奥野淳也被告(マスパセ/マスク拒否)の現在。東京大学卒でTAの職歴。障害(アスペ)説は嘘?嫁と生年月日

奥野淳也さんといえば、コロナ禍初期の頃にマスク着用を拒否し、数々のトラブルを起こした方です。

ネット上では”マスパセ・マスク拒否おじさん”などいう通称の元、奥野さんの話題が多く出ました。

今日はマスパセ・マスク拒否おじさんごと奥野淳也さんが起こした事件と、その後について書いてみたいと思います。

また、実は華麗な学歴で、立派な仕事をされていた優秀な方であるということ、ネット上に出ている障害者だという怪しい噂についても触れていみたいと思います。

奥野淳也(マスパセ・マスク拒否おじさん)は東京大学卒業の華麗な経歴。父親と仕事仕事は明治学院大非常勤職員

出身高校 洛星高校
出身大学 東京大学法学部
大学院 東京大学大学院法学政治学研究科博士課程満期退学
仕事 明治学院大学のTA(特別ティーチングアシスタント・チューター)

マスク拒否を巡ってさまざまなトラブルを起こした奥野淳也さんですが、実はとても華麗な学歴であることも話題になっていました。

出身高校の洛星高校は京都の進学校で、偏差値69で毎年東京大学に10名前後、京大に50〜60名という進学実績で、非常に優秀な方だったことが伺えます。

東京大学の中でも偏差値が高い”法学部”に入学、卒業されています。

その後、東大の大学院の修士課程を修了し、博士課程に進み、法学政治学を専攻していました。

2013年には「都市のメタファーを用いたサイバー空間におけるユーザ行動の構造化」という修士論文を執筆しております。

ある週刊誌が、奥野さんの地元を取材し、大阪府茨木市の生まれで、子供時代から勉強はよくでき、小中学校時代の同級生らの印象で最も多いのは「大人しい性格でとにかく頭が良い」だったと書かれました。

ただ、自分より良い点を取った同級生に突然噛みついたり、自分より早くテストが終わる子がいると「何で僕より早くできるんだ!」と突然激昂したり、運動会では突然逆走して運動場の真ん中を激走するなど、他の子と違った印象も強かったそうです。

奥野淳也の仕事は明治学院大学の非常勤職員。TA(特別ティーチングアシスタント・チューター)として論文の書き方を教える

素晴らしい学歴を誇る奥野淳也さんでしたが、博士課程に進んだ後、博士取得のために論文を執筆しますが、論文審査に合格することはできず、単位取得満期退学となっています。

大学院を満期退学した後の詳細は不明ですが、2020年には明治学院大学のTA(特別ティーチングアシスタント・チューター)として、学生に論文の書き方を教える仕事に就きました。

奥野さんが明治学院大学で働き始めた2020年というと、すでにマスク拒否事件で逮捕された時期で、奥野さんは茨城県取手市の団地に住んでいると報じられていました。

働いている大学の場所と住んでる場所が噛み合わなかったのは、2020年当時にはすべてオンラインでの指導だったということで、明治学院大学に行く必要がなかったからです。

ちなみにTAの仕事の給料は正規雇用ではなく、常勤雇用なので、時給は2000円程度で、週2日、1回7時間半の勤務で月給は112,000円程度だったと憶測できます。

文系は大学院に進むと就職は厳しいと言われていますが、東京大学大学院という日本最高峰の大学院で月収が11万~12万円程度だったとすると、かなり厳しいです。

奥野淳也(マスパセ)のマスク拒否事件まとめ。威力業務妨害、傷害、航空法違反。

奥野淳也さんは”マスク拒否おじさん”として世間で名前が知られましたが、具体的にどのような事件を起こしてきたのでしょうか?

