2023年7月に常葉菊川で活躍した戸狩聡希元投手が詐欺の容疑で逮捕されました。
2007年と2008年の常葉菊川の黄金期を知ってる人からすれば、絶対に忘れられない球児です。
今日は戸狩聡希さんが現役時代にどのような選手だったのか?
または、ネット上で噂されていることなどについて書いてみたいと思います。
戸狩聡希が詐欺容疑で逮捕。知人女性に母の病気を理由に14万騙す。07年&08年の常葉V黄金期のエースピッチャー
2007年と2008年の常葉菊川の投手・戸狩聡希さんが逮捕されました。
どのような人物だったのか、簡潔に分かるように詳細を整理しておきます。
功績を上げるなら、2007年の高校2年の頃に田中健二朗(横浜)と共に2枚看板で選抜優勝&夏ベスト4。
3年生が引退した2007年秋に神宮大会で筒香擁する横浜高校を破り優勝。
2008年に春の甲子園に出場、夏の甲子園でも連続出場を決め準優勝です。
名前 | 戸狩聡希 |
生年月日 | 1990年6月26日 |
出身地 | 愛知県豊川市 |
球歴 | 豊川中央ボーイ→常葉菊川→ヤマハ |
経歴 | 2007年春選抜優勝、夏ベスト4(2番手エース)、2007年神宮大会優勝(エース)、2008年夏準優勝(エース)、2016年年対抗優勝(ベンチ外)。 |
身長 | 177センチ |
体重 | 78キロ |
投打 | 左投げ左打ち |
選手としての特徴 | MAX141キロ。カーブ・スクリュー・チャンジアップと球持ちが良い。中学時代に1500メートルで愛知県5位で陸上の強豪からも誘いがあった。 |
著名な元チームメイト | 田中健二朗(横浜)。町田友潤(伝説の球児)。石岡諒哉(現・常葉監督)。 |
社会人になった後に入部したヤマハ野球部でも都市対抗で優勝を経験していますが、この時はベンチメンバーではありませんでした。
戸狩聡希の逮捕された経緯。40代の知人女性から3回に渡り14万を騙し取る。母の病気を口実にしていた
2023年7月20日に戸狩聡希さんが逮捕されたニュースが流れました。
容疑は”詐欺”でした。
2021年12月頃から計3回に渡り、元同僚の40代女性から合計14万を騙し取ったとされています。
「お母さんが力尽きそう。交通費だけでも貸していただきたいです」
との口実でメッセージを送って騙していたそうで、本人は騙し取ったことを認めています。
被害女性は2022年9月から戸狩さんの言動を不審に思い、警察に相談していたことから調査し、2023年7月の逮捕に至ったという経緯です。
静岡県警は20日、戸狩聡希容疑者(33)を詐欺容疑で逮捕したと発表した。 2021年12月、40代女性から3回にわたり計14万円をだまし取った疑いがもたれている。
戸狩容疑者は、常葉学園菊川(現・常葉大菊川)で07年センバツ優勝に貢献。08年夏の甲子園ではエース左腕として準優勝に導いた。
高校卒業後、社会人野球に進み、2012年に左ひじ手術を乗り越え、都市対抗野球のマウンドにも上がった。 しかし、16年に痛みが再発し、野球部を退部。翌17年には独立リーグのトライアウトを受験も不合格で、競技からは引退していた。
被害者は40代の浜松の元同僚の女性ということで、戸狩さんが高校を卒業した後に在籍したヤマハの関係者である可能性が高いです。
フルスイング野球や町田友潤さんの守備で甲子園を沸かせ優勝までした常葉菊川の黄金期の元エースの逮捕は高校野球ファンに衝撃を与えました。
奇しくもこの日はプロ野球オールスターが盛り上がり、その裏で戸狩聡希さんの逮捕劇は大きな話題となりました。
戸狩聡希は17年にトライアウト後に引退。現在は配送業を営む?
