元キャバ嬢でタレントなどで活躍される方は多いですが、
元銀座のママで、第二の人生で大きく転身したという話題は少ないです。
銀座のお姉さんは、売れるまでに時間はかかるものの、
一度売れれば、ある程度の年齢まで接客時術だけで飯が食えるものです。
そんな銀座のお姉さんで、
過去に「筆談ホステス」という著者をヒットさせた、
斉藤りえさんという方がいました。
斉藤りえさんは聴力障害でありながも、
お客さんとの話をマメにメモし、
努力で障害を乗り越えて、銀座で売れたのです。
2009年に筆談ホステスが売れると、
翌年には女優の北川景子さん主演でドラマ化もされ、
その波乱に満ちた人生が、多くの人の共感を産んだのです。
その後の斉藤りえさんがどうなったのか気になりますが、
なんと、政界に進出していたことが明らかになりました。
しかし、政界に進出する手前には、
父親のいない子を妊娠・出産するなど、
一部からは「人気ホステスから転落」と、
心ないパッシングも受けていたのです。
現在の政界進出までの斉藤りえさんの人生を、
簡単に振り返ってみたいと思います。
筆談ホステス・斎藤りえの今現在
青森生まれの斉藤りえさんは、
1歳の頃に聴力を失いました。
障害がありながらも負けん気の強い斉藤りえさんは、
高校時代にアパレルのアルバイトにして、接客スキルを学び、
当時から、接客が好きになっていたそうです。
19歳でホステスの道に行き、
2007年に上京しました。
聴力がないハンデと戦い、
見事にナンバーワン嬢に輝くと、
2009年に「筆談ホステス」を書き上げヒット。
ドラマ化までされる社会現状になりました。
テレビ出演や講演会などの話も舞い込み、
斉藤りえさんの人生は華やかになったと思われました。
当時から心無い人から「ヤラセだろ」と疑惑を持たれたり、
2010年に妊娠を発表した時も、心無い声はありました。
その子の父親になるはずの男性と、
入籍せずに、シングルマザーとして頑張ることを宣言し、
単身ハワイに乗り込み、子供を出産しました。
当時のことを彼女はこう振り返ります。
「若かったとは思いますけど、当時の決断に今も後悔はありません。娘とは親子という関係を超えた“パートナー”のような存在です。ほかの家庭とは違う環境であることを理解しながら、7歳なりの小さな心で、いつも私が困らないように気遣ってくれます。結婚ですか? 今のところはないですね」
後悔はないと断言してるあたりが、
さすが、根性あります・・・。
そして2015年に東京都北区議会議員に立候補すると、
見事にトップで当選を果たしたのです!
まさかの政界進出に期待と不安の声がありましたが、
現在でも、しっかりと業務をこなしているようです。
子供を抱えながらも、ハンデを背負い、政界の業務まで。
斎藤さんには不可能という言葉がないのでしょうか?
区議に転身で政治家へ
現在の斎藤さんは、議会では音声ソフトを利用したり、
最先端の技術の助けもあってか、
今の仕事は無難にこなせているようです。
当選した当時は多くの人が悪く言いましたが、
あれから3年間も奮闘してるので立派なものです。
また、ゆっくり離されれば、
何を言っているのかわかるスキルもあるので、
ソフトなしでもしっかりと努めることもあるみたいです。
「朝5時に起きて朝食とお弁当作り。車で娘を駅まで送り出した後、いったん帰宅して家事を済ませます。区役所に着いたら、資料の準備や音声ソフトの調整をして、10時から議会、夕方5時まで続きます。そこから娘の習い事のお迎えに行きます」
母親としての仕事もきっちりこなし、
ハードな毎日を過ごしていますが、
今の斎藤さんは周囲への感謝の気持ちが強いようです。
感謝を忘れない銀座の心があったからこそ、
今の斎藤さんがいるのでしょうね!