”ケンタロウ”さんといえば、長く国分太一さんと料理番組で共演した料理研究家の方です。
母も同じく料理研究家の小林カツ代さんで、親子で有名な料理研究家という珍しいケースです。
ケンタロウさんは2012年にバイク事故を起こして以来、長くメディアに登場していません。
ネット上ではケンタロウさんの現在について様々な噂があります。
今日はケンタロウさんの2012年のバイク事故の詳細と、現在について書いてみたいと思います。
ケンタロウの学歴と仕事。母は料理研究家の小林カツ代で親のDNAを受け継ぐ
ケンタロウさんは料理研究家であり、イラストレーターでもありました。
芸名 | ケンタロウ |
本名 | 小林健太郎 |
出身地 | 東京都 |
生年月日 | 1972年10月3日 |
家族 | 母・小林カツ代(料理研究家)。姉。※離婚した父(薬の研究員)。嫁・マキ。 |
出身高校 | 学校法人明星学園 |
出身大学 | 武蔵野美術大学短期大学部(生活デザイン科中退) |
職業 | イラストレーター。料理研究家。 |
イラストレーターとしては、武蔵野美術大学短期大学部在学中から活躍しておりました。
有名な作品としては、プレイステーション用ゲーム「バーガーバーガー」のキャラクターデザインです。
2003年にはBEAMSとの共同企画による料理教室開催や台所用品・服の企画および制作などにも参加しました。
2004年には、ポテトチップスの企画および販売やコンビニエンスストア・ポプラの食品プロデュースも手がけるなど、活動の場を広げました。
2008年4月、テレビ東京でTOKIOの国分太一さんとケンタロウさんの冠番組「太一×ケンタロウ 男子ごはん」が放送開始されました。
番組では一般的な家庭の冷蔵庫に普通にある食材を中心の料理がを披露し、以降長く同局の人気料理番組となり、ケンタロウさんの知名度は全国区となりました。
ケンタロウの母は料理研究家として有名な小林カツ代。交通事故のことは知らずに死去
ケンタロウさんの母は2014年に急逝した料理研究家の小林カツ代さん(享年76)です。
母・カツ代さんは28歳の頃から料理研究家としての活動を始めました。
母のカツ代さんは1994年に当時人気料理番組『料理の鉄人』に出演し、中華の鉄人・陳建一に勝利したことで一躍有名人となりました。
”じゃがいも”がテーマの料理対決で、「陳さん、私は家庭料理で戦います」と宣言し、カツ代さんは自己流のフライパンで煮た肉じゃがで審査員を唸らし、見事勝利を収めたのです。
有名になってからの小林カツ代さんは、取材やテレビ出演、講義や執筆、ボランティア活動までと、ほとんど休みなしで働きました。
私生活では21歳の頃に薬を開発する研究員の男性と結婚しました。
料理研究家として忙しくなったカツ代さんは東京と大阪を往復生活をしてましたが、旦那や子供に対する愛情は変わりませんでした。
34歳で長女、35歳でケンタロウさんを出産すると、それ以降は忙しさですれ違い旦那さんと別居することになります。
別居してから旦那さんに長年の愛人がいることが発覚し、旦那が愛人と入籍したいということで2003年に離婚されました。
ケンタロウが料理研究家になったのは偉大な母・小林カツ代の影響
ケンタロウさんは大学在学中こそはイラストの仕事をもらっていましたが、大学中退後にイラストの仕事が無くなってしまいました。
そこで、小林カツ代さんの元で料理を学び、料理研究家として独立したのです。
元々、ケンタロウさんも料理が好きで、その道に興味はあったそうです。
ケンタロウさんは、その後にNHK「きょうの料理」やTBS「はなまるマーケット」などに出演し、料理研究家としても知名度を獲得したのです。
ある時期には親子でテレビ出演したこともありました。
家族の仲は良好でありましたが、母・カツ代さんは2005年8月に「くも膜下出血」で倒れ、以来、療養生活でした。
最後は施設で療養生活を送っていたのですが、2014年1月23日に多臓器不全で他界されました。
亡くなる2年前の2012年にケンタロウさんは首都高でバイク事故を起こし、寝たきり状態になりましたが、母のカツ代さんに心配をかけたくないとして、事故のことは知らせませんでした。
小林カツ代さんのレシピは今でも売れ続けており、死後も圧倒的な支持を受け続けています。
ケンタロウは2012年にバイクで大事故!頭部骨折で脳機能障害。目玉が飛び出すは都市伝説?
