貴ノ浪さんは90年代に活躍した力士です。
2015年に43歳の若さで死去すると、たちまち大ニュースになりました。
ネット上では貴ノ浪さんの死因を巡って、”実は腹上死じゃない?”との声が多く出ています。
今日は、貴ノ浪さんの死因と、残された嫁と子供について書いてみたいと思います。
貴ノ浪の死因はホテルでの急性心不全。本当は腹上死だった?不倫はタブー
貴ノ浪さんは、2015年6月20日に大阪市内のホテルにて急性心不全で亡くなっている姿が発見されました。
43歳の若さで急死した貴ノ浪さん。
葬儀は自宅のある名古屋市内の葬儀場で行われました。
参列者には元サッカ-日本代表・釜本邦茂さんなど、角界以外からも多くの著名人が集まりました。
貴ノ浪さんの死因は、大阪市内のホテルでの”急性心不全”とだけ報じられました。
幕内勝利数は歴代11位。往年の名大関の名にふさわしい記録を誇る貴ノ浪こと音羽山親方が鬼籍に入ったのは先月20日のことである。享年43。だが、命を落としたのが「午前10時のラブホテル」だったことは報じられず、角界のタブーとなっているのだ。
しかし、仕事の1ヶ月後に、週刊誌に”腹上死”だったと報じられました。
貴ノ浪の本当の死因は腹上死?大阪のホテルで愛人が通報
貴ノ浪さんの仕事、死因は”急性心不全”と一貫して報じられましたが、死後になって”腹上死”だったとの記事が出ました。
週刊誌によると、貴ノ浪さんは嫁さんに5人の友人に会うと伝え家を出ましたが、実際は愛人と大阪で密会していたようです。
「大阪にいる愛人とラブホテルでコトに及んでいる最中に、体調を崩して、そのまま帰らぬ人になったんです」
いわゆる「腹上死」である。しかもこの事実が週刊誌の記事で大々的に報じられてしまったのだ。明るく気さくな性格で、人望も厚かった音羽山親方だけに、その死因は世間に大きな衝撃を与えた。
2015年6月20日の午前10時過ぎ頃に、愛人と密会するために豊中市走井にあるラブホテルを訪れ、行為が始まってすぐに心臓の状態が悪くなってしまい倒れてしまったそう。
相手の女性はすぐにフロントに連絡し救急隊を呼んでもらいますが、救急隊が到着する頃には既に亡くなっていたそうです。
不倫が全ての原因?AEDのないホテル宿泊と持病がありながらも心臓に悪い興奮
貴ノ浪さんの死後、滞在していたラブホテルにAEDがなく、救急隊が到着するまでに手当てができていなかったことが明らかになりました。
貴ノ浪さんと愛人が使用したホテルは部屋数53を数えるそれなりの規模の施設だったものの、一般的なホテルとは違いAEDなどは設置されていなかったそうです。
また、腹上死した方のデータでは、関係を持つ相手が恋人や夫婦相手ではなく不倫相手であることが多いですが、それは”やってはいけないことをしてる”という状況が興奮を高め心臓に負担を与えているからだとされています。
貴ノ浪さんは元々心臓が悪く、持病まで持っているにも関わらず、不倫という危険な興奮の仕方をしてしまったということです。
親方は高血圧症や高脂血症などの持病を抱えていたということですから、心臓には常に負担がかかっていたわけです。
そのうえ、不倫相手とラブホテルでの逢瀬となると、精神的興奮度が高まり、これまた心臓に悪い。
ただ、薬を飲んで病気をコントロールしていれば、彼の若さで急性心不全になることはまずない。
不倫をしていなければ、心臓に負担も掛からず、AEDのないラブホで一夜を過ごす必要もなかったのです。
貴ノ浪の嫁・浪岡陽子は元保育士で父は地元の名士。子供は娘が一人
貴ノ浪は2002年に6歳年上の名古屋在住の保育士・陽子さんと結婚しています。
嫁の浪岡陽子さんは父親が名古屋の病院長という名士です。
貴ノ浪さんが心臓病を患って以降は、陽子さんの父親の伝手を借りて名古屋市内で療養していた時期もありました。
名古屋の病院長の娘でもある陽子夫人とは幕下時代から交際していたという。
「一時、名古屋の彼女のところに入り浸りだと言われたりしたが、実は、現役時代から患っていた心臓病の療養だったようです。
2人は、貴ノ浪さんが幕下時代からの付き合いだったと言われているため、10年以上の長き交際の末に結婚したことになります。
結婚して2、3年後に第一子の子供が生まれました。
貴ノ浪の娘の現在。小学校高学年の頃に父が死去する
貴ノ浪さんと嫁・陽子さんの間には2004~2005年頃に第1子長女も生まれました。
結婚後の貴ノ浪さんは、妻である陽子さんの意向なのか、名古屋市内に自宅を構えることになり、貴ノ浪さんがは単身赴任状態で東京の貴乃花部屋に通っていたようですね。
つまり、現役時代は子供や嫁さんと過ごす時間が、とても短かったということです。
貴ノ浪さんが亡くなった2015年は、娘は小学校高学年という時期でした。
亡くなってすぐに週刊誌で、父の死に纏わる記事が出たのはキツかったことでしょう。
貴ノ浪貞博の経歴・プロフィール。心臓に疾患と胃がんと体が弱かった
・四股名:貴ノ浪 貞博(たかのなみ ただひろ)
・引退後:音羽山親方
・本名:浪岡 貞博(なみおか ただひろ)
・愛称:貴にょ浪、浪大関、浪関
・生年月日:1971年10月27日
・没年月日:2015年6月20日(43歳没)
・出身:青森県三沢市
・身長:196cm
・体重:175kg
・BMI:45.55
・所属部屋:藤島部屋→二子山部屋→貴乃花部屋
貴ノ浪は心臓に疾患。胃がんの手術や大病を患う
貴ノ浪さんは青森県三沢市出身で、中学時代に藤島親方にスカウトされ、角界入りします。
196cmの長身で、長い手足からなる深い懐と強い足腰を生かし勝利を重ねました。
パワフルさが売りでしたが、強引に振り回して投げを打つなど豪快な相撲が常識外れの取り口を「無手勝流」と批判されることもありました。
出世は遅く、師匠からも叱責されました。
貴ノ浪さんは時に感情的で、時にクレバーというスタイルが魅力で、多くのファンを抱えました。
また、素直で感激屋な性格は誰からも好かれました。
体はとても弱く、現役時代から心臓に疾患がありました。
2006年にも大病を患っており、2014年には胃がんの手術を受けていました。
2015年に残念な形亡くなられましたが、現役時代は痛みに耐えてよく頑張りました。