田昭次さんはユニットを代表するメンバーで大人気でした。
ユニットの全盛期に結婚し子供が誕生するなど、ジャニーズの中でも異色のアイドルでした。
男闘呼組を離れて以降はソロ活動も、嫁と離婚、薬物逮捕、兄の自殺など波乱万丈な人生を歩んでいます。
今日は成田昭次さんの経歴と簡単に紹介するのと、若い頃の警察沙汰の過ち、そして嫁や子供について書いてみたいと思います。
自殺した兄・健一さんについても整理してみたいと思います。
成田昭次(男闘呼組)の経歴と全盛期。若い頃の過ち(薬物)
成田昭次さんは、1968年に愛知県名古屋市で生まれました。
学歴は小学校から高校まで地元・名古屋です。
兄貴が先にジャニーズに所属していた影響で、中3年の頃に名古屋での近藤真彦のコンサートに行き、ジャニー喜多川さんに会い「ぼくもやりたい」と直訴して、ジャニーズ事務所に入りました。
高校は杜若高等学校に入学しますが、ジャニーズ事務所に所属していたため、夏休みは東京の合宿所でずっと過ごしていました。
高校1年生の2学期から学校に行かなくなり、休学を経て退学し仕事に専念しています。
名前 | 成田昭次(しょうじ) |
愛称 | 「昭ちゃん」、「昭次くん」、「なりしょう」、「成田くん」、「ナッくん」。 |
出身地 | 愛知県名古屋市 |
学歴 |
名古屋市立高蔵保育園 →名古屋市立旗屋小学校→名古屋市立沢上中学校(一時期、名古屋市立平針中学校)→私立杜若高等学校 |
血液型 | A型 |
身長 | 175センチ |
仕事 | 元ジャニーズ(男闘呼組のギターボーカル) |
成田昭次はアイドルに才能と男気を持ち込んだ。男闘呼組ではギターボーカルで作詞作曲を担当。
成田昭次さんは、1984年に当時のジャニーズでは珍しいバンド形式のユニット「男闘呼組」のメンバーとしての活動を開始しました。
ユニットではボーカルとリードギターを担当し、作詞作曲も手掛けました。
男闘呼組での成田さんはシャイで硬派なイメージで、ハスキーでキーが高めな歌声が特徴でハードな曲では巻き舌を駆使した歌い方を披露し、当時までのアイドルのイメージを一変させました。
アイドルでありながらも渋い魅力もあり、この部分は後にスターとなる木村拓哉さんも参考したと言われています。
当初は、プロの作詞家・作曲家に提供された曲を歌っていたが、メンバーはアイドルバンド的な扱いを受けることに抵抗があったのか、デビュー数年で自作曲を中心とした音楽活動にシフトチェンジしていく。歌詞の内容もアイドルらしからぬ過激なものが多かった。1992年には3カ月連続でオリジナルアルバムをリリースするなど、バンドとして意欲的な姿勢を見せていた。
また、プロに頼らない意欲的な活動や、過激な楽曲がジャニーズの中でも異色の存在感を放っていました。
男闘呼組はレコードデビュー後に第30回日本レコード大賞で最優秀新人賞を受賞しています。
早々にNHK紅白歌合戦に出場し、1989年には東京ドームでコンサートを成功させ、その後に2度目のNHK紅白歌合戦出場を果たしました。
男闘呼組は1993年に解散し、成田昭次さんは1995年にジャニーズ事務所も離れています。
成田昭次は若い頃に2度の過ち。業務上過失致傷と薬物所持で逮捕
成田昭次さんは若い頃に2度、警察沙汰になったことがあります。
1988年9月17日(20歳) | 交通事故(業務上過失致傷) |
2009年9月27日(41歳) | 薬物所持 |
成田昭次さんの1度目の過ちは交通事故です。
1988年9月17日の夜10時頃、成田昭次さんは友達から借りた車で、恋人(のちの嫁)を乗せて愛知県小牧市をドライブ。
成田さんは同市内の交差点で一時停止義務を怠り、32歳の会社員女性が運転する軽乗用車と出合い頭に衝突してしまったのです。
事故後、成田さんと恋人は無傷でしたが、相手の女性はろっ骨の骨折など全治3週間の怪我を負いました。
成田昭次さんは一時停止義務違反により、業務上過失致傷の疑いで書類送検されました。
事故の約1ヶ月後、フジテレビの生放送の歌番組「夜のヒットスタジオ」に出演しましたが、事故の責任か、歌の途中に泣き出して歌えなくなってしまう一幕もありました。
2度目の誤りは2009年の薬物所持です。
2009年といえば41歳で若くないように思われますが、薬物使用の経緯を辿ると約20年前の20代前半の頃から使用していたことが明らかになったのです。
成田昭次の薬物所持。20代にビートルズの影響で使用。ファンの資金援助で保釈も引退宣言
成田昭次さんには違法薬物での逮捕歴があります。
2009年9月27日の深夜、大麻取締法違反(所持)の疑いで現行犯逮捕されました。
以前から成田さんの薬物使用は疑われていて、内偵捜査を進め、警察が自宅マンションを家宅捜索したところ、袋に入った乾燥大麻(約3g)を発見したのです。
逮捕後、成田昭次さんは「自分で使うために持っていた。渋谷でイラン人から買った」と容疑を認めていています。
当時、元スターの逮捕に世間はショックを受けましたが、さらに逮捕の報道によって成田昭次さんがライブ活動の側、コンビニでアルバイトしていたことが発覚しファンを心配させました。
約2週間後の10月16日に東京地検に起訴され保釈されましたが、保釈金はファンからの資金援助でした。
薬物を始めた時期に関しては、20代前半だった約20年前にアメリカに行った際に、影響を受けていたビートルズの真似をして初めて使ったそうです。
起訴状によると、成田被告は9月27日、渋谷区の自宅で乾燥大麻約1・689グラムを所持していたとされる。この1カ月前には酒井法子(38)や押尾学(31)らの事件が相次いだ時期だけに、秋吉淳一郎裁判官が「あれだけ報道があったのになぜやめなかった」と問うと「やめようと思ったが実行に移せなかった」と力なく話した。
成田昭次さんは裁判中に芸能活動をやめる旨の発言をし、求刑は懲役6ヶ月、執行猶予3年の有罪判決でした。
成田昭次の家族。両親は離婚し元ジャニの・の成田健一は自殺
成田昭次さんの家族は父、母、兄と本人を含めた4人家族です。
1歳年上の兄貴「成田健一」さんは、成田昭次さんよりも先にジャニーズに入っていました。
両親は成田昭次さんが男闘呼組に在籍してた頃に離婚。
兄・成田健一は2009年に自殺。ジャニーズ退所理由に性的虐待の説
「弟の過ちにショックを受けて病んだ」「自分の使用してて芋づるになって妻子に迷惑を掛ける前に・・・」
成田昭次の歴代の嫁と離婚理由。妻の名前は「みゆき」で長女・遥河。今嫁は「香織」?
