勅使河原秀行(統一教会)の現在。山崎浩子との合同結婚。今妻・住谷文子と子供

統一教会が話題に出るたびに掘り起こされる、”合同結婚式”

合同結婚式は、昔から個性的な行事だとしてメディアやネットで話題になってきました。

過去に合同結婚式を挙げた著名人といえば、桜田淳子さんや山崎浩子さんが有名です。

今日は、過去に統一教会の合同結婚式が話題になった際に有名人になった信者・勅使河原秀行さんについて書いてみたいと思います。

勅使河原秀行さんが有名になった理由、その後、現在について整理してみたいと思います。

勅使河原秀行とは何者?元統一教会本部長で山崎浩子との合同結婚が有名

勅使河原秀行(てしかわらひでゆき)とは何者なのか?

簡潔に言えば”昔に山崎浩子との合同結婚で有名になった人”です。

合同結婚というのは統一教会の有名な行事で、同宗教の信者の男女が同日に同じ場所で一斉に結婚式を挙げることです。

勅使河原秀行さんは1992年に元新体操選手の山崎浩子さんと合同結婚式に参加したとして注目されました。

現役時代の山崎浩子さんは、全日本選手権で1980年から1984年まで個人総合5連覇を達成した元一流アスリートです。

山崎さんは美しい外見から「新体操の女王」とも呼ばれ、引退後はタレントとしても人気を集めました。

名前 山崎浩子
出身地 鹿児島県揖宿郡山川町(現在の指宿市)
生年月日 1960年1月3日
身長 154センチ
血液型 B型

そんな山崎浩子さんの統一教会入信と合同結婚式への参加表明は、当時かなりセンセーショナルな出来事として話題となりました。

当時の勅使河原秀行さんは山崎浩子さんの相手として積極的にメディアに登場し、世間からは「テッシー」の愛称で親しまれました。

当時、宗教内で勅使河原秀行さんは女性信者の間で憧れの存在でした。

有名人である山崎浩子さんをマッチング相手に選んだのは教団の広告塔として利用された面が大きかったと考えられています。

勅使河原秀行は一流企業(大和証券)に勤めた後に統一教会の部長に就任

若い頃から女性信者の間で人気者だった勅使河原秀行さんですが、その理由には”ハイスペックな経歴”が関係しています。

勅使河原秀行さんは名門・京都大学を卒業し、大和証券に就職しました。

山崎さんと合同結婚式に参加した当時は28歳で、この頃はまだ大和証券に勤務する現役の社員だったようです。

誠実なルックスに合わせて、高学歴エリートというスペックがあったからこそ、宗教内で多くのリスペクトを集めモテていたのです。

名前 勅使河原秀行(てしかわらひでゆき)
出身地 愛知県一宮市
生年月日 1963年
学歴 京都大学。統一神学校(UTS)に留学。
信仰 天理教→統一教会
職歴 大和証券→統一教会傘下の企業

統一教会の前は天理教を信仰していましたが、大学在学中に「統一原理」を研究する「原理研究会(CARP)」に出会い信者となったようです。

山崎浩子さんとの騒動後、大和証券を辞め、統一教会がアメリカ・ニューヨーク州に開校した「統一神学校(UTS)」に留学し、その後は宗教関連の企業に転職しました。

復興会では、本部総合企画局の勅使河原秀行副局長が「私が見た統一原理」と題して講演し、大学時代にカープを通して統一原理に出会ったエピソードを披露。元々の天理教の信仰と比較しながら、統一教会の信仰を持つに至った自らの率直な葛藤などを交えて語りました。

高学歴で一流企業務めただった他にも、宗教の統一神学校(UTS)に留学するなど、信仰心も真面目だったことから、信者たちからも強い信頼を集めました。

その後に別の宗教関係の女性と結婚し、2015年時点で宗教の人事部長に昇進し、2016年からは総合企画局副局長という役職名で呼ばれました。

2022年7月に安倍晋三元首相銃撃事件の影響で、教団が”改革を進めていくため”と同年9月に「教会改革推進本部」を設置し、勅使河原秀行さんはそこの本部長に就任しました。

 

教団関係のYouTubeチャンネルに講師として登場するなど、教団内でのカリスマ性は健在のようです。

勅使河原秀行の現在。山崎浩子と破談後に住谷文子と結婚。子供の人数は4人?

勅使河原秀行さんと山﨑浩子さんは、1992年8月25日に韓国ソウルの「ソウルオリンピックスタジアム」で開催された合同結婚式に参加されました。

1992年の合同結婚式の時点で勅使河原秀行さんと山崎浩子さんは入籍はしておらず、法律上は夫婦ではありませんでした。

実は合同結婚式に参加する5ヶ月前の1992年3月に、山崎浩子さんの母が亡くなっており、姉から母の一周忌が過ぎるまでは入籍を待つようにと頼まれていたのです。

もともと家族は結婚に反対しており、母の一周忌が過ぎる猶予期間に、家族らは洗脳を解こうと、元統一教会信者のキリスト教牧師の力も借りて懸命に説得したのです。

結果、1993年4月21日、山崎浩子さんは会見を開いて統一教会からの脱会を宣言し、勅使河原秀行さんとの結婚も破談になったことを告げたのです。

勅使河原さんは山崎さんとの結婚が破談になった後も、メディアの取材などに対して誠実に対応し、その性格の良さから世間から「テッシー」と呼ばれ始め人気者となりました。

勅使河原秀行の現在の嫁・住谷文子と子供

結果的に合同結婚式に参加後に山﨑浩子さんに結婚直前で逃げられてしまった勅使河原さん。

その2年半後の1995年8月には、再度、別の女性と結婚式に参加し話題となりました。

勅使河原さんはソウルのオリンピックスタジアムで1995年8月25日に開催された合同結婚式にて、住谷文子さんという統一教会信者の女性と参加し、無事に結婚されています。

勅使河原さんの2度目の合同結婚式への参加は、当時の週刊誌でも取り上げられていました。

結婚相手の住谷文子さんは、一説によると統一教会幹部の娘で、統一教会内の劇団「世界家族芸術団」で女優として活躍していた美人女性とのことです。

現在までに嫁の住谷文子さんとの間に4人の子供が生まれたとの情報がありますが、生まれた時期や性別などは不明です、

一説によると、子供たちは優秀なDNAを継承し、4人全員が優秀だと噂されています。

山崎浩子と破談後に教団のアイコンとなり優遇された?

世間からも多くの注目を集めたテッシーごと勅使河原さん。

山崎さんとの結婚が破談になった後も、メディアに取り上げられることが多かったことから、その後に教団から優遇されたという噂があります。

憶測としては、宗教の教えに忠実であった勅使河原秀行さんが幸福にならなければ他の信者に示しがつかないという事で、騒動後に優遇されたとされています。

勅使河原秀行さんは住谷文子さんとの結婚当時、神奈川県川崎市にある「孝成家庭教会」の壮年部長という役職に就かれていたそうですが、その後から出征街頭まっしぐらだったということで、このような都市伝説が生まれました。

 

 

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