俳優の桐谷健太さんといえば、コミカルなキャラが得意です。
出身地や学生時代の逸話を調べてみると、現在の桐谷健太さんの俳優像がどのようにして完成されたのか分かります。
今日は桐谷健太さんの出身地や出身校、そして青春時代のエピソードについて書いてみたいと思います。
地元の天六への思いと、実家家族についても書いてみたいと思います。
桐谷健太の出身地。沖縄ではなく大阪府の天六!4人家族で兄は実家近くでバー経営
本名 | 桐谷健太 |
出身地 | 大阪府大阪市北区天神橋6丁目 |
血液型 | O型 |
家族 | 両親。兄。4人家族 |
身長 | 181センチ |
生年月日 | 1980年2月4日 |
職業 | 俳優。歌手。タレント。 |
足のサイズ | 27.5センチ |
趣味 | 旅・妄想・散歩・銭湯 |
特技 | どこでも眠れる。ドラム・三線(さんしん)の演奏。 |
桐谷健太の出身地は大阪府大阪市北区天神橋6丁目!沖縄が地元の噂はなぜ?
俳優の桐谷健太さんといえば、ユーモラスなキャラクターが魅力です。
作品以外では関西弁で話すことが多く、実際に本当に関西出身です。
桐谷健太さんの出身地は”大阪府大阪市北区天神橋6丁目”で、通称”天六”です。(”天六”とは大阪市北区天神橋六丁目と、大阪市営地下鉄・阪急電鉄の天神橋筋六丁目駅の略称)
公式のプロフィールの出身地に番地まで書くのは、自分が”天六”出身だという誇りが強いせいだと思われます。
ネット上では桐谷健太さんに沖縄出身疑惑が出ていますが、それは桐谷さんが沖縄愛が強いのが理由です。
桐谷さんは中学生の頃に初めて沖縄に行った際に、なぜか懐かしい気分になり、それから地元の楽器を覚えたり、大人になった後も旅行に訪れたりするなどしています。
俳優としても沖縄に関連した仕事を積極的に受けていたり、桐谷さんにとっては第二の故郷なのでしょう。
桐谷健太の実家は天神橋筋商店街の中にある?自営業の仕事や会社の名前
公式のプロフィールの出身地に番地を書くまでに”天六”への誇りが強い桐谷健太さん。
実家は天神橋筋商店街という日本一の長さを誇る商店街があり、その中にあるとされています。
親の職業は自営業です。
父親は「俺の方が演技がうまい」と豪語したり、ユーモラスなキャラクターです。
桐谷さんは親の仕事の詳細を公表しませんが、仕事がバレてしまうと、実家に観光客や野次馬が殺到してしまう可能性を危惧してのことですね。
ちなみに天六に近い大阪市北区の本庄西に紙やパルプ製品を製造している『株式会社桐谷商店』という会社があり、一時期は桐谷健太さん繋がりだと噂されていましたが、真実は明かされていません。
兄の桐谷昌宏は大阪駅付近でバーを経営。弟に似て陽気なイケメン!
桐谷健太さんには桐谷昌宏(きりたにまさひろ)さんという兄貴がいます。
兄は大阪でバーを経営しており、ファンの間でも有名な方です。
顔も声も弟そっくりで、とても面白くてイケメンな方だそうです。
バーの名前は『バー デジャヴ (DEJA-VU)』で場所は、大阪駅近くの堂山町です。(住所:大阪府大阪市北区堂山町8-18霧島レジャービル3階)
桐谷健太さんの兄であることは隠していないようで、食べログなどにも情報は載っています。
桐谷健太の学歴・出身校一覧。桜塚高校→駒澤大学。勉強のできる秀才!
出身小学校 | 大阪府立豊崎本庄小学校 |
出身中学 | 大阪府立豊崎中学校 |
出身高校 | 大阪府立桜塚高校(偏差値58) |
出身大学 | 駒澤大学経済学部(偏差値50/中退) |
桐谷健太の少年時代。大阪府の豊崎本庄小→豊崎中
桐谷健太さんは子供の頃から活発な目立ちがり屋でした。
俳優という職業を意識したのは、幼稚園の頃にみた映画「グーニーズ」がきっかけという、ませた子供でした。
地元の豊崎本庄小学校に進学すると、家族の方針で勉強もスポーツも頑張り、文武両道を目指しました。
当時から歌を歌ったり、ジョークを言ってクラスメイトを笑わせたり、ムードメーカーの陽キャでした。
ちなみに幼稚園の頃に俳優になることを意識していましたが、小学生の頃には漫才師に憧れていたそうです。
桐谷健太は豊崎中時代はテニス部のキャプテンとして活躍!俳優になることを決断
小学生の頃から勉強もスポーツも一生懸命だった桐谷健太さん。
中学生になるとテニス部に在籍し、3年生の頃にはキャプテンに抜擢されました。
実力・人間性、共に当時から備わっていたことが伺えます。
中学生の頃に観た映画「今を生きる」に感銘を受け、改めて俳優という職業を目指そうと思ったそうです。
幼稚園の頃に一瞬見た夢を、青春になって思い出したということですね!
桜塚高校時代はラグビー部と軽音楽部。自分の表紙の冊子を配り”将来はビッグに”と豪語
ずっと文武両道で少年時代を過ごしてきた桐谷健太さんですが、高校は見事に偏差値の高い桜塚高校に進学します。
桜塚高校ではラグビー部に所属し、高身長を生かしてロックのポジションで活躍していました。
また、ラグビー部と同時に軽音学部にも入部し、主にドラムを担当してニルヴァーナやユニコーンのコピーをしていました。
俳優になった後に映画「ソラニン」にて見事なドラミングを披露していますが、あの演奏力は高校時代に鍛えたのです。
また、桐谷さんは歌も上手で国歌斉唱を務めたことがあります。
中学時代に俳優になることを決めた桐谷健太さんですが、高校時代は「メンズノンノ」に対抗して「ケンズノンノ」を作成し、学校の友達に配っていたそうです。
冊子を作成して配っていただけでなく、自分のプロマイド写真をたくさん作って配っていたそうです。
周囲には「将来はビッグになる」と豪語しており、俳優の夢も堂々と語っていたそうです。
高校の卒業アルバムでは、誰かの足に挟まれています。
当時から、相当にやりたい放題やっていたようです。
高校を卒業する前から親を説得し、俳優の道に行くことを納得させていたそうです。
桐谷健太は駒澤大学に進学すると同時に俳優養成所に入所。仕事が増えて中退
高校時代からやりたい放題やりながらも、文武両道だけは守っていた桐谷健太さん。
大学は駒澤大学の経済学部に進学しました。
高校時代から俳優になることを親に告げていた桐谷さんは、大学進学と同時に俳優の養成所「アクターズクリニック」に入所しました。
大学ではテニスサークルに所属し、飲み会などに積極的に参加して遊んでいたそうです。
大学時代には自転車で大阪から高知まで行ったこともあったそうで、青春を謳歌していました。
2002年の22歳の頃にテレビドラマ「九龍で会いましょう」で俳優デビュー。
楽しい大学生活でしたが、俳優の仕事が忙しくなり、結果的に中退することとなります。