1992年5月 | 最初の嫁「みゆき」と結婚 |
1992年10月 | 第一子の長女・遥河(はるか)誕生 |
2004年頃 | 最初の嫁「みゆき」と離婚。親権は元妻に渡る。 |
2010年以降 | 物販を手伝ってくれた女性と再婚 |
同級生の女性「みゆき」と結婚。入籍した同年に第一子の子供が生まれる
離婚後に一般人の女性と再婚。兄の妻子と住んでいた時期もあった。※名前は香織?
2010年頃に兄の妻子は家を出ていき、その後に成田昭次さんは再婚したことがわかっています。
再婚相手は、成田昭次さんのライブで物販など手伝ってくれていた女性とのことです。
その女性とは薬物所持で逮捕される前からの知り合いだったようで、逮捕後は精神的に参ってる彼を支えていたことが伺えます。
ネット上では再婚相手の名前が「香織」だと噂されています。
しかし、これは木村拓哉さんが工藤静香さんと結婚する前に交際していた彼女の名前であり、”全盛期に結婚したアイドル”という特徴が同じことから情報が混じっただけではないか?と思われます。
成田昭次の現在。ハンドクリームの広告に登場!ソロ後にバイトや工場社員も男闘呼組再結成の復活!
成田昭次さんはソロになって以降は、鳴かず飛ばずで離婚もしています。
警察沙汰になったり、兄が自殺したりと散々でありました。
離婚後の養育費の支払いもあり、2009年の逮捕時はコンビニでバイトしていたなど、財政状態は良くありませんでした。
その後も地元愛知に戻った際に、兄を継いで陶芸家を目指したり、中学の同級生のツテで大工の仕事をするなどしました。
現在の嫁と再婚した後は、ハローワークで見つけた接着剤などの化学製品の会社で働きました。(会社名はアイカ工業株式会社との説も)
バンド「成田商事」を結成し活躍!男闘呼組再始動時もトンカツ屋でバイト
現在までに自身の名前をなぞった「成田商事」というバンドを結成し活動しています。
その後に男闘呼組のメンバーだった高橋和也さんとメールでユニットの再結成を決め、2021年に8年務めた会社を辞めて上京しました。
上京後は、株式会社リズメディアという芸能事務所が経営しているトンカツ屋で働き始めました。
成田さんは、とんかつ屋「さつまやとんとん」では”揚げ担当”として活躍されたそうです。
リズメディアの社長の谷川寛人さんのおかげでトンカツ屋と音楽活動を両立させ、夢に向かってリスタートできたと語っています。
男闘呼組の復活ライブでは魅力をました演奏力を披露。
大勢のファンを熱狂し、見事に返り咲きました。
再結成後は男闘呼組メンバーを中心とした、寺岡呼人プロデュースによる新バンド「Rockon Social Club」 を結成し、再び話題となっています。
ハンドクリームの広告に成田昭次が登場!Rockon Social Clubの新曲「何処にもいかないから」がCMソングに起用
Rockon Social Club結成後は、いきなり大手「オキーフ」の広告に登場しました。
同社の「O’KEEFFE’S(オキーフ)」という商品の広告に登場しましたが、同商品は”父を想う娘のやさしさから生まれたスキンケアブランド”です。
ブランドの始まりは、労働者の父の為に娘がハンドクリームを開発したことです。
娘のタラ・オキーフは、乾燥地帯で牧場主の過酷な仕事で肌荒れに悩んでいた父のため何年もかけて開発を繰り返し、ついに父のためのオリジナルスキンケアクリームを作りあげたのがスタートです。
離婚後にコンビニのバイトをしてまで娘の養育費を払い続けた成田昭次さんの境遇と重なる部分があって感動ですね。
成田さんが広告に登場する「オキーフ ワーキングハンズ」は、従来の商品をさらに改良した商品です。