松山千春が結婚した嫁と現在の住まい。娘と孫?実家家族(父母・弟・姉)と職業

歌手の松山千春さんといえば、若い頃はイケメンシンガーとして人気者でした。

噂になった女性は多く、まさにモテモテでした!

そんな松山千春さんも普通の女性と結婚し、長く幸せに過ごしてきました。

現在までに松山千春さんは自身の嫁さんや子供についての言及は少なく、謎が多いです。

ネットでは子供は娘で、すでに孫が産まれているなど噂が色々あります。

実家家族のことなども含めて、松山千春さんと家族の関係についてわかっていることをまとめてみたいと思います。

松山千春の妻・金田孝子。北海道出身のデパート勤務のOL

若い頃の松山千春さんは、信じられないほどイケメンです。

女性にモテモテだったみたいですが、結婚した女性は素朴な一般人の方でした。

松山千春さんは、札幌市内のデパートに勤めていた一般女性の金田孝子さんと1977年から交際

そして、その8年後の1985年12月に、約8年の交際を経て結婚しています。

公に婚約したことを公表したのは入籍する3年前の1982年10月13日でした。

当時の東京・赤坂のホテルにて、婚約発表を行い話題になりました。

婚約会見には松山千春さん自身はコンサートツアー中ということで出席せず、代わりに所属するNEWSレコードの山本社長によって行われました。

当時、すでにマスコミが松山千春さんの自宅に金子さんが通っているのを嗅ぎつけてマークしていたということで、混乱を避けて、あえて出席しなかったとの説もあります。

松山千春の嫁・金田孝子との馴れ初めや結婚までの決意

松山千春さんが結婚した金田孝子さんは一般人の女性です。

しかし、当時のマスコミの取材により、金田孝子さんの人物像が具体的に報じられてきました。

1982年11月2日発売の女性誌「セブンティーン」には、金子さんの詳細が書かれていました。

名前 金田孝子
身長 154センチ
体重 45キロ
血液型 A型
性格 控えめで家庭的
生年月日 1954年4月15日

松山千春さんの父親である松山明さんは、婚約発表の1年前に息子(松山千春さん)から金子さんを紹介されており、「女優の山本陽子さんに似た古風な優しい人」と語っています。

金子さんの生まれ故郷は松山千春さんと同じく北海道の札幌市です。

裕福な農家に生まれ、学校も地元のカトリック系の女子校を出るという、ザ・お嬢様です。

高校を卒業した後は札幌市内のデパートに勤務していましたが、松山千春さんとの婚約が発表される時にはすでに退職されていたそうです。

6年間という長い間をOLとしてデパートに勤務していたということで、大物歌手の妻としては異例の経歴であります。

実は金子さんは週刊誌に自分のことが書かれると松山さんに知らされた際には、「別れましょう」と切り出したそうです。

松山さんが30歳までに結婚する気がないと話していたのを覚えていたことと、自分の存在が松山さんの歌手活動の邪魔になると思って身を引こうとしたのです。

そんな相手を思いやる心遣いが、松山さんの心を掴み、結婚を決断させたとしてます。

松山千春の妻への気持ち。ライブMCやインタビューで語る”決して美人ではない”

控えめで相手のことを思いやる気持ちを持つ金子さんに惚れてしまった松山さん。

婚約発表した後の1982年10月12日の神戸国際会館でのライブのMCで、このようなことを語っていたそうです。

オレが歌を始めた頃か、そんな時「旅立ち」というレコードを出して間もないころかな・・・?。あるスナックでね、あの女と知りあってね、それから何回となく喧嘩したり、仲良くなったり・・・そんな感じで、また、その間にも色んなことがあったりとかね。まぁあ、それで なんとか ここまで来たんだけれど・・・」。

「それで今回、ああいうふうに週刊誌に出たりしてね。名前をいえば「孝子」っていうんだけどね、そんでね、あの・・そいつと途切れ途切れだけど、なんとか6年間付き合ってきたわけじゃない・・・ただね、表に出るような女じゃないしね、もちろんオレもあまり表に出して連れ歩くの好きじゃないからね。それで そんな感じで付き合ってて・・・」。」

「でもさ、あいつの家のとこには週刊誌の連中が行ったり、変な電話が舞い込んだり、色んなことがあったりしてさ・・・だから本当に迷惑かけているのはオレのほうなんだ・・・。

ただね、そういうマスコミが色々騒いだからって、今更6年間、こんな浮気者のオレをね、見守ってた女を急に離すわけいかないじゃん。

別れたらオレは男として一生バカだよ。オレはバカだ、バカだ、と思っていたけど、本当のバカになっちゃうんだよな、別れたら・・」。

要約すると、こんな感じですね↓

・金子さんは表に出るタイプではなく連れ歩くこともしなかった

・金子さんは迷惑になるから別れると言うが本当に迷惑をかけていたのは自分

・決して一途な関係ではなかったが、こんな浮気者な自分を6年間も我慢してくれた

・これだけ自分を見守ってた女を話してくないと思った

↑松山さんが金子さんと結婚したいと決断するまでに、さまざまなドラマがあったことがわかります。

松山千春と嫁・金子孝子の結婚生活。娘の「月菜」と北海道宮の森の自宅

松山千春さんと嫁・金田孝子さんに子供はいるのでしょうか?

