国民的に大ヒット漫画「ルパン三世」などを世に送り出したモンキー・パンチさんが、2019年4月11日に死去されました。
81年に長い人生でした。
モンキー・パンチさん死去。死因は誤嚥性肺炎
81歳で亡くなられたモンキー・パンチさんですが、死因はなんだったのでしょうか?
ヒット作「ルパン三世」などで知られるマンガ家のモンキー・パンチ(本名・加藤一彦)さんが11日、肺炎のため死去した。81歳。引用元:ヤフーニュース
どうやら「誤嚥性肺炎(ごえんせいはいえん)」で亡くなられたようです。
この病気は口、胃から肺に大量の物質が入ることでの肺感染症の一種です。
モンキーパンチさんの現在は受賞ラッシュと教授・顧問就任
モンキーパンチさんはルパン三世のヒットの後には数々の賞を受賞し、漫画家としての成功を手に入れました。
80年以降、サンディエゴ・コミックコンベンションINKPOT賞、ローマ・コミックフェスティバルROMICS金賞、AMD Award功労賞、東京アニメアワードアニメ功労賞。
しかし、2003年に66歳にして更なる高みを目指し、東京工科大学大学院メディア学研究科メディア学専攻(現・バイオ・情報メディア研究科メディアサイエンス専攻)修士課程(現・博士前期課程)に入学しました。
そして、その後は大手前大学人文科学部メディア・芸術学科マンガ・アニメーションコース教授、東京工科大学メディア学部客員教授、地元・北海道の専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問に就任するなど、教える側としても活発な活動をしてました。
晩年もCGを使った3Dアートの研究など、最後の最後まで好奇心旺盛に活動を続けました。
自宅は千葉県・佐倉市にある
モンキーパンチさんは北海道出身で、故郷愛溢れる方ですが、自宅は千葉県の佐倉市にあります。
現在までに佐倉市広報のカレンダーの作画をされたり、佐倉市では市民からの信頼も厚いです。
昨年の4月には「佐倉親善大使」に選ばれました。
当初モンキーパンチさんは「親善大使を命じられたので責任を持って全うしたいと思います。そのためには皆様の力を借りながら大使の役目を果たしたいと思います」とコメントしてます。
1996年から佐倉市在住で、。2002年から3年間佐倉市広報カレンダーの原画を手掛け、2013年には佐倉市立美術館にてルパン三世展を出展しました。
さらに2014年には市制施行60周年記念として、ルパン三世のご当地ナンバープレートが出るなどしました。(原付限定)
また、佐倉市が誇る高級住宅街・染井野の自宅に行くとサインをくれるとして、ファンサービスも活発に行なっていたそうです。
千葉県にとっても大切な存在であったモンキーさんがいなくなってしまうのは寂しいですね・・・。
モンキーパンチの出身地は浜中町
現在は千葉に住んでいるモンキーパンチさんですが、北海道への郷土愛も強いです。
専門学校札幌マンガ・アニメ学院顧問に就任するなどの活動もあり、さらに2012年からは故郷の浜中町で、ファンイベント「ルパン三世フェスティバルin浜中町」が開催されていました。
2007年のテレビスペシャル「ルパン三世 霧のエリューシヴ」も浜中町が舞台になるなど、郷里への思い入れは確かでした。