みのもんたさんといえば、昭和から平成、令和初期まで多くの番組で司会者として活躍されました。
抜群の仕切りの上手さ、視野の広さ、知識の広さは圧倒的で、他のお笑い出身の司会者たちと引けを取らない活躍ぶりでした。
あまりにも多くの番組に出演していたということで、テレビに出演してる時間のギネスレコードも保持していた程です。
そんな超売れっ子司会者だったみのもんたさんですが、気になるのは”何出身の方?”ということ。
今日はみのもんたさんの若い頃から現在までの経歴についてまとめて書いてみたいと思います。
また、2013年頃に色々と事件を起こした息子さんや、タレント業と並行して行っていた実業家としての仕事についても書いてみたいと思います。
みのもんたは若い頃からアナウンサー志望?テレビ局入社後に独立
本名:御法川法男 (みのりかわ のりお)
芸名:みのもんた
生年月日:1944年8月22日
出身:東京都世田谷区
身長:167cm
父親:父親は水道メーター製造・販売会社「日国工業」の社長
兄弟:三兄弟の次男(兄はみのもんたさんが生まれる1ヶ月前に他界。下は3歳下の妹。)
出身小学校:世田谷区立祖師谷小学校
出身中学:立教中学校(現・立教池袋中学校)
出身高校:立教高等学校(現・立教新座高等学校)。演劇部に所属。
出身大学:立教大学経済学部卒業
趣味:食べ歩き、飲み歩き、庭いじり。
特技:ゴルフ、スキー、テニス、乗馬。
大学卒業後にラジオ局「文化放送」に就職。若い頃からカリスマ的!
みのもんたさんは大手企業の社長を父に持つ御坊ちゃま育ちです。
中学から私立の名門・立教系列の学校へ進学しました。
中学から大学まで立教系列だったのですが、みのもんたさんがアナウンサーを志すきっかけは同大学の先輩・徳光和夫さんの影響でありました。
大学時代は放送研究会に所属していたみのもんたさんですが、4年先輩の徳光和夫さんに、
「アナウンサーはいいよ」
「これからはテレビの時代だよ」
と言われたのが、アナウンサーの仕事を意識するきっかけになったのです。
そして、みのもんたさんは大学を卒業すると”文化放送”に就職しました。
本当はTBSが第一候補だったのですが、不合格になったということで文化放送に入ったのです。(同期でTBSに入社した久米宏を長年に渡り意識していたそう)
1967年に文化放送に入社すると、すぐに深夜放送の「ゲリラでいこう」でデビュー。
そして、入社してわずか2年で「セイ!ヤング」にてラジオパーソナリティーに就任しました。
若くして才能が見込まれていたからこその抜擢だったということで、当時からのみのもんたさんのカリスマ性、人気ぶりが伺えます。
みのもんたは入社して12年で文化放送を退社しテレビのナレーションに
文化放送で人気者になっていたみのもんたさんは「セイ!ヤング」の他にも、「オールジャパンポップ」など多くの人気番組で活躍されました。
『オール・ジャパン・ポップ20』では、「♪みのみのー、もんた、みのもんた」と、独特なオープニングミュージックでファンの心を掴みました。
プロ野球のリポーターなどマルチに活躍していましたが、人事異動で営業部へ配転されました。
結果、入社してわずか12年後の1979年にみのもんたさんは文化放送を退社しました。
父親が経営する水道メーター製造・販売会社「日国工業」に入社。10年間全国を営業で回った
文化放送を退職したみのもんたさんですが、退職した後は実家の会社に入ることを決めました。
みのもんたさんは父親が経営する水道メーター製造・販売会社「日国工業」に入社し、それから10年間も全国を営業で回ったのです。
みのもんたさんが会社員としても苦労していたなんて、今の若い子は絶対に知らないでしょうね。
普通のアナウンサーではありえない経験をしてるからこそ、言葉に重みがあり説得力があったということです。
ちなみに、みのもんたさんはタレント業が全盛期の時代にも、自分の会社「ニッコク」の業務を担っており、連日メディアに登場するみのさんが面接に登場しては従業員を驚かせていたそうです。
みのもんたの現在はセミリタイア。冠番組降板の理由は”年齢”と”病気”
長くテレビ業界の中心として活躍し続けたみのもんたさん。
しかし、2013年に自身のセクハラ疑惑と息子が犯した事件で仕事のペースが変わります。
これまで休まず、眠らず働いていたみのもんたさんが2度の長期休みを取ったり、その後に着実に冠番組が減ったりと、今までの”みのもんたらしさ”が失われます。
当時、多くの人がセクハラ疑惑と息子さんの事件のことで業界から干されたと憶測していましたが、実際は別に事情があったそうです。
2010年代後半からパーキンソン病を患う。高齢化でキレを失う
2013年以降から”らしさ”を失ったみのもんたさん。
自身の冠番組は減り続け、2020年には最後の冠番組であった『秘密のケンミンSHOW』をも降板しました。
後にみのもんたさんが語った降板ラッシュの背景には、自分の体の限界を感じた節の発言がありました。
あるインタビューでは、『秘密のケンミンSHOW』を降板した理由に、
「若いて芸人のテンポについていけなくなった」「潮時かなと思った」と答えています。
また、2010年代後半には自身が”パーキンソン病”を患っていることを告白してます。
実はみのもんたさんは、ある時期から収録中に居眠りをしていると弄られることが多くありました。
実は、本当に居眠りをしていたわけではなく、パーキンソン病による筋肉の低下で目尻が下がっていただけだったのです。
みのさんは当時を振り返っても”ショックだった”と回想しています。
みのもんたの息子。長男・隼斗はTBS。次男・雄斗は元日本テレビで窃盗未遂で逮捕
みのもんたさんは嫁・靖子さんとの間に女1男2の3人の子供がいます。
長女 | 御法川なみ |
長男 | 御法川隼斗 |
次男 | 御法川雄斗 |
長男と次男に関してはネット上で素行面で悪い噂が拡散されているので有名ですが、娘さんが1人いたのは意外ですね!