調べてみると、二人が結婚してまもなく1人の子供が産まれたそうです。

性別は女の子で名前は「月菜」さんだそうです。

名前を付けたのは、当時「名古屋の麻雀メンバーに名づけ親になってもらった」とおっしゃっていました。

現在までに娘が表に出たことはありません。

一般人として静かに暮らされているようです。

松山千春さんは1996年4月にリリースした「生命(いのち)」という楽曲で、娘の月菜さんのことを歌ったと思われる歌詞部分があります。

この子の人生を 見届けられるなら
最後まで見守って
あげたいと思うね
おやすみ今日の日は
明日もいい子だね
あどけない寝顔だね
夢見ているのかな
頬寄せて 頬寄せて
どうかすこやかな
毎日を 毎日を 与えて下さいね

↑父性溢れる暖かい詩ですね!

松山千春の現在の住まいは北海道札幌の宮の森の豪邸!

松山千春さんと嫁さんは北海道で出会い、そのまま北海道で結婚生活を送りました。

北海道札幌市の高級住宅街「宮の森」にある豪邸は、ファンの間でも有名ですね!

若い頃の松山千春さんの看板と、おじさんになってからの松山千春さんの看板が並んで立っています。

上京するのは仕事の時のみで、基本的には北海道中心に過ごされているみたいです。

松山千春の実家の家族。父と母と弟。孫は?

松山千春さんには父と母と姉と弟さんがいます。

実はファンの間でも、松山さんの家族は有名なのです。

ライブに招待したり、MCで家族のこを話したり、通っているファンの間では馴染みのある家族なのです。

松山千春さんのお父さんの「明」さんは地元・北海道札幌では有名な方です。

なぜなら地元のローカル新聞『とかち新聞』を創刊したからです。

明さんは取材から編集、印刷までのすべてを自分でやっていたという、バイタリティ溢れる方でした。

松山千春さんは実家が貧乏だったということで大学進学を諦めていますが、お父さん「明」さんの新聞は発行は10日に1回程度で収入にならなかったそうです。

家計を支えたのはお母さんの「美代子」さんでした。

母のミヨさんは土木作業で、お父さんと千春さんと弟さんを養っていたそうです。

休む間のなく働き続け、ゴミ捨て場から使えそうなものやお金になりそうな物を集めて拾っていたそうです。

姉の早世さんがいて、上の兄は3歳の頃に肺炎で亡くなっているそうです。

弟の「明人」さんはとても真面目で、人間性が素晴らしい方だったそうです。

松山千春の家族は全員が先に逝く

松山千春さんはこれまでのキャリアの中で病気をすることが多くありました。

実は両親や兄弟は全員が亡くなっており、千春さんが一番の長生きなのです。

今年1月には故郷、北海道足寄町で母のミヨさんが老衰のために99歳で死去したばかり。すでに父と姉も他界しており「みんな亡くなってしまった。2021年、母さんの死から始まり、弟まで。俺より先に死んじゃ駄目なのに、本当に残念だな」と寂しさをあふれさせた。

10月に発売予定の新曲「敢然・漠然・呆然」の歌詞には「父母姉弟」という言葉があると説明し、「家族5人のことを中に入れて出そうと、その矢先に明人が亡くなったのは悔しい」と弱々しく語っていた。

お父さん 1995年に80歳で死去
お母さん ミヨ 2021年に99歳で死去
不明 3歳の頃に肺炎で死去
明人 2021年に61歳で死去
絵里子 1998年に48歳で死去
姉2 早世 幼くして死去

 

一人娘の月菜が35歳で結婚。松山千春にも孫が生まれる?

娘の存在する噂だと思われていましたが、最近になって松山千春さんの口から娘の結婚の報告がありました。

2021年の12月に行われたライブのMCで、以下のようなことを語ったそうです。

俺にも一人娘がいます。お月様の「月」に、菜っ葉の「菜」と書いて月菜といいます。

今年35歳で結婚してくれました。

俺さ、月菜が生まれてから何もしてあげられなかったんだ。あいつが幼稚園の時、運動会があったんだよ。親として見てやりたいと思ってマネージャーと行ったんだ。本当はグラウンドに降りて声を掛けてやりたかったんだ。ところが運動会で流れているのが全部俺の曲なんだよ。そしたら出るに出られなかった。

月菜、こんな親を持って苦労したろう。

しかし陰ながらお前の健康、幸せを願っています。

月菜が嫁に行く時に俺に、普通なら「お父さん、長い間お世話になりました」とかあるべよ。「お父さん、これ以上お母さんに面倒をかけないでね」(笑)。それがあいつの言葉でした。

一人になったけど、これからも頑張って歌っていきたいと思います。

孫の誕生を祈るようなことを言っていたので、おそらくまだ妊娠はしてないみたいです。

生きてるうちに、孫の顔が見れたら嬉しいですね!

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