北野誠の”ズバリ”の現在。謹慎理由にバーニング/周防郁雄や山本リンダへの発言

北野誠さんといえば、関西を中心に活動する毒舌系の芸人さんです。

過去に何度も自身の発言を巡って謝罪会見を開いており、先輩と絡むと”また訴えられたか?”といじられるのが定番でした。

しかし、2009年にはシャレにならない発言をして、長く芸能界を干されてしまったことがあります。

今日は、過去に北野誠さんが謹慎処分を受けてしまった発言の内容や、その理由について書いてみたいと思います。

また、山本リンダさんとの1億訴訟問題や、今の芸風にたどり着いたきっかけについても書いてみたいと思います。

北野誠に干された過去?バーニングの周防郁雄や山本リンダへの暴言で謹慎&謝罪

北野誠さんといえば「探偵ナイトスクープ」など関西の番組を中心に活躍されていた売れっ子芸人でありました。

関西系のテレビ番組ではよく見かけましたが、一時期からパタッと姿を消した時期がありました。

その裏には、業界の大物であるバーニング周防郁雄社長に対する不適切発言があったと言われています。

過去にも山本リンダさんに不適切な発言をし謝罪したこともあります。

北野誠がバーニングの周防郁雄社長の暴言を吐いて干された?発言内容

北野誠さんが芸能界を干されてしまったというのは、2009年のことです。

「北野誠謹慎事件」と呼ばれ、20年以上も北野誠さんが出演していた『誠のサイキック青年団』(ABCラジオ)が突如終了し、無期限謹慎するなど、相当に追い込まれていました。

謝罪会見を開いたものの、容赦無く干されたのということで、世間に強烈なインパクトを与えました。

その原因は北野さんが同番組内で「芸能界のドン」と呼ばれるバーニングプロダクションの周防郁雄社長に対して、相当に失礼な発言を行なったからだとされています。

主に「やく○(周防郁雄社長が)みたいなものやから」との発言が問題視されました。

周防郁雄社長に対しての不適切発言については公然の事実で、所属事務所の松竹芸能の公式ホームページ内で処分についての説明とお詫びのコメントが出ていました。

当社専属タレント北野誠が、朝日放送ラジオ番組「誠のサイキック青年団」及び関連イベント内の不適切な発言により、関係者の方々に多大なるご迷惑をお掛けし、また聴取者及びイベント参加者に大きな誤解を与えましたことを、深くお詫び申し上げます。

当社は、この事態を深く受止め、北野誠を謹慎処分(無期限)とし、関係する役員・社員を社内規定に基づき、懲戒処分と致しました。

長く芸能界を干されてしまった北野誠さんですが、関西で力を持つ”やしきたかじん”さんや、同じ事務所の先輩である笑福亭鶴瓶さんの説得により、謹慎が解かれたそうです。

鶴瓶とやしきが、芸能界の実力者と言われている某大手プロのオーナーに頭を下げて、北野が怒らせた、大手プロの社長を説得してもらったらしいです」(芸能界事情通)

「ドンと親しい大手プロのオーナーと鶴瓶は、毎年正月にハワイで会うくらい昵懇の仲なんです。やしきはやしきで、そのオーナーが関西に来ると、挨拶を欠かさない。そんな関係から、オーナーに頭を下げて、取りなしてもらったと言われています」(同)

鶴瓶さんは周防郁雄社長さんとハワイで顔を合わせるほどの仲で、やしきたかじんさんは社長が関西に来るたびに挨拶を交わす間柄だったようです。

先輩たちの努力が実って所属の松竹は、

本日、当社執行役員会において、(1)北野誠に充分な反省が見られたこと、及び(2)再発防止の為の社員教育の徹底と組織体制の再構築が完遂したこと、を確認し、下記の通り、北野誠の処分を解除することを決定致しました。
重ねて、本件により、多大なるご迷惑及びご心痛を与えた方々に、深くお詫び申し上げます。

と発表し、北野誠さんの謹慎処分を解いたのです。

しかし、謹慎が解かれた後の活動はテレビ、ラジオ、CM、講演活動は厳しいとされ、すぐに全メディアで活動再開とはいかなかったようです。

1993年には山本リンダの写真集を酷評して謝罪

北野誠さんは1993年にも、自身のラジオ番組「誠のサイキック青年団」内で、山本リンダさんのヘアヌード写真集について暴言を吐き問題になるということがありました。

”山本リンダ事件”と呼ばれ、この事件がきっかけで北野誠さんの名前が広がったとされています。

北野さんの山本リンダさんに対する具体的な発言としては、

こんなの誰が見るんや!!

ば○ぁが脱いでもしょうもない

気持ち○い

見たくない、改造人間みたいだ

などと、相当に酷い発言したのです。

当時、激怒した山本リンダさんから名誉毀損で1億円の損害倍賞を請求されました。

その後に北野誠さんは謝罪会見を開き、山本リンダさんに直接謝罪しました。

謝罪会見には山本リンダさんも同伴し、最後は握手を交わして平和に和解しました。

北野誠の芸が激しくなったのは父親の焼身自殺?

北野誠さんがお笑いを志したのは大学生の頃で、京都産業大学時代に「土着民SMショー」の名でお笑いトリオを結成したのが始まりでした。

現所属事務所の「松竹芸能」に養成所が存在することを知り、松竹芸能所属の芸人としてプロデビューを果たしました。

名前 北野誠
生年月日 1959年1月25日
出身地 大阪府大阪市城東区(現:鶴見区)
学歴 京都産業大学経営学部
身長 171センチ

プロになった後、北野さんはコンビを解散し、その後は「MAKOTO」の芸名で関西ローカルを中心に活動していました。

当初の北野さんの芸風は、今よりもオードソックスで、毒舌や暴言というイメージはありませんでした。

北野さんの芸が荒れてしまったのは、1985年に父親が焼身自殺してしまった影響だとされています。

身内のショックで芸風が変化?現在の毒舌・暴言のキャラが確立

北野誠さんのお父さんは精神的な病気を患い、精神病院に入院していました。

父は精神病院を退院した後も、母に暴力を振るいなど問題行動を起こしていました。

当時、若手芸人として売り出していた北野さんは、早くビッグになって家族を支えたいと思ったことでしょう。

そんな矢先、1985年12月8日に父が実家の庭で、灯油を頭からかぶり、火をつけて自殺してしまったのです。

慌てて実家に戻った北野さんですが、父の亡骸に対面しようとした際、母と姉は「顔は見んほうがええ」と言ったそうです。

北野さんはその後から芸が荒れ、テレビ関係者からも起用を渋られるようになってしまったのです。

ただ、そんな北野さんを”やしきたかじん”さんは「面白い」と目を付け、やしきたかじん氏が自身の番組に度々ゲストとして北野さんを起用するようになったのです。

「探偵ナイトスクープ」にも番組初期から起用され、この頃から芸人として頭角を現し、現在までに至るということです。

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