ケンタロウさんは長く国分太一さんとの冠番組「太一×ケンタロウ 男子ごはん」で活躍されていました。
しかし、2012年にバイクで大事故を起こすと、以降は料理研究家の栗原はるみさんの息子である”栗原心平”さんが代役を務めました。
長く現場復帰が叶っていないケンタロウさんですが、当時の事故と、その事故で負った障害について整理してみたいと思います。
ケンタロウは愛車のバイクで首都高外苑出口のカーブが曲がれず6メートル下に転落。頭部骨折の重症
ケンタロウさんは、元々バイクが趣味な方で、仕事や私生活でもバイクで移動することが多くありました。
そんなケンタロウさんは、愛車のバイクにて人生を変える大事故を起こしてしまいます。
2012年2月4日の深夜に首都高速道路にてケンタロウさんは大事故を起こしました。
首都高速道路をオートバイで走行している最中に首都高外苑出口のカーブを曲がりきれず、6メートル下の地上に転落。
ケンタロウさんは事故と落下の衝撃で頭部骨折の重症を負ったのです。
ケンタロウさんは事故後にすぐ病院へ緊急搬送されました。
幸いにも一命はとりとめましたが、頭部を強く打った衝撃により脳機能障害が残ったとされています。
病院に運び込まれた彼の状態は、左大腿骨骨折、右足関節脱臼骨折、顔面骨折に加え、脳挫傷、外傷性くも膜下出血など、まさに満身創痍。当初搬送された病院の関係者によると「両手足が麻痺しベッドに寝たきり。意識はあるが、高次脳機能障害という“記憶ができなかったり感情表現も困難”な症状」という厳しい状態だった。
事故後にケンタロウさんが負った怪我は、
・左大腿骨骨折
・右足関節脱臼骨折
・顔面骨折
・脳挫傷
・外傷性くも膜下出血
と地獄絵図です。
正直、生きてるだけでも奇跡というような状態でした。
ケンタロウが事故後に”目玉が飛び出していた”との噂
ネット上でケンタロウさんの当時の事故について調べてみると、”目玉”というキーワードが出てきました。
どうやら、某週刊誌がケンタロウさんが事故した際に、過去の芸能人のバイク事故で”目玉が飛び出していた”と記載したことで、「本当に!?」と気になって調べた方が多くいたようです。
お笑いコンビ「千原兄弟」のメンバーである千原ジュニア(44)も、かつてバイクで大事故を起こしている。ジュニアが事故を起こしたのは2001年3月のことで、タクシーとの衝突を防ぐために急ハンドルを切ったところ、そのままのスピードで顔面から石柱にぶつかる形となった。全身ボロボロではあったが、特に顔面の損傷はすさまじく、鼻は曲がり、おでこの神経は切れ、眼窩低骨折によって目玉が飛び出てぶら下がっていたという。
某週刊誌が”目玉が飛び出してぶら下がっていた”と記載したのは、2001年の千原ジュニアさんの件です。
検索すると一緒に出てくるので、この部分だけを読んで、”あ、ケンタロウってバイク事故の時に目玉出てたんだ”と勘違いしてる方がいるようです。
ケンタロウさんが事故した際に目玉がどうなったかという報道はありません。
ジュニアさんと同じく出ていた可能性もあれば、違う可能性もあります。
現在の時点で、その部分の言及も報道も一切ありません。
ケンタロウは現在がすごい!奇跡の回復で番組復帰目前?嫁・マキの献身的な付き添い
満身創痍の酷い事故を起こしてしまったケンタロウさん。
一時期は命が失われるかもしれないと、多くの方を心配させました。
脳に致命的なダメージが加わったことで、脳障害が起きてるということで、助かったとしても”植物人間のような状態になるのでは?”と言われていました。
ケンタロウさんの事故後の容態は、記憶や感情表現に支障をきたす高次脳機能障害に加え、両手足の麻痺のため寝たきり状態でした。
