大相撲や総合格闘技で活躍された曙太郎さん。
2024年の4月に心不全で亡くなりました。
亡くなる最後には、妻・クリスティーン・麗子・カリーナさんに「I Love You」と伝えたそうです。
今日は、曙太郎さんが最後の最後まで愛した嫁のカリーナさんについて書いてみたいと思います。
曙太郎の長い闘病生活は妻・カリーナと子供が看病。記憶障害で妻子を忘れるも最後は「愛してる」
曙太郎さんは1988年に初土俵入りを果たすと、1992年5月場所の千秋楽で、当時の若花田を一気に押し倒し、幕内初優勝。
その後に外国出身初の横綱に昇進し、2003年に大相撲協会を退職。
引退後はK1や総合格闘技、プロレスにも挑戦し、格闘家として幅広く活躍されました。
名前 | 曙太郎(チャド・ローウェン) |
生年月日 | 1969年5月8日 |
出身地 | ハワイ オアフ島 |
身長 | 203センチ |
学歴 | ハワイパシフィック大学中退 |
職業 | 元力士。元格闘家。 |
曙さんは、2017年4月に北九州市で心不全により意識不明状態となりました。
その後は長い闘病生活を強いられ、体重は210kgから140kgまで減少しました。
闘病中、妻のクリスティーンさんやお子さんたちは、献身的に看病しておられました。
しかし、長時間の心停止による影響で記憶障害もあり、妻のクリスティーンさんやお子さんのことも、あまり認識できなくなっていたようです。
そんな状況下で、死の最後に「アイラブユー」という言葉が出たことが感動的なのです!
曙太郎は妻・カリーナと1998年にデキ婚。3人の子供に恵まれる
曙太郎さんの奥さんは、クリスティーン麗子カリーナさん。
1998年4月27日に結婚し、当時にして妊娠5か月のできちゃった婚でした。
結婚式は10月3日に東京のホテルで行われ、在日本 米国大使のトーマス・フォーリーさんも招待されました。
結婚式の時には、長女の麗奈さんは生まれてたので、結婚式でお披露目をされています。
結婚当時、妻のカリーナさんは25歳だと報じられていました。
曙さんが亡くなった2024年4月の時点では54歳前後ということになりますね。
妻のクリスティーンさんはアメリカ人の父とハーフの日本人の母の間に生まれたクウォーターです。
親は米軍横田基地のアメリカンスクールで働いていた他、基地前の飲食店で働きながら基地内の子供の家庭教師をしていたとの情報もあります。
馴れ初めは結婚同年のスピード婚
曙太郎さんとの出会いは1988年でした。
当時の曙太郎さんは、デビューしたばかりの新人でした。
カリーナさんの父親の古い友人が東関部屋に出入りをしており、曙太郎さんが来日した際に英語が話せず、その時に通訳や話し相手としてカリーナさんが抜擢されたのです。
その時にはそれ以上の関係には進展しませんでしたが、その後に偶然出会い、お嫁さんの家に行ったり、電話する様な関係になり、付き合い始めました。
交際が始まった時期は1997年頃だとされています。(曙さんが1997年に相原勇と破局したため)
2人のデートはお嫁さんの実家がメインで、映画を見たりしてインドアに過ごしていたそうです。
ファーストキスもお嫁さんの実家だったそうです。
嫁さんの父親は曙太郎さんのファンで、当初は家族ぐるみで仲良くなり、その後に妊娠が発覚し結婚したという流れです。
婚約から結婚までの時系列です↓
1988年 | 通訳として出会う |
1997年頃 | 再会し交際スタート |
1998年2月 | 婚約 |
1998年4月27日 | 入籍 |
1998年5月19日 | 長女出産 |
1998年10月3日 | 結婚式 |
プロポーズの言葉は、
と、かなり素敵な言葉でありました。
結婚後はおしどり夫婦として知られ、2004年には第11回のナイス・カップル賞を受賞されてます。
3人の子供。長女・麗奈、長男・洋一、次男・大二。
曙太郎さんは嫁さんとの間に3人の子供がいます。
結婚した年の1998年に長女が生まれ、2年後の2000年に長男、さらに2年後の2002年に次男が生まれました。
外見はハーフですが、全員日本生まれで名前は日本ネームです。
性別 | 名前 | 誕生日 |
長女 | ケイトリン・麗奈 | 1998年5月19日(26歳前後) |
長男 | コーディー・洋一 | 2000年(24歳前後) |
次男 | コーナー大二(だいじ) | 2003年8月(22歳前後) |
曙さんは引退後に格闘家としてデビューした際、オリジナルのトランクスに子供たちの名前を入れていたそうです。
ずっと子供達のことを大切に、子煩悩な父親として評判でした。
長女の麗奈さんと、次男の大二さんは、父の故郷のハワイの大学に留学していたそうです。