俳優の窪塚洋介さんといえば、2000年代前半までカリスマ的人気を誇った俳優です。
現在でもコアなファンが多く、発言やファッションなどが注目されています。
そんな窪塚洋介さんですが、2004年に自宅マンションから飛び降りた事件が有名ですね。
あの転落事故は、結局何が原因で、その後はどのような形で片付いたのでしょうか?
現在でも窪塚さんの転落事故ネタを中心とした都市伝説や噂がネット上に存在します。
今日は2004年の窪塚洋介さんのマンションから飛び降りた事故について書いてみたいと思います。
窪塚洋介の転落事故。なぜ9階のマンションから飛び降りる
2004年に窪塚洋介さんがマンションから転落し、大怪我を負うショッキングなニュースがありました。
窪塚洋介さんが転落したのは、神奈川県横須賀市にある自宅マンション。
住んでいた階は9階で、高さ約26mから飛んだということになります。
時間にして2004年6月6日午後12時10分頃でした。
幸い窪塚洋介さんは一命を取り留めましたが、この転落事故に関しては多くの謎が残されています。
当時は長年の交際の末に結婚した嫁”のん”ちゃんとの間に第一子を授かり、窪塚さんは育児休業中でした。
なぜ助かった?フェンスと茂みがクッションになって一命を取り留めた
そもそも、なぜ窪塚洋介さんがマンションの9階から飛び降りて、命が助かったのか?
当時の状況を物理の「自由落下」の公式に当てはめて考えると、時速81kmで地面に衝突する計算になり、約1.5トンの衝撃を受ける計算になります。
普通に考えたら助かりません。
なぜ助かったのかというと、窪塚さんは飛び降りた後に9m離れたフェンスへの衝突し、衝撃が和らいでいたのです。
フェンスへの衝突がクッションになり、さらに落下した場所が芝生の上だったことで命が助かったということです。
窪塚洋介が飛び降りで怪我した箇所。5箇所の骨折で全治3ヶ月
フェンスと茂みの存在で一命を取り留めた窪塚洋介さんですが、痛々しい怪我をされています。
落下場所が良かったとは言え、怪我はかなり酷く、頭蓋骨などを含め、骨折箇所は5ヶ所。
事故後に所属事務所は「全治には3ヶ月」と発表していましたが、医療関係者の間では「骨が付くのに1年、歩行には数年のリハビリを要すほどの重傷(医療関係者)」とのことです。
しかし、窪塚さんは転落事故の翌年2005年に仕事復帰。
2005年の映画「同じ月を見ている」で主演として俳優業を復帰させ、世間を驚かせました。
事故の不審な点。フェンスまでの距離と事務所の態度
この窪塚洋介さんの転落事故は、多くの謎を残しています。
まず、窪塚さんがフェンスにぶつかったことで衝撃が和らいで一命を取り留めたとのことですが、ベランダからフェンスまでは9メートルの距離があり、”かなりの助走”とつけないと到達しないという点です。
窪塚さんは、ベランダから助走をつけてジャンプしたということでしょうか?
そして、他にも気になるのが、当時の所属していた事務所の対応の冷たさも気になります。
事故後に「鯉のぼりを片付けようとして、誤って転落した」と説明したり、”全治3ヶ月”と発表するなど、色々と適当なのです。
窪塚洋介は自殺未遂を否定。飛んだことを覚えていない
事故後の報道で、多くの方が窪塚洋介さんが自殺未遂をしたと予感しました。
しかし、窪塚洋介さん本人は自殺未遂を否定しています。
「本当に覚えてない。アメリカに行く予定で、荷物も全部準備してあって。家庭も持って、子供もできて、仕事も順調で。自殺する理由なんてまったくなかった」
と、飛んだ際の記憶が一切ないと仰っていました。
当時の窪塚洋介さんは新婚で子供も生まれたばかりでした。
2001年に映画「GO」にて第25回 最優秀主演男優賞の受賞、2003年に結婚&子供の誕生。
公私共に順調な時期であり、側から見ても自殺する理由は1つもないように思えます。
嫁と口喧嘩→怒って飛び降りる。薬物の説も
窪塚さん本人が自殺未遂を否定し、その説は消えました。
その他にも、”嫁と口喧嘩してムキになって飛び降りた”なんて説もありました。
この喧嘩説に関して、飛んだ当時に同じ部屋にいた嫁”のん”ちゃんが、
「テラスの方に行ったと思ったら姿が見えなくなった」
と、なんの前触れもなく、急に窪塚さんが飛び降りたことを語っていることから、ガセネタだと分かっています。
その他にも薬物でおかしくなって飛び降りたなんて説もありましたが、仮にそれが本当だとしたら、搬送された病院で発覚してます。
それに常習者だとしたら、事故後の捜査で部屋にある薬物もすぐに発見され逮捕されているのでガセネタです。
窪塚洋介の転落事故の後の手紙”記憶がない”
「記憶がない。
ベランダから落っこちた日から数日間の記憶が今だにない。
意識が戻ったのは病院のベッドの上だった、「中田さん、どうですか?」看護師さんに話しかけられていた、…中田? …俺、中田だっけ?…あれ、イタリア?
マスコミへの計らいで”中田さん”になっていた本人が一番混乱した。
そしてその後すぐもっと混乱した、体が動かない…。
両足、左手、あばら、顔面の骨が折れていた、だけど背骨やせき髄、脳は無事だから歩けるようにはなると先生に説明された。
他人のケガの状態を聞くよりもあっけらかんと聞いていたのは、強いとか前向きとかじゃなくて、ただ、自分の身に何が起こったのか理解できてなかっただけだった。
「あ、そうですか」と言葉だけが勝手に出ていた。
みんなから生きているのは奇跡だと言われても、そんな実感は全然持てなかった。
夏至の日に手術が無事終わって両足と左手に金属が入った、子供の頃好きだった超合金に自分がなっちまった、でもおかげで順調にリハビリが出来る。
先生言うところの脅威の回復力で、いよいよ歩く練習が始まった、人生で二度目の歩く練習は色んなことを気づかせてくれる、痛みは俺にとって一番の現実で一番のメッセージだ、
wかあったつもりになっていた「いのち」のスゴさと不思議さと素晴らしさがやっと姿を見せ始めたのかもしれない、生きてて良かった。」
「生きているのは奇跡」生きてるってことは死んでないってこと。
助かったって意味じゃなくて、なんのヒネリもない「当たり前」の意味、「当たり前」過ぎて 