桜井和寿と小林武史の不仲説の原因はap bankと農業?和解後Liveのセトリ

長く不仲説が出ていた桜井和寿さんと小林武史さん。

最近になってちゃっかりと和解して仲直りしているとのことですが、そもそも仲間割れ自体がガセネタとの説もあります。

なぜ、桜井和寿さんと小林武史さんの間に不仲説が出たのか、そしてそれが本当だとしたら、なぜ和解したのか?

ネットでわかってる話の範囲でまとめてみました。

桜井和寿と小林武史の関係。ミュージシャンと尊敬するプロデューサー

小林武史さんは日本を代表する音楽家で、これまでに多くのヒット曲に携わってきました。

桜井和寿さん率いるMr.Childrenが1992年にデビューした当時から、プロデューサーを担当していたのが小林武史さんです。

最初に出会ったのは、1991年後半のことでした。当時のMr.Childrenについて、小林武史さんは「雰囲気が暗く、演奏も大して上手くなかった…」とコメントしていましたが、それが今や日本を代表するバンドに育っています。

もともと小林武史さんは「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」との思いからミスチルのプロデュースに着手したそうで、思惑通りのサクセスストーリーを描けたということです。

ミスチルがブレイクした後も、ツアーのキーボードとして同行し、ミスチルのファンからはオリジナルメンバーと対等な声援をもらっていました。

桜井和寿と小林武史はミスチル以外でも仲良し。「ap bank」と「Bank Band」

2003年に小林武史さんはMr.Childrenの桜井和寿さん、そして世界の坂本龍一さんら3人で環境プロジェクトへの非営利融資機関「ap bank」を設立しました。

その1年後の2004年には、環境プロジェクトの運営資金や融資金を集めるために「Bank Band」を結成し、楽曲のリリースやライブ・フェスから収益をあげていました。

小林武史のプロフィール

出生名: 小林 武
生誕: 1959年6月7日
出身地: 山形県新庄市
学歴: 山形県立新庄北高等学校卒業
ジャンル: J-POP、映画音楽
職業: ソングライター、作詞家、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー、キーボーディスト
活動期間: 1980年 -
事務所: 烏龍舎

小林武史と桜井和寿が不仲・喧嘩が噂された理由

桜井和寿さんと小林武史さんが仲間割れしたと言われるようになったのは2014年頃からです。

ミスチルが事務所を離れただけでなく、レコーディングやライブにも小林武史さんを呼ばなくなったのです。

さらには週刊誌にも2人の不仲ネタが書かれてしまうという始末。

多くの方が、この2人が今後一緒に活動をすることはないと悲観していました。

小林武史が自分の農業の赤字をミスチルの収益で賄っていた?

2014年にミスチルの活動から小林さんの名前が消えた時期、週刊誌が2人の不仲説について取り上げてました。

小林武史さんと桜井和寿さんの不仲説の理由として、「週刊女性」は、

小林さんが力を注いでいる農業ビジネス・飲食事業で発生した赤字をミスチルの収益で補填していた

との理由で桜井和寿さん及びミスチルと仲間割れしたと報じました。

記事によれば、桜井和寿はこの事実を知り、「あなたはビジネスマンじゃない、ミュージシャンなんだ。早く目を覚ましてほしい」と小林さんを説得してたそうです。

しかし、小林武史さん本人と、その飲食事業関係者とによると、赤字を補填するようなことはしてないと、キッパリと否定しています。

仮にこの話が本当だとしたら裁判沙汰になると思うので、ガセだと思ってもよさそうです。

桜井和寿がソロ曲「足音」以降、ミスチルにも小林武史を招集しなかった

長くソロ活動を希望していた桜井和寿さんは2014年に念願のソロシングルをリリースします。

2014年11月19日に発売された「足音〜Be Stronf〜」に、長年ミスチルで寄り添った小林武史さんの名前がクレジットされていませんでした。

最初はソロ曲だったということで自分の力だけで音楽を作ってみたかっただけだと思われましたが、そのソロ曲をリリースした2014年以降から、ミスチルのライブツアーのキーボードにも小林武史さんは招集されなくなったのです。

