武相高校の板野投手のその後。インフィールドフライ事件のイケメン球児

武相高校といえば、過去数回の甲子園出場を誇る神奈川の古豪です。

直近で大きな話題といえば、2012年のインフィールドフライ事件です。

今日は2012年に武相vs日藤戦で起きた”インフィールドフライ事件”の詳細と、当事者たちのその後について書いてみたいと思います。

神奈川の夏の大会「武相高校vs日本大学藤沢」で起きたインフィールドフライ事件。部員の飲酒や審判への暴言

今でも動画サイトで人気の動画となっている2012年の神奈川選手権大会で起きた「インフィールドフライ事件」

2012年7月12日の夏の初戦で、県内の強豪である武相高校と日本藤沢が激突するという注目のカードとなりました。

両校共に毎年ベスト16以上には入る強豪校で、仮に初戦敗退ともなれば、両校どちらにとっても歴史的汚点になってしまう、大変プレッシャーの掛かる一戦でした。

ゲームは2回に武相が1点先制するも、5回に1点返され同点、6回にも1点追加され逆転という均衡した好ゲームでした。

2−1で迎えた9回の表に武相が1点を返し、9回に試合を振り出しに戻すという劇的な展開

武相からすれば9回裏の日藤を0点に抑えて延長で逆転を狙いたいという場面、そんな状況で例の”インフィールドフライ事件”が起きてしまったのです。

強豪同士の初戦+実力差のない好ゲーム←この状況で起きたインフィールドフライ事件

守る武相高校は9回裏1アウトでランナー満塁の場面。

ここで打者が内野フライを打ち上げ、3塁塁審はインフィールドフライを宣告。

内野手が捕球後、タイムをかけたつもりで、マウンド付近に内野手が集合。

しかし直後、それを見た日大藤沢高校の3塁ランナーがタッチアップからホームイン。

「は?」と困惑する武相だが、主審はセーフを宣告し、日藤の選手はサヨナラ勝利に歓喜の輪を作りました。

武相側からは「タイムかかってたぞ」と罵声の嵐、マウンドにいた板野投手も納得いかない様子。

日藤の山本監督は歓喜する選手たちを一旦はベンチに戻し、改めて判定を待つ。

武相のベンチから控え選手が審判に抗議。

タイムのジェスチャーを交えながら審判に抗議するも、判定は覆らず、主審がマイクで状況説明し、日藤の勝利を宣告しました。

試合終了のサイレンが鳴り響き、整列になりますが、主将兼マウンドにいた板野投手は敗戦に納得いかず、挨拶をせずに切り上げました。

その様子を見ていた日藤と武相の両監督から鬼の形相で睨まれていました

ベンチに戻った板野投手は、監督に何か一言怒鳴られ、そこでようやく敗北を受け入れたのか、大粒の涙を流しました。

ネット上では武相の先発でキャプテンの板野投手の態度が悪いとして炎上し、さらに控え選手の日記のようなものが拡散され、その内容に問題があったとして物議を醸しました。

武相高校の控え選手は審判や日藤の選手を揶揄。ネット上では板野投手ら選手の日記が特定&炎上

大荒れだった2012年神奈川選手権の武相と日藤の初戦。

板野投手や他の選手らに対する厳しい意見がネット上に並んだ他、武相の選手らが2ちゃんねるに書き込みをしていたことで、さらに大炎上しました。

書き込みの内容は「審判まじくそ」「審判キモかった」などがあり、一部には「リアルに日藤(日大藤沢)殺す」という相手チームを脅迫するような文面も確認された。
 武相の井上正靖校長(神奈川県高野連副会長)は、書き込みなどが悪質と判断したと説明。「礼儀や規律を守るよう厳しく注意した」としている。産経ニュース