しかし、事故から1年後には体を動かせるようになるまで回復したのです。
「ほんの少しですが、体を動かすことができるようになったそうなんです!さらに人の手を借りてではありますが、口から流動食を食べられるまでに回復したそうです。感情も徐々に出すことができるようになってきたみたいで、奥さんの話を聞いて笑うこともあるそうです。この1年のリハビリの成果が出ているのでしょう」
穴を開けて吸っていた流動食も口から運べるようになり、嫁さんに笑顔を見せることもできるようになったとのことです。
重たい脳ダメージから1年後にここまで回復できるのはすごいことです。
嫁・マキが自宅で看病。”若いのに病院や施設での介護は可哀想”
ケンタロウさんの奇跡の回復力については、嫁・マキさんの努力が大いに関係してるようです。
嫁さんの名前は”大谷マキ”で、仕事はフードスタイリストです。
事故後にケンタロウさんが入院すると、嫁のマキさんは毎日のようにケンタロウさんの元に通ったそうです。
障害の影響で言葉や表情の出ないケンタロウさんにひたすらに話しかけ続けたのです。
その後は、後遺障害による介護負担の重さから医療関係者から介護施設に入ることを勧められていました。
しかし、嫁のマキさんが、
『高齢者が多い介護施設に(若い)主人が1人でいるのは可哀想。だから彼は私が自宅で看ます!』
と、自宅で看病すると無理を言ったのです。
マキさんは電動車椅子や介護用ベッドなど、自宅介護に必要な物をお金を工面して揃え、本当に自宅でケンタロウさんを自分で介護したのです。
母の一周忌に姿を現したケンタロウ。1年で少しだけ歩けるようになる
マキさんの献身サポートを受け、ケンタロウさんも必死にリハビリを続けました。
その結果、1年後には介護スタッフに支えながら少しだけ歩けるようになったのです。
2015年には2014年1月23日に亡くなった母・カツ代さんの一周忌にも姿を見せ、その様子が週刊誌に取り上げられていました。
奇跡の回復力に、当時から多くの医療関係者を驚かせました。
2018年には冠番組「男子ごはん」に手紙を寄せ話題になる
現在では表情豊かになり、少しずつ足も動かせるようになっているケンタロウさん。
2018年にはかつて出演していた番組「男子ごはん」の10周年記念放送にて、手紙を送り番組内で読まれて話題となりました。
番組ではケンタロウ氏からの手紙を国分が読み上げた。冒頭で「10周年おめでとうございます」と番組の10周年を祝福し、「勝手に事故ってごめん。太一くん10年間ありがとう。心平ちゃん途中からごめんね」と自身に代わり国分のパートナーを務めている料理研究家の栗原心平氏(39)に謝罪した。
「気が付いたら6年も経ったけど、残念ながらまだ短パン男子にチューニングが合っていないんだ。今やすっかりテレビの向こう側の人とこっち側の人って関係だけれど、二人の男子ご飯をテレビで見られてうれしい」とし、「これからもおいしい物をたくさん作って下さい。おいしい物を作って食べるのが全てですから。絶賛リハビリ中 ケンタロウ」と2人にエールを送った。
最後は手紙を代読した国分が「今後ともケンタロウさんと一緒にこの3人で頑張っていくのでよろしくお願いします」と締めくくっていた。
復帰に向けた前向きな言葉はありませんでしたが、輝かしかった過去に悲観的になってる様子はありませんでした。
2012年に事故してから栗原心平さんが代役として頑張っていますが、彼に対する申し訳ない気持ちと、これからも頑張って欲しいという言葉がケンタロウさんらしくて素敵です。
いつか、料理ができるまでに回復できれば、もう一度テレビでの活躍が見てみたいですね!