C-C-Bとは主に80年代に活躍されたバンドです。
代表曲には「Romanticが止まらない」などがあり、当時はレコ代や紅白など多くの音楽番組で無双していました。
80年代の終わりに突如解散し、その後にメンバーが逮捕されたり、若くして死去したりとネガティブなニュースばかりが報じられました。
今日は元メンバーの解散後の音楽人生と、現在についてまとめてみたいと思います。
C-C-Bメンバーの現在が悲惨?田口智治・渡辺英樹・笠浩二・米川英之・関口誠人の近況
ネットで上で度々話題になる、”C-C-B”の元メンバーらの近況。
かつてはレコ大や紅白で活躍した、80年代後半を代表するグループだっただけに、薬物での逮捕やヒモ状態のメンバーがいることは衝撃的なのです。
ベースの渡辺さんは55歳の若さで死去、ドラムの笠浩二さんも60歳の若さで死去。
キーボートの田口智治さんは薬物で2度の逮捕。
ギターの関口誠人さんはヒモ状態&アル中で、肥満など健康状態が最悪です。
唯一、しっかりと音楽活動をしてるのはギターの米川英之さんだけです。
C-C-B元メンバーの近況一覧
渡辺英樹 | ベース | 55歳で死去 |
笠浩二 | ドラム | 60歳で死去 |
田口智治 | キーボード | 薬物で2度逮捕 |
米川英之 | ギター | 現在も音楽活動 |
関口誠人 | ギター | ヒモ |
渡辺英樹の死因は多臓器不全。嫁と離婚し娘2人を育てる。若い頃から責任感強し
名前 | 渡辺英樹(わたなべひでき) |
生年月日 | 1960年2月1日~2015年7月13日(満55歳) |
出身地 | 東京都文京区 |
担当楽器 | ベーシスト |
身長 | 165センチ |
渡辺英樹はC−C−Bのリーダー。娘2人(長女・えりなと次女・ゆきの)を男手一つで育て上げる
渡辺英樹さんは、米販売店を営む家庭の3人兄弟の長男として生まれました。
文京区立誠之小学校・文京区立第六中学校を卒業後、帝京高校を中退。
中学時代からアマチュアバンドを始め、10代の頃からライブハウスに出演、1977年頃に田口智治、笠浩二らと出会いユニットを結成しました。
バンドのリーダーとして活躍され、端正な顔立ちからファンも女性に人気でした。
解散後は、BEEPUBLICの丸山正剛さんらと「VoThM」を結成したり、C-C-Bの元メンバーやその他のアーティストと組んで、精力的に音楽活動をこなしていました。
2012年頃までミュージックスクールで、月に1度ベース教室の講師をしていたこともありました。
1980年代後半に元キャビンアテンダントの女性と結婚しますが、その後離婚しており、生まれた女児二人を渡辺さん側が引き取り、再婚せずにシングルファザーとして育児に奮闘しました。
長女の”エリナ”さんはファンの間でも有名で、2012年のライブでは共演も果たしています。
渡辺さんのブログでは長女が作ってくれたオムライスの写真がアップされるなど、父と娘でとても良い関係を築いていたのが分かります。
次女の”ゆきの”さんも渡辺さんのブログに度々登場しており、ブログでは中学、高校と入学式、卒業式の写真をアップしていました。
メンバーの中で一番ロックな性格だったと知られてますが、家では父親としての責任を全うしていたということです。
渡辺英樹は2015年に55歳の若さで死去。ファンもメンバーも悲痛
渡辺英樹さんは2015年6月に大動脈解離で緊急手術を受け、一度は容体が安定しましたが、翌月7月13日に急性大動脈解離による多臓器不全にて逝去しました。
渡辺さんが死去した際には、元メンバーが悲鳴のコメントを発表しました。
米川が「数日間は信じられなくて、現実として受け止められなかった」とつぶやくと、笠も「お見舞いにも行けなかったので悔いが残った。この若さでまさか、明るい感じで元気だった人間が…。僕のほうが先かと思っていたので悔しい」と唇を噛んだ。
今後の活動についても質問が飛んだが、苦楽を共にした仲間が抜けた穴は大きく、米川は「まだ話してないね」と明かし、笠も「全然そこまでいっていない。受け止めているようで受け止めていない感じ」と胸中を吐露。「(バンドを)大切にしたいけど、それをどうするかは、リーダーがいなくなって柱がなくなっちゃったからね…」と語った。
それでも笠は「最後まで『いいバンドだったな』って言われるようになりたい」と前を向いていた。
家族にも、メンバーにも信頼された渡辺さんでした。
笠浩二は脳梗塞で死去。糖尿病で入院。若い頃は可愛いキャラ。2度目の結婚はなし
名前 | 笠浩二(りゅうこうじ) |
出身地 | 福岡県川田市 |
生年月日 | 1962年11月8日~2022年12月14日 |
担当楽曲 | ドラマー |
身長 |
165センチ |
笠浩二は若い頃から可愛い!病歴が過酷。亡くなった最後は独身
笠浩二さんは若い頃からバンドの中で愛されキャラで、解散後もメディアに出れば”可愛い!”とチヤホヤされていました。
おじさんになった後も可愛い笑顔は健在で、多くの人に愛されてきました。
笠浩二さんは子供の頃から体が弱く、病気がちでした。
幼少時代には小児喘息、C-C-Bとして活動している前後にもストレスや忙しい生活から十二指腸潰瘍・摂食障害・脚気・胃潰瘍など、多くの病気を患っていました。
バンド解散後はソロ活動をされていましたが、1993年頃からは体調不良を理由に音楽活動から遠ざかっていました。
バンドの名曲「Romanticが止まらない」のメインボーカルだったということでもあり、近年にこの曲が取り上げられたと同時に、メディアに再び露出する機会が増えていました。
2016年4月には熊本地震で被災し話題となりました。
「亡くなった方が出た時、すごくショックでした。大きな橋が落ち、村の中の道はズタズタです。僕が、村のために何ができるか。考えています」
と被災地の悲惨さを語り、多くの共感を得ていました。
2018年には脳梗塞で倒れ、2022年の7月には持病の糖尿病で入院。
その後、2022年12月14日に脳梗塞のため60歳の若さで亡くなられました。
死後、ギター&ボーカル担当だった関口さんは、
「ずいぶん会っていなくて。連絡をしようと思っていた矢先の報道で絶句した」
「笠はかわいらしく見えて一番、男らしいやつ。決断力も判断力もあった」
とライブでコメントしました。
ちなみに亡くなった際には、独身だったことも判明しています。
80年代の20代の頃に1度結婚していますが、1990年代に離婚してしまったそうです。
昔に占い番組に出演した際には、売れていた頃に結婚すればよかった、と当時は”花嫁募集中”とコメントしており、再婚はしたかったようです。
田口智治は現在までに薬物で2度も逮捕!若い頃(高校時代)にジャニーズ傘下に在籍
名前 | 田口智治 |
出身地 | 東京都足立区 |
生年月日 | 1960年10月27日 |
担当楽曲 | キーボート |
身長 | 169.5cm |
田口智治は元ジャニーズ?現在までに薬物関係で2度も逮捕!
田口智治さんは10代の頃からアマチュアバンドで活動し、キーボード奏者として業界でその名が有名になりました。
高校時代には近藤真彦さんの第二期専属バックバンド『ダブルス』に加入し、プロとして活動を開始し、一時期はジャニーズの傘下メンバーとして若くしてそれなりにお金持ちでした。
1984年にアマチュア時代から交流があったた渡辺英樹や笠浩二が参加していたC-C-Bの初期メンバーが脱退したことにより誘いを受け、C-C-Bのセカンドシングル『瞳少女』から正式にメンバーに加入しました。
加入後は多くの楽曲の編曲などで活躍し、中心メンバーとして重宝されました。
解散後は元C-C-Bのメンバーである渡辺英樹さん、米川英之さんとユニット『ヨネタワタル』を結成したり、ソロとしても才能を発揮しました。
その後に体調不良などで音楽活動が不定期になり、2015年4月には腹部の強い痛みにより入院。
2015年に覚醒剤所持で逮捕されるというゴシップもありました。
覚せい剤取締法違反(所持)の疑いで、ロックバンド「C-C-B」の元メンバーでミュージシャンの田口智治容疑者(54)=東京都足立区梅島1丁目=を逮捕した。
逮捕容疑は、同日午前11時35分ごろ、自宅で覚せい剤2袋を所持した、としている。
同年9月に懲役1年6か月、執行猶予3年の有罪判決を受けました。
2016年1月には大腸に穿孔が認められたため、大腸の一部を切除する手術を受けています。
手術を受けた同年の2016年4月に再び覚せい剤を使用した容疑で2度目の逮捕。
田口容疑者は4月上旬ごろ、東京都内か周辺で覚醒剤を使用した疑いがある。県警は田口容疑者の元同居人の男(55)を同法違反容疑で逮捕し、関連先として田口容疑者の自宅を家宅捜索したところ、使用済みの注射器やガラスパイプなどが見つかったという。