これまで小林武史さんがレコーディングから編曲まで携わっていたにも関わらず、この時期から小林さんがミスチルと仕事をすることがなくなってしまったのです。

この時期から桜井和寿さんと小林武史さんの不仲説が囁かれるようになったのです。

桜井和寿と小林武史が和解・仲直りしたと思われる理由

今や一緒にプロジェクトを再スタートさせ、さらにはコラボ曲などで間に入って曲を作ってくれたりしてので、2人の仲を疑う人はいません。

ただ、いつどのタイミングで桜井和寿さんと小林さんが不仲ではないとわかったのか?というのを書いてみたいと思います。

乃木坂の曲「きっかけ」を小林武史の名前を出して桜井和寿が絶賛

人気アイドルグループ「乃木坂46」が2016年にリリースしたアルバム「それぞれの椅子」に収録された「きっかけ」という曲を桜井和寿さんが絶賛。

その際に桜井和寿さんは、

「小林武史プロデュースのミスチル的なアレンジを感じる」

と小林武史さんの名前を出して絶賛したのです。

もしかしたら、小林武史さんへ間接的にラブコールを送りたかったのか?との声もありました。

ちなみに桜井和寿さんはこの「きっかけ」という曲を同年の7月に行われたライブ『Golden Circle Vol.20』で本曲を寺岡呼人と共にカバーしました。

2016年にBank Bandから、2017年にReborn-Art Sessionから楽曲をリリース

不仲説が流れていた小林武史さんと桜井和寿さんですが、2016年7月に「Bank Band」から、6年ぶりの新曲「こだま、ことだま。」を配信しました。

さらには一年後の2017年にはReborn-Art Sessionからも新曲をリリースしたということで、2年続けて共同ユニットから楽曲を出したのです。

モンブラン国際文化賞を受賞した小林武史が桜井和寿に感謝の言葉

小林武史さんは2017年9月に、「モンブラン国際文化賞」という、アート界のオスカーと称される名誉を手に入れました、

賞の内容は芸術や文化の分野で若い才能を支援・育成した人物を表彰するというもの。つまりは桜井和寿さん及びミスチルを育てたことが、主な受賞の理由です。

小林武史さんは受賞スピーチで、

「忘れてはいけない、Mr.Childrenの桜井くん。Mr.Childrenのメンバーがap bankの活動をずっと一緒にやってきてくれた。彼らが、特に桜井くんがいなければ、この賞には至らなかった。改めて、個人的にお礼を言いたい」

と、桜井和寿さんとミスチルメンバーの名前を出して感謝を口にしました。

当時は不仲説が続いてた時期だったということで、多くのミスチルファンがこのスピーチに感動したそうです。

桜井和寿と小林武史の和解後のライブセトリ(Reborn-Art Festival 2019)

1:くるみ

2:sign

3:ラララ

4:ロードムービー

5:Candy

6:花の匂い

7:tomorrow never knows

8:HERO

9:Message

10: to U

桜井和寿と小林武史の関係を年表にまとめ

時期 出来事
1992年 プロデューサーとして関わる
2001年 ユニット「ACID TEST」を結成
2003年 非営利融資機関「ap bank」(環境プロジェクト設立)
2004年 Bank Bandを結成
2005年 無農薬野菜の会社「クルック」立ち上げ(小林武史のみ)
2010年 千葉県木更津で農業を開始。(小林武史のみ)
2012年 坂本龍一と小林武史の東日本大震災復興支援プロジェクトに桜井和寿が参加。
2014年 ミスチルが事務所を離れ独立。活動クレジットから小林の名前が消える
2014年 週刊誌から2人の不仲・決別報道が出る。
2016年 7月にBank Bandから6年ぶりの新曲を発表
2017年 小林武史とReborn-Art Sessionを結成(櫻井和寿名義)
2017年 小林武史がモンブラン国際文化賞を受賞しスピーチで桜井和寿の名前を出して感謝。
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