逸ノ城の引退理由の真実と現在。高校時代の逸話。湊部屋の女将(嫁)/三浦真は医師

逸ノ城といえば、2023年に電撃引退を発表したお相撲さんです。

高校で日本に相撲留学して以来、アマチュアで圧倒的な成績を残し、プロになってからはスピード出世を果たし将来が期待されていました。

十両優勝後に30歳の若さで引退というのは、相撲ファンからすると衝撃的なことです。

今日は、逸ノ城さんの高校時代のことや、部屋入りした”おかみ”の三浦真さんとの関係、そして引退の真相などについて書いてみたいと思います。

逸ノ城は相撲留学した鳥取城北高校時代から凄い!四股名の由来

モンゴルが生んだ、「怪物・モンスター」と云われ若い頃から期待された力士・「逸ノ城 駿(いちのじょうたかし)」さん。

平成生まれの若い力士にして数々の栄光を手にし、第二の朝青龍だと期待されていました。

令和5年に衝撃の引退発表をし大きな話題となりました。

本名 三浦駿(イチンノロブ)
四股名 逸ノ城駿(いちのじょうたかし)
出身地 モンゴル・アルハンガイ県バットツェンゲル村
生年月日 1993年4月7日
身長 191センチ
体重 219キロ
所属部屋 湊部屋
初土俵 平成26年1月場所
引退土俵 令和5年5月場所

鳥取城北高校からを貰って名前を『逸ノ城』に決定する。石浦外喜義氏は偉大な恩師

逸ノ城さんは2010年(平成22年)に鳥取城北高校に相撲留学をしています。

副校長であられ、相撲部監督の石浦外喜義氏に才能を見出されての相撲留学でした。

石浦監督は約15年以上前から1~2年に1度にモンゴルを訪れ、自ら現地の相撲大会などを見てスカウトしてきたそうです。

石浦外喜義氏のスカウトで、過去に多くの海外の留学生が在籍し、その内の多くが角界入りを果たしています。

相撲留学を果たした逸ノ城さんは高校から徒歩5分の監督の自宅で3年間を過ごしました

監督の自宅は寮になっており、1Fには「ちゃんこ石浦」というお店があったり、環境的に最高だったそうです。

1年生の頃は全然使いものにならかったそうで、腕立て伏せもはじめは2回しか出来ず、最初は女子部員に負けるほど弱かっそうです。

石浦監督は当時のことを、

「来たときは(同じ航空機で来日した)照ノ富士の方が強かった」

と回想しています。

石浦監督は語っています。

1年間みっちり体力つくりに励み、めきめき力をつけていった逸ノ城は、2年生からの2年間で全国制覇5回を果たしました。※高校総体では3位という結果に終わり石浦監督にこっぴどく怒られたそうですが

高校の相撲部のページには、過去の全国大会の成績が掲載されており、逸ノ城さんの優勝回数は未だに歴代2位です。

イチンノロブは逸ノ城関の当時の本名

相撲の成績以外にも、

・仲間と3人でしゃぶしゃぶを食べに行って肉を5箱お替りしたそうです。

・更にハンバーガーを12個一度にたべたとか

など、食事に関しては豪快な逸話も残しています。

高校卒業後は入門せず。鳥取県の臨時職員として高校に残った後に湊部屋入門

逸ノ城は高校時代に圧倒的な強さを誇りましたが、卒業後には入門はしませんでした。

鳥取県体育協会に所属し、実業団選手の立場としてアマチュアの大会への出場を続けました。

2013年に全日本実業団相撲選手権大会で優勝して実業団横綱となったことで、大相撲の幕下15枚目格付出の資格を取得しました。

東京国体で1回戦敗退した際には入門について考えていないと語っていましたが、直後に急遽、湊部屋入門を決断しました。

逸ノ城の湊部屋。女将・三浦真は医師の側面を持つ。馴れ初めと子供

モンゴルの遊牧民出身で、14年9月場所で13勝し角界の話題を独占した湊部屋所属の逸ノ城。

逸ノ城が入門した湊部屋といえば、おかみの三浦真さんが医師であることも注目されています。

和服の似合う美人だとしても有名で、メディアに登場すると「あの美人が部屋の女将!?」と話題になったこともあります。

おかみを務める一方で、埼玉県川口市にあるクリニックの院長を務めていた時期もあるというスーパーウーマンとしても有名です。

夫である湊親方との馴れ初めは、埼玉医科大学の大学院に在学していた頃です。

湊親方が当時三浦さんが務めていた病院へ見舞い訪れことがきっかけで知り合いました。

三浦真と湊親方は2000年に結婚し2人の子供が生まれる。「医師」「おかみ」「母親」の3つの顔

三浦真さんと湊親方は2000年に結婚し、その後に2人の子供が誕生しています。

つまり、三浦真さんは「医師」「おかみさん」「2児の母」の3つの顔を持っているということです。

三浦真さんは、医師として自分の病院で働く傍ら、湊部屋のおかみさんとして弟子の世話もしつつ、更には自分の2人のお子さんも育てているのです。

逸ノ城さんが2014年の九州場所の前にストレスで帯状疱疹を発症した際、一番最初に治療したのも三浦さんでした

逸ノ城さんは三浦さんのことを、「日本の母」だとして、と信頼しています。

逸ノ城の引退の真相は酒癖?酔っておかみに手をかけた報道。暴力は禁止

2023年5月に電撃引退を発表した逸ノ城さん。

引退の理由は「腰の痛みの悪化」としましたが、その後に週刊誌の取材で、”引退の理由は他にもある”と報道されました。

週刊誌の報道は逸ノ城さんが引退を発表した同時期の2023年5月でした。

引退した場所の直前までにアルコールに溺れ、素行が荒れていたことが伝えられました。

腰の痛みが悪化していたのは事実ではありましたが、稽古をサボったり飲み歩いたりと私生活が崩壊し、美人おかみの三浦真さんに手をかけたとのことでした。

本当は”クビ’”だった?”引退”させてもらえたのは親方最後の親子心だった説

逸ノ城さんは元々、一人暮らし願望が強く、部屋住みを好んでいなかったそうです。

部屋から抜け出してモンゴルの友人とモンゴルパブに出掛けたりと、部屋のルールを守っていなかったそうです。

ある時期におかみの三浦真さんが見張の元にお酒を飲みに行った際には、おかみさんに手を挙げてしまったこともあると伝えられています

仕方なく”禁酒”を約束して一人暮らしを許可したそうですが、今度は稽古をサボるようなことが頻繁に起きたそうです。

悪事を働く度に親方から大目玉を喰らっていた逸ノ城さんでしたが、最終的には、

「弁護士を通じないと親方と話したくありません」

と、親方との間に致命的な仲違いを起こしてしまったのです。

2022年7月には名古屋場所で初優勝を決めますが、翌月の相撲協会の仕事に穴を開けてしまい、素行も相変わらずでした。

親方は、「逸ノ城が全くいうことを聞かない。限界です」と相撲協会に報告しました。

逸ノ城は出場停止処分を受けた後も酒癖が改善されなかった。部屋の近所クレームが決め手?

逸ノ城は一場所出場停止処分を受け、再度、部屋と相撲界のルールを守ることを約束させられましたが、逸ノ城の酒癖は治らなかったそうです。

出場停止明けの2023年3月の大阪場所で十両優勝を決めますが、同月の末に逸ノ城が部屋に友人をたくさん呼んで騒いで近所からクレームが入るという事件が起きます。

再度、親方から厳重注意を受けますが、その後に連絡が取れなくなり、稽古にも現ず、近所では飲み歩いてる姿が目撃されたそうです。

親方は引退しかないと逸ノ城と対話に試みますが、自宅を訪ねても出て来ず、引退会見の2日前にようやく話せたかと思えば「じゃあ辞めます」とあっさり引退を決断したのです。

クビと言われてもおかしくない状況で引退という形になったのは、親方の最後の親心だったと言われています。

逸ノ城の現在。引退後に音信不通。日本国籍保持

十両優勝を果たしながら、電撃引退した逸ノ城さん。

その後に逸ノ城さんはどうしているのでしょうか?

実は、逸ノ城さんは引退直後から音信不通だった時期があったそうです。

2023年5月に現役時代の盟友・水戸龍さんが、逸ノ城から連絡が入り、

「元気だと知れて良かった」

と喜んだそうです。

逸ノ城は国籍取得で日本で働く?モンゴルでは長男として大黒柱

現在の逸ノ城さんがどのような仕事をしているのかは不明です。

モンゴルの遊民の長男だということで、今後もずっと仕事をしないということはあり得ません。

スカウトされた際は、実の母が日本行きに反対したぐらいに、逸ノ城さんは一家にとって大切な存在であります。

逸ノ城さんは引退する2年前の9月に日本国籍を取得しています。

苗字は師匠の湊親方(元幕内湊富士)の本名から、日本名は三浦姓を名乗っています。

日本の国籍があるということで、相撲関係以外の仕事をする可能性も十分に考えられます。

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