懲役1年6ヶ月、うち懲役4か月を保護観察付き執行猶予2年の判決が出ました。
2度目の逮捕後は音沙汰もなく消息不明でしたが、2021年10月4日に2016年4月6日から更新の止まっていたFaceBookにおよそ5年6か月ぶりに更新しました。
現在の田口さんは頚椎症性脊髄症の手術を受け、入院後に心の病を患い、精神科のプログラムに毎日通っているそうです。
米川英之は現在もギタリストとして活躍!若い頃からイケメン。結婚相手に矢沢永吉の娘説
名前 | 米川英之(よねかわひでゆき) |
出身地 | 東京都杉並区 |
生年月日 | 1964年3月3日 |
担当楽曲 | ギター |
身長 | 170センチ |
米川英之は脱退後も唯一順調に音楽活動。矢沢永吉に参加するなど
米川英之は中学生の頃からギターを始めましたが、中学生の頃に組んだバンドではベースを担当したそうです。
洋楽のロックスターに憧れ、音楽のルーツには70年代のロックンロールスターがいます。
高校卒業後は音楽の専門学校に進学し、その後は事務所に所属。事務所が運営している音楽スクールに通い、2年のカリキュラムを1年でこなしたことからてC-C-Bへの加入が決まったそうです。
1987年に関口誠人さんが脱退するとセンターポシジョンから目立った演奏を披露するようになり、バンドの中心メンバーとなりました。
C-C-Bが解散した翌年の1990年からソロ活動をスタートさせました。
ソロ以外にも1997年頃から楽曲製作にも力を入れ、これまでに多くのアーティストへ楽曲提供や編曲を行っています。
2015年には矢沢永吉さんのアルバムやライブにギタリストとして参加。
結婚した相手が矢沢永吉さんの娘ではないか?という噂がありましたが、結婚したのは1997年なので、時期的にその可能性は低いです。
現在でも変わらずイケメンで、元メンバーの中では唯一、音楽活動を順調に行なっています。
関口誠人の脱退理由は?若い頃と現在。兄との確執やエホバの証人2世告白
名前 | 関口誠人(せきぐちまこと) |
出身地 | 東京都世田谷区成城 |
生年月日 | 1959年5月2日 |
担当楽曲 | ギター。ボーカル。 |
身長 | 167cm |
関口誠人の現在はヒモ状態!エホバ2世の告白などで話題
関口誠人さんは歯科医の親のもとに、3人兄妹の次男として生まれ、兄の関口義人さんは音楽評論家として有名です。
幼少期に父親を病気で亡くし、いじめと不登校を経験。
中学卒業後、高校へは進学せず、母親の知り合いの会社に就職し、10代の頃にクリスチャンの洗礼を受けました。
1982年に渡辺英樹さん、笠浩二さん、田口智治さん、米川英之さんとともにC-C-Bの前身となるバンド「Coconut Boys」を結成。
1985年にバンド名を「C-C-B」に変更し、シングル「Romanticが止まらない」が大ヒット。
イケメンでギターボーカルのポジションだったことから、バンドの中でも多くのファンを抱えていました。
1987年にC-C-B脱退。脱退した理由は公表されていないのですが、メンバー同士の不仲とか色々噂されていました。
脱退後はソロ活動をしながら、C-C-Bメンバーとユニットを組んだりしています。
2007年に心筋梗塞を発症し、後遺症で口のろれつが若干回らなくなっていた時期もありました。
私生活では、2度の結婚をしており、現在既婚者。
2016年3月に出演したバラエティ番組内では、その奥様に支えられているヒモ状態であることも告白しています。
現在56歳の関口は、昼間から居酒屋で酎ハイを飲み、音楽活動を続けているものの「ぶっちゃけ食えていない」「ヒモ状態に近いですね」と告白する。生活は整体師の妻が支えているとのこと。
お酒ばかり飲んでいるために健康状態も悪いとのことです。
2019年にアルコール性肝疾患を発症、糖尿病や肥満、初期の鬱病なども併発し、生活改善を試みるも2021年にも体調を崩し、入院となっています。
さらに2023年には自身がエホバの証人の2世であることを告白し話題となりました。
関口は「私はエホバの証人の2世信者でした。本日毎日新聞電子版に私の記事が掲載されています。興味のある方はご一読ください」と告知していた。「『母は輸血を拒否したまま死んだ』願った延命、葛藤続けた40年」との記事だ。
当時は宗教観がニュースになることが多かったことから、関口さんの話は衝撃を与えました。