戸狩聡希投手は高校時代からプロ注目投手として活躍されましたが、2008年の夏に肘を痛め、プロ野球入りとはなりませんでした。
高校を卒業した後は、肘の治療を続けながらも、社会人の名門「ヤマハ」に入部しました。
ヤマハからのプロ入りも期待されましたが、社会人になってから野球部のエース格になることはなく、プロ注目投手とまではなりませんでした。
2017年に肘の容態が再発し、同年にプロトライアウトを受けて野球人生にケジメをつけ、26歳の若さで引退しました。
戸狩聡希の現在は指導者だった?逮捕時の仕事は配送業
2017年にヤマハを退部した戸狩聡希さん。
その後は野球チームの指導者になっていました。
チームのホームページの紹介ページには、”消えた天才”に出演した元同僚・町田友潤さんにかけて”消えなかった天才”と書かれていました。
逮捕後はチームのページから名前が消えました。
逮捕時に”配送業”と書かれていたので、配送系の仕事をしていたor営んでいた可能性が高いです。
少額の詐欺での逮捕ということで、今後は本人次第は社会復帰も可能かと思われます。
戸狩聡希の豆知識。誤解と真実。朝日記者へのセクハラや「Cマーク」、町田友潤との関係。
戸狩聡希さんの名前を聞くと、
”常葉菊川の黄金期のエース”
”町田友潤が活躍した時の投手”
”甲子園で肘を壊しながら投げ抜いた子”
というイメージが大半です。
また、”セクハラ事件の子”や、”甲子園で相手を挑発してた”というようなマイナスのイメージもあります。
実際には誤解されている点も多くあり、真実は異なるようです。
戸狩聡希はセクハラ事件の当事者ではない?週刊誌の写真記事が原因
常葉菊川といえば、2008年に森下監督がセクハラ騒動で謹慎したことで知られています。
セクハラの被害に遭ったのは同校野球部の取材に付いてた朝日の女性記者です。
セクハラは監督だけでなく、当時の高校の関係者や、野球部員も関係していました。
事件の詳細は割愛しますが、当時から女性記者にセクハラをした部員が戸狩さんだったとの風潮が強くありました。
しかし、実際には週刊誌も被害に遭った女性(現在も本を出すなど活躍)も、部員については「主力選手」と触れるものの、戸狩さんであることが分かるような内容は一切ありませんでした。
戸狩さんがセクハラの当事者だと誤解された理由は、当時の週刊誌の記事に戸狩さんの写真が使われていたのが原因です。
週刊誌の写真は決して戸狩さんだと指すのではなく、常葉菊川というチームを紹介するために掲載された写真です。
戸狩聡希の「C」のマークの理由は謹慎の監督のイニシャル?智弁を見下したのではない?
戸狩聡希さんの思い出について語られるのは、2008年の夏の大会でのパフォーマンスです。
当時の戸狩聡希さんは左肘を怪我し、本調子ではないながらもバッティングでチームに貢献。
ヒットで出塁をすると、ベンチに向かって手で大きく「C」のマークを作って喜んでいました。
このシーンに関して、2008年当時から「対戦相手(智弁和歌山)のイニシャルを作ってバカにしてる」として、ネット上で批判の声がありました。
しかし、実はこの「C」のマークは、前の試合の沖縄代表の「浦添商業」戦でも行っており、決して智弁和歌山戦だけで行った行為ではありませんでした。(※セクハラ問題で謹慎した森下知幸監督のイニシャルの説もありましたが森下監督の読みは「ちさと」ではなく「ともゆき」です。)
戸狩聡希さんが直接インタビューなどで答えたわけではないのですが、決して智弁を見下す為のCマークではなかったのは確かです。
戸狩聡希がヤマハに町田友潤を誘う。高校と社会人でチームメイト
戸狩聡希さんの元同僚に、甲子園伝説のセカンド・町田友潤さんがいます。
戸狩聡希さんと町田さんは2年生だった2007年から3年生になった2008年まで、共に4期連続で甲子園に出場し活躍しました。
3年生の夏甲子園で町田さんのファインプレーが連発した背景には、戸狩聡希さんが肘の影響で”打たせて取る”スタイルにシフトしていたことも関係しています。
3年の夏では、戸狩聡希さんは「壊れたエース」、町田友潤さんは「高校野球史上最高のセカンド」とネットメディアで話題となっていました。
高校を卒業した後は、戸狩聡希さんはヤマハ、町田さんは早稲田大学に進学します。
町田さんは進学後に早稲田大学を退部し、その後は野球をやらない時期もあったそうです。
そんな時に、当時のヤマハの監督が戸狩さんに町田さんの近況を聞き、戸狩さんを通じて町田さんをヤマハに招き入れることになったのです。
再びチームメイトになった2人は、社会人でも数年間ともにプレーすることになったのです。
戸狩聡希と田中健二朗は兄弟のように仲が良かった?サウスポー2枚看板の2007年の常葉全盛期
戸狩聡希さんは2年生の頃に1学年上に、横浜で活躍した田中健二朗投手がいました。
田中健二朗さんと戸狩聡希さんは共に愛知県出身で、しかもサウスポー投手と共通点が多くありました。
2人の関係は兄弟のようで、練習の際も一緒にいることが多かったそうです。
2007年の常葉菊川は春選抜で優勝し、夏の甲子園でもベスト4と好成績を残しています。
2007年の常葉菊川こそが史上最も強かったと考えるファンが多く、その理由には田中健二朗投手と戸狩聡希さんの2枚看板にありました。
2008年は夏に準優勝しましたが、最後の大阪桐蔭戦は17−0と大荒れ。
一方の2007年は準決勝に広陵高校の野村祐輔(広島)を前に1点差まで迫る好ゲームで敗れており、チームの安定感は2007年の方に軍配が上がります。
田中&戸狩の2枚看板時代の常葉菊川は公式戦では広陵高校以外に敗戦はなく(国体でも広陵に敗戦)、負け知らずでまさに黄金時代でした。