長女の”なみ”さんは、もともとは研究者として働いていたそうですが、母・靖子さんが亡くなった後は、母の跡を継いで父のスタイリストをしていたそうです。
次男の雄斗さんは、2013年に酔っ払いの財布からキャッシュカードを抜き取り、現金を降ろそうとして逮捕されているので世間的に有名です。
みのもんたの息子・長男の隼斗はTBS社員。
みのもんたさんの長男の隼斗さんは、結婚式が大々的に行われたことが報じられていました。
2005年に一般人女性の山本裕美さんと結婚したのですが、一般人同士の結婚なにのも関わらず大手芸能界のトップが参列したのです。
やはり長男自身もTBSに勤めており、業界と関係があったせいでしょうか?
ちなみに、長男も昔はなかなかの悪だったと噂があります。
「この長男はもともと地元では名うての『ワル』で、とかく噂のあるドラ息子。
今回の一件で当初、次男でなく長男の名前があがったのも、強盗未遂や覚露剤不法所持なんていう噂が流れたのもそのせいなんですよ」実際、地元や大学周辺の取材をしてみると、この長男、横須賀で活躍するチーマーの一員らしいことがわかった。
しかも、このチーム、地元ではやたら評判の悪い集団で、暴行やクスリなど様々な噂が囁かれている。
次男の事件のせいで、若い頃のことが掘り起こされて大変ですね・・・。
長男も次男も同じ慶應出身ですが、長男はアメフト部に所属していたそうです。
父と同じくTBSでアナウンサーを目指していたみたいですが、結局は営業で入社したそうです。
現在では制作側に回り、「ウンナンのラフな感じで。」などプロデューサーとして活躍しています。
みのもんたの息子・次男の雄斗の事件と現在。日本テレビ退職後はニッコクに就職?
みのもんたさんの次男の雄斗さんは、1983年(昭和58年)生まれで、高校から慶應系列です。
早生まれの1982年の嵐の櫻井翔さんと同級生だと思われます。
週刊誌の記事によると、次男の雄斗さんは高校時代からヤンチャだったということで、学校でも有名だったみたいです。
本名:御法川 雄斗
生まれ年:1983年(昭和58年)
出身高校・大学:慶応義塾
大学時代はサッカー部に所属していた
高校時代に組織的な万引きをして「停学」
2005年に日本テレビに入社、営業を経てディレクターの立場につく
2011年 学生時代から交際していた長澤まさみ似の一般女性と結婚
実家は大金持ちなのに、高校時代から窃盗的な行いに手を染めていたそうです。
2013年に窃盗未遂を犯した際にも、当時は日本テレビの写真で月収1000万はあったはずなのに、そのような行為をおこなってしまっています。
他人のキャッシュカードで現金を引き出そうとしたとして、警視庁は11日、日本テレビ社員御法川(みのりかわ)雄斗容疑者(31)(東京都港区高輪)を窃盗未遂容疑で逮捕した。
発表によると、御法川容疑者は8月31日午前1時10分頃、東京都港区新橋のコンビニ店で、近くの歩道に酔って眠り込んでいた40歳代の会社員のカードを使って現金自動預け払い機(ATM)から現金を引き出そうとした疑い。
お金が欲しいというよりも、別の快楽を求めているように感じます。
ちなみに高校時代の万引きに関してネット上では、
・盗みを働いていたのは慶応大学内にある生協
・みのが塾高の全クラスにエアコンを付け、停学処分で済んだ。
と書かれていました。
次男の現在はみのもんたの会社”ニッコク”の関西支部で働く
2013年の事件の後に日本テレビを退社しましたが、その後は父の会社「ニッコク」の関西支部に勤めているようです。
週刊誌では、単身赴任で1日五千円のビジネスホテルに泊まりながら朝8時から夜5時まで働く生活を送っていると書かれていました。
夕方、ホテルに戻った次男に声をかけた。
――こちらでの生活はいかがですか?
「お疲れさまです。すみませんね」
ひと言答え、ホテルへと入っていった。
新生活への不安とやる気が、入りまじった表情だった。翌日、東京・六本木のニッコク本社前で、父・みのもんたを直撃した。
――最近、息子さんと直接お話は?
「別段、会ってないからね」
――じつは和歌山でお会いしました。
「行ったの? 元気でした? 根はまじめですからね」
週刊誌に記事が出た後、ネット上では”どう生きてもコネで這い上がれて羨ましい”など書かれていました。
どれだけ努力しても、なかなか認められないというのは、次男的には苦しいことです。