ブルーノ・サンマルチノが死去。死因と病名。ベンチプレスの王の現在

日米で大きな支持を集めたスーパースターであった、
ブルーノ・サンマルチノさんが、
2018年4月18日に死去されたそうです。

まさかのニュースに多くのプロレスファンが動揺しています。

人間発電所の異名を持ち、日本マットでもジャイアント馬場さんらと激闘を繰り広げたプロレスラーのブルーノ・サンマルチノさんが18日、米ペンシルバニア州ピッツバーグで死去した。82歳。米プロレス団体WWEの公式サイトや、米の複数のメディアが19日までに伝えた。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180418-00000152-dal-fight

「人間発電所」とも呼ばれた、
ジャイアント馬場さんの良きライバルであり親友であったブルーノ・サンマルチノさん。

余生を過ごしていたペンシルバニア州の、
ピッツバーグで亡くなられたということで、
今後、多くのプロレスファンが現地にお花を届けることでしょう。

ブルーノ・サンマルチノが死去。死因と病名

プロレスラーといえば、
なかなか長生きできない印象がありますが、
ブルーノ・サンマルチノさんは高齢になっても、
トレーニングを続け、超健康体を維持していました。

ブルーノ・サンマルチノさんが亡くなられた死因や、
今までの持病は明らかになっていません。

もしかしたら、今後死因は公表されると思いますが、
最強の男にして、その詳細はあまり聞きたくないですね・・・。

死因は不明だが、ここ数カ月は健康上の不安を抱えていた。現地時間の同日、家族に見守られて息を引き取ったという。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180418-00000152-dal-fight

記事を読んでるとブルーノ・サンマルチノさんが体調を崩したのは、
ついここ最近からであることがわかります。

80歳を過ぎても元気という話を聞いていたので、
きっと90歳ぐらいまで普通に生きるものだと思っていました。

最後は家族に看取られたのは素敵なことです。

マットの上でもなく、変な場所でもなく、
最後の最後は安らかに眠られたんだなと思うと安心します。

日本では「人間発電所」、
アメリカでは「MSGの帝王」と、
様々な異名を持ったスーパースターです。

日本とアメリカの両方のファンの心の中に、
ブルーノ・サンマルチノさんの怪力は永遠に生き続けて欲しいです。

マットの上で暴れる彼の姿だけは、
永遠に男のロマンとして残って欲しいのです。

ベンチプレスの王の現在(画像・動画)

サンマルチノさんといえば、
持ち前の怪力が魅力の1つでした。

見るからにパワーがありそうでも、
実はそうでもない見世物の筋肉マンが多い現在ですが、
サンマルチノさんは正真正銘の怪力を誇りました。

初代WWWF王者を瞬殺で楽し、王者に君臨したのも、
そのベンチプレスなどの数字のステータスがあり、
実力だけでなく、どこからほっとけないカリスマ性があったからでしょう!

ちなみに全盛期のサンマルチノさんのベンチプレスは、
およそ257キロ・・・。

サンマルチノさんは1959年に、
当時のベンチプレスの世界記録をマークし、
しっかりとその様子を見た方が多くいます。

70歳を超えた後もトレーニングを続け、
圧倒的な破壊力を老後も維持し続けていました。

サンマルチノさんはイタリア出身。長年WWWF王者として君臨し、マジソン・スクエア・ガーデン(MSG)の帝王とも呼ばれた。13年にWWEの殿堂入りした。

日本では日本プロレス、全日本プロレスに参戦。馬場さんの死後、1999年5月2日の全日本東京ドーム大会で行われた「ジャイアント馬場引退記念試合」で“対戦相手”としてリングに上がったのが日本マットでの最後の雄姿となった。引用元:https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20180418-00000152-dal-fight

アメリカでは連日マディソンスクウェアガーデンを満員にし、
日本では馬場さんのライバルとして長く抗争を続け、
そのレスラーとしての人気は、日米ともに圧倒的でした。

日本とアメリカの両国のプロレスの歴史を語る上で、
サンマルチノさんの存在は非常に重要で、
この先プロレスの教科書が作られるとしたら、
スターレスラーの原点であり頂点であるべき方です。

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