過去にメディアで報道されてきた事件を全てまとめてみたいと思います。

最初にいうならば、捕まった理由は主に威力業務妨害、傷害、航空法違反です。

2020年夏に皇居内の美術館でマスクの着用拒否

奥野淳也さんはコロナ禍が始まったばかりの2020年の夏に、皇居の東御苑にある三の丸尚蔵館の展覧会に訪れた際に、入館に際してマスクの着用を求められましたが、それを拒絶しました。

この時は皇宮警察が間に入ったことで観覧は許可されました。

最初の逮捕は2020年9月7日のピーチ航空。1回目の逮捕以降にツイッターとブログを開始

奥野淳也さんが有名になった最初の事件は2020年9月7日の、ピーチ航空でのマスク拒否です。

2020年9月7日、釧路空港発関西空港行きのピーチ・アビエーションの機内で奥野淳也は、CAからのマスク着用を再三要請されますが頑なに拒否

席の移動も拒否したため、奥野淳也の周囲の座席の乗客は座席を移動することに。

その対応に奥野さんは怒り、「侮辱罪にあたる。謝罪させろ」と大声を上げて詰め寄ったり、CAの腕をねじり上げて軽傷を負わせるなどしました。

安全に運航できないと判断したピーチ航空は、新潟空港に緊急着陸し、奥野淳也は強制的に途中降機。

事件後にピーチ航空はこの事件の後に大阪府警に被害届を提出。

結果、奥野淳也の行為は航空法で定められた「機内の秩序を乱す安全阻害行為」にあたると判断したために、奥野淳也さんは威力業務妨害と傷害、航空法違反の疑いで逮捕されました。

事件の後、奥野淳也はツイッターとブログを始め、マスク拒否の正当性を主張しました。

事件時の動画などをアップし、当時の飛行機に乗り合わせていたお客さんとツイッターでアンサーするなどして話題になりました。

最初のマスク拒否事件の後には、顔出しで『ABEMA Prime』などのメディアに積極的に出演、そこでもマスク拒否の正当性を主張し続けました。

2020年11月18日に長野県松本市の「伊東園ホテル浅間の湯」。レストランでマスクと手袋を拒否し警察沙汰

奥野さん2回目の騒動はピーチ航空事件から2ヶ月後です。

2020年11月18日に長野県松本市の「伊東園ホテル浅間の湯」にて、朝食会場で消毒とマスク着用を拒否してホテルで揉めています。

ホテルの支配人から”ルールを守れないなら退室してほしい”という要請も拒否し、奥野淳也はヒートアップして、警察が出動する事態になりました。

警察が立ち会う中で話し合いが進められ、午前1時半ごろまで事情聴取が続いたそうです。

奥野さんは翌日もホテルのレストランにマスクなしで現れホテル側は警察に通報し、警察が駆け付け、ホテルは朝食代1100円を返金して奥野淳也は退室しています。

GOTOトラベル初期に札幌市の大倉山展望台でもマスク拒否事件

2021年のGOTOトラベルが開始された時期に、奥野さんはマスク拒否で問題を起こしていたそうです。

札幌市の大倉山展望台でもマスクの着用を拒否し揉めたとの情報があり、表沙汰になっていないだけで他にも揉め事を起こしている可能性があります。

2021年4月10日に千葉県の飲食店で警察を殴り2回目の逮捕

奥野淳也さんは2021年の4月にも千葉県館山市内の天丼が有名にて、マスクを着用せずに飲食店側とトラブルになっています。

飲食店は奥野淳也を入店拒否にしましたが、それを不服に思った奥野さんは噛みつき揉め事に発展。

お店の人が警察を呼んで対応してもらったそうですが、奥野さんは警察官を殴ってしまい、そのまま2回目の逮捕となりました。

ニュースにはお店の方が取材に答え、奥野さんが入店してすぐに勝手にビールサーバーでつごうとし女性店員が「やめて下さい」と制止してトラブルが発生したそう。

従業員から手渡されたマスクを「俺はマスクをしねえ!」と叫んで投げ捨て、「早く天丼を出せ!出せ!出せ!」と騒ぎはじめ、女性従業員に自身の顔を10センチの近さにまで近づけて唾を飛ばしながら罵声を浴びせ、、止めに入った他の客を殴って軽傷を負わせました。

