デビューしてからずっと素顔を明かさない、歌手の浜田省吾さん。
テレビメディアを遠ざけているものの、いまだに根強いファンが多く存在し、カリスマ性は相変わらずです。
私生活も闇に包まれている浜田省吾さんですが、実は既婚者であります。
今日は謎の多い浜田省吾さんの経歴や私生活、そして素顔について書いてみたいと思います。
長年サングラスをつけている理由、顔出しをしたくない理由についても、わかる範囲で綴っていこうかと思います。
浜田省吾の素顔。サングラスをかける理由は童顔を隠すため?
浜田省吾さんのトレードマークとなっているのが”サングラス”です。
デビューしてから半世紀近く経ちますが、浜田省吾さんは現在までに音楽活動の場ではずっとサングラスを着用されています。
浜田省吾さんがサングラスを着用するようになった理由としては、吉田拓郎さん「AIDO」ってバックバンドで活動していた際、ドラムでもグラサンで目立つことができたという説が強いです。
さらに、憧れているボブ・ディランやジョン・レノン、スティービー・ワンダーが常にサングラスをつけてパフォーマンスしてる姿に影響されているという説もあります。
昨今は、単純に”顔を覚えられたくない”というのが一番強そうですが。
ちなみに子供の頃の素顔の写真を公開していたり、初期の頃の写真では薄いサングラスで素顔が薄く見えていたりしていました。
つまり。”絶対に見られたくない”というほどのこだわりはないということですね。
売れた後に週刊誌に浜田省吾の素顔の写真がキャッチされる
ネット時代の今となっては、浜田省吾さんの素顔の写真を調べことができますが、売れ始めたばかりの頃は、”浜田省吾の素顔ってどんな感じなの?”と好奇心を持ち人が多くいました。
そして、当時の週刊誌に休日に嫁さんと素顔でデートしてる写真が撮られました。
今の人からしてみると、素顔よりも美人な嫁さんの方に関心がいきますね・・・。
ちなみに、この写真が週刊誌から出た時、浜田さんはすごく怒っていたそう。
若い頃と今とでは、素顔の感じもかなり変わっていると思われ、現在こそ素顔を見せたくない気持ちが強いと思います。
ある雑誌のインタビューで”素顔を覚えられるのが嫌だ”って発言していたことから、音楽で成功しても、私生活は普通に送りたいと美学を持っていると考えられます。
浜田省吾の美人嫁。奥さんとの馴れ初めと子供。離婚や不倫も謎
私生活について多くを語らない浜田省吾さんですが、1978年の25歳の頃に一般人の女性と結婚しています。
年齢は相手の女性の方が年上で、姉さん女房をもらったということです。
嫁さんとの出会いは20歳の頃で、浜田省吾さんがデビューする前です。
出会った場所は、浜田さんが通っていた神奈川大学最寄り駅(東急東横線白楽駅)から2つ先の菊名駅です。
『愛奴でドラムを叩いていた20歳頃、駅で傘が無くて困っている彼女に、「入りませんか?」と声を掛けたのがきっかけ。彼女は普段なら断っていたけれど、たまたま風邪をひいて会社を早退していた為、「じゃ、お願いします。」って事になった。 家まで送って行ったら、愛奴メンバー5人で住んでいたアパートの直ぐ近くだったので、それから彼女が友達を連れて遊びに来る様になった。そのうちに・・・・という訳なんです。』
突然の雨に傘が無く困っていたお嫁さんに、たまたま通りかかった浜田省吾さんが、
「良かったら入りませんか?」
と声をかけたのがきっかけです。
さらに、嫁さんの家が当時の浜田省吾さんがバンドのメンバーと5人で住んでいたアパートのすぐ近くだったため、彼女の家まで送り届け、仲良くなったのです。
その後、嫁さんが友達を連れて、浜田省吾さんのアパートへ遊びにくるようになり、いつしか交際へと発展していったのです。
浜田省吾のデビューアルバムに美人嫁が写っている?売れる前からデビュー、全盛期を共に歩む
とても美人の嫁として知られ、1976年のデビューアルバム「生まれたところを遠く離れて」の裏ジャケットに、当時はまだ彼女だった嫁さんと二人で写っているそうです。
デニムを履いて腕を組んで歩いている女性が、当時交際中で、現在は結婚している浜田省吾さんのお嫁さんなのだそうです。
遠目で少ししか顔はわかりませんが、美人オーラがすごいです。
ある週刊誌が浜田省吾さんの日常写真を載せた際、”美人妻”と一緒にいたと書かれていたぐらいなので、美人であることには間違い無いです。
浜田省吾と嫁の間に子供はいない。父性溢れる楽曲は人気
結婚して半世紀近くが経っている浜田省吾さんと現在の嫁さん。
当然、子供もいるのかと思えば、なんと未だに子供は誕生していません。
年齢的にも今後も二人の間に子供が生まれる可能性は低そうです。
昔の雑誌では、男女の愛と子宝について言及してる記事があり、決して子供が欲しくなかったわけではなさそうです。
また、子供こそは生まれていないものの、過去の楽曲には「I am a father」「花火」「五月の絵画」など、父性溢れる作品もあります。
一部では”メディアに公表してないだけで実は子供がいるのでは?”という噂もありますが、そうだとしたら作品について語る上で自然と言及するはずなので、子供を隠してる可能性は低いと思います。
浜田省吾は不倫や離婚の報道とは無縁?
結婚して半世紀近くが経つ浜田省吾さんと現在の嫁さん。
売れっ子ミュージシャンが、初婚の嫁を大切にすることはかなり稀です。
浜田省吾さんのことが好きなファンに話を聞くと、なんだかんだで真っ直ぐで筋の通ってる浜田省吾さんこそが、本当の愛を歌う資格のある希少な歌手だと語ります。
結局は隠れて女遊びしてるのではないか?など、そんな憶測は売れ出した後から少なからずありましたが、週刊誌がゲットしてくるスクープはどれも嫁さんとのデートだったりします。
今の嫁を、20歳の頃にたまたま傘に入れて自宅に送り届けたあの日から、苦労してデビューして、全盛期を終えてもずっと大切にしてると思うと、ファンが浜田省吾さんから離れられない気持ちも分かります。
浜田省吾の若い頃・子供時代。出身中学・高校・大学
名前 | 浜田省吾(はまだ しょうご) |
愛称 | ハマショー |
生年月日 | 1952年12月29日 |
出身地 | 広島県竹原市 |
活動期間 | 1974年〜 |
所属事務所 | ホリプロ〜ロードアンドスカイ |
職業 | ミュージシャン・シンガーソングライター・作詞家・作曲家・ドラマー。 |
血液型 | O型 |
浜田省吾は広島県立呉三津田高等学校卒業、神奈川大学法学部中退
出身小学校 | 広島県江田島町鷲部小学校 |
出身中学 | 呉市立二河中学 |
出身高校 | 広島県立呉三津田高等学校 |
出身際楽 | 神奈川大学法学部中退 |
浜田さんの父親は戦前は特高警察官でした。
戦後に地方警察署に勤務されており、転機が多く3歳の時から尾道市、廿日市市、広島市佐伯区、広島市南区元宇品と転校を繰り返していました。
最終的な出身小学校は広島県江田島町鷲部小学校となっています。
転校が多く、友達が少なかったことから、空想やひとり遊びに夢中になり、早い時期からビートルズなどの音楽にのめり込んでいきました。
中学は転校して呉市立二河中学を卒業されています。
中学生になっても、毎日ラジオで音楽を聴いていたそうです。中学の時に聞き込んだミュージシャンはモータウン・サウンド、ビーチ・ボーイズ、ヤング・ラスカルズなど洋楽がメインでした。
高校は偏差値64の広島県でも有数の進学校である広島県立呉三津田高等学校に進学されました。
頑張って入学した名門校でしたが、学校の環境に馴染めず、勉強をやめ、すぐに落ちこぼれてしまったそうです。
そんな時に不良の溜まり場だった野球部に誘われ入部しましたが、先輩と対立したことで3年の頃には退部しました。
野球部を退部した後は、フォークソング・クラブ、新聞部に再入部。
生徒会役員となり自衛隊違憲を演説や川上弾薬庫の弾薬運搬反対デモなど学生運動にも積極的に参加していたそうです。
高校卒業後は、1浪して神奈川大学法学部に進学しました。
学生運動が盛んな時代だったため、大学はロックアウトされたり、ストライキで休校されることが多かったそう。
菊名駅のアパート暮らしでしたが、何もしないで親から仕送りをもらうことに疑問を感じ、道路工事のドカチン・自動車のバッテリー工場などのアルバイトを行っていました。
神奈川大学在学中に町支寛二さんらと再会し一緒にバンドを結成し、20歳の時に「二人の夏」を作っています。
在学中に音楽に夢中になり、大学を辞めたいと思うようになり、両親には「1年間だけ休学させてほしい」と伝えましたが、そのまま大学を中退しています。
退学した別の理由として、学生運動がが激化していた背景で、仲間同士が分裂して内ゲバ抗争へと発展して行き、その仲間同士の争って流血している姿を見て悲しくなったというのもあります。
大学を辞めた後も、世田谷区代田(環七通り沿い)の古い4畳半アパートに住んでいて、まだバイト暮らしで貧しい生活を送っていたそうです。