野球部員が「2ちゃんねる」で審判を批判する書き込みをしたということで、武相高校は当面の活動休止を発表しました。

また、武相野球部の生徒のブログやTwitterが多く特定され、校内でお尻を出してる姿や、飲酒や喫煙が疑われるような内容であったことで油に火が注がれました。

先発投手だった板野選手のブログも特定されていましたが、板野選手の日記の内容はさほど問題ではなかったようです。

武相高校の板野拓耶投手のその後。帝京大学でも好投手として活躍もプロならず

2012年のインフィールドフライ事件で有名人となった武相高校のキャプテンでエースだった板野拓耶投手。

武相高校を卒業した後は帝京大学に進学し、大学でも好選手として活躍されてました。

名前 板野拓耶
身長 178センチ
ボーイズ 横浜都筑ボーイズ(横浜市立中山中学校)
高校 武相高校
大学 帝京大学
ポシジョン 投手

板野拓耶は高校時代から将来有望な選手だった。帝京大学では青柳晃洋や塩見泰隆とプレー

板野拓耶投手は球速が常時130キロ台後半を記録するような超高校級の投手でした。

1年生の頃から強豪・武相の選手層の中で背番号をもらい、試合に出場しており、監督から将来を期待された選手でした。

直球でグイグイ押す気持ちの強いスタイルも持ち味で、奪三振とポップフライを稼げる良い投手でした。(高三の夏はポップフライが凶となりましたが)

スカウトレポートでは牽制がうまく、ゴロのフィールティングも良いとして、技術力も認められています。

帝京大学でも投手として活躍され、投球フォームをオードソックスからインステップに変えるなど試行錯誤していたようです。

大学を卒業した後はプロ志願書は提出せず、その後に社会人で活躍してるような記述もありません。

現在は引退状態であるとされています。

当時の主審が”10年間ずっと謝りたかった”。インフィールドではなく別の回の誤審

2012年に問題となったインフィールドフライ事件ですが、あれから10年経った2022年に、当時に試合で審判をしていた方が”ずっと謝りたかった”と語っていたことが明らかになっています。

それからしばらくして、神奈川県内の自宅を訪ねた。「今は審判はやめられたそうですが、あの試合と何か関係があるのでしょうか」。記者が切り出すと、男性はこう打ち明けてくれた。

 「あの試合では、(炎上した)武相側に不利な誤審があったんです。積もり積もったフラストレーションが爆発した。試合終了後、彼らにあんな態度をとらせてしまったのは、僕は今も審判の責任だと思っています」

ネット上では”審判は悪くない”と同情する声が多数ありましたが、この審判の方が謝りたいと言っているのは、インフィールドの判定ではなく、その前にあった判定についてです。

結果的に、その前の誤審&武相のストレスが、あのインフィールド事件に繋がってしまったということで、謝りたいということです。

インフィールドフライ事件の発端に前の回の誤審?審判の後悔

当時の審判が”謝りたい”としている判定は、インフィールドではなく、1―1の同点で迎えた六回表の武相の攻撃の場面です。

逆転を狙う武相は、2番からの好打順で先頭打者がライト前ヒットで出塁し、3番打者もレフトに長打を放ちました。

ショートバウンドして日藤のレフトが捕球し、武相のランナーは進塁を狙って走ります。

しかし、ヒットだと思われた打球をフライだと誤審し、ファーストに返球された際にもアウトと併殺打が完成

なんと、レフト前ヒットをフライだと誤審し、さらに併殺打になってしまったのです。

審判団はマウンド近くに集まった。重苦しい空気が流れたが、ほかの審判から判定に異を唱える声は上がらなかった。男性も抗弁することなく、審判団は「最も近くにいた三塁塁審の判定通りにしよう」と協議の輪を解いた。

 「試合の流れを大きく変えてしまったかもしれない」。サヨナラインフィールドフライは、そんな後悔を抱えたまま迎えた九回に起きた。いま振り返っても、この時のプレーやジャッジにはなんの問題もない。だが、誤審を見て見ぬふりしてしまった男性は、あの時の武相ナインの怒りは、九回のワンプレーだけが原因ではないことは痛いほど分かった。

仮にヒットになっていれば、武相の次の打者は4番で、一挙逆転のチャンスでした。

この誤審があった6回から試合の雰囲気は重たくなり、その流れのままのインフィールドフライ事件だったのです。

選手や観客があそこまで感情的になって怒ったのにも理由があったということです。

そして、あの事件で顔や名前が拡散され、人生が変わってしまった生徒もいたということで、審判は後悔しているとのことです。

審判はその後に先輩の審判に叱責されるなどしており、審判を引退するまでにずっと謝りたい気持ちだったということです。

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