通報によって駆けつけた警察官5名に対しても「お前が違法捜査だろ!」などと叫んで襲いかかり、男性巡査長の顔面を殴りつけるなどしたようです。

奥野淳也被告の生年月日は1986年〜1987年。老けて見えるわけではない。父母と弟

奥野淳也さんの生年月日は公表されていませんが、逮捕された時期の年齢からして、1986年〜1987年に生誕しています。

見た目が大人びており、年齢の割に渋いとの声が多いです。

逮捕ニュースで年齢をサバ読むことはないので、年齢は本当です。

若い頃に一生懸命に勉強し、洗練されていった結果、早熟し大人びて見えてしまうのでしょう。

奥野淳也さんの事件に対しては、博士課程の論文審査に通らず、博士号を取得できなかったことが原因で屈折してしまったとの声もありますが、世間の風潮に噛み付く”ただの賢い人”という見方をする人もいます。

奥野淳也の両親や兄妹。父は初逮捕では息子を守った

奥野さんの父親は大阪府茨木市の元市役所職員で、現在は自治会長を10年以上続けている70代の男性である事がわかっています。

実家は「現在でもアパート4棟を経営し、所有する農地を近隣住人に貸している大地主」と、裕福な地主であることがわかっています。

初めて飛行機の事件で逮捕された際には、父親は、

「息子は理屈っぽいところはあるが、大人しい性格で決して人を殴ったり暴力を振るったりする子ではない。無理やりこじつけて罪にされとるような感じ」

「飛行機は席をあけて座るから、そこまでうるさく言わんでも(よい)」

「ちょうどコロナで緊急事態宣言になったからそのための見せしめ」

「過剰反応だと思う」

「裏で大きな力が働いている気がする」

と発言しています。

奥野淳也さんのご両親は、逮捕時で70代だと報じられていました。

また、当時の時点で30歳前後の弟がいることも報じられています。

奥野淳也(マスパセ)がマスクを拒否する理由は病気?裁判と公判”魔女狩り”

奥野淳也さんはなぜ頑なにマスクを拒否するのでしょうか?

過去に自身のブログの中で、次のように説明しています。

私がマスクを着用しないのは健康上の理由ですが、マスク着用問題への意見はこちらをご覧下さい。

とのことです。

また、マスコミの取材でも、

身体的な理由で長時間マスクをするのが難しく、普段からしていません。具体的な病名を明らかにしないのは「その症状なら着けられるだろう」という暗黙の強制につながってしまうからです。他人の病状にどうこう言うべきでなく、マスクをしないという自己決定は尊重されるべきです。

と説明されており、あくまで”健康上の理由でマスクを着用できない”とのことです。

しかし、奥野さんの父親は、マスクができない疾患があるのかを聞かれた時に、

いや、私たちと一緒に生活しとったときは、そんなんはなかったけどね。

と否定しており、本当に健康上の理由でマスクができないが怪しいと言われいます。

奥野淳也は懲役2年、執行猶予4年の判決。「魔女狩りだ」「冤罪だ」と大声で裁判官に詰め寄る

奥野さんは2022年12月14日に大阪地裁の大寄淳裁判長から懲役2年、執行猶予4年の判決を言い渡されました。

ノーマスクで出廷した奥野さんは、裁判官に対して、

「まるで中世の魔女狩りだ。私は無罪で冤罪(えんざい)だ」

と大寄裁判長に大声で詰め寄ったそうです。

そして、閉廷後のマスコミからの取材には、

「謝罪も反省も一切するつもりはない」

と反省するつもりはないと話しました。

そしてツイッターには、

「何の論理もない、ただコロナ禍の大衆感情と感覚のままに後付けで事実をこじつけた作文でした」

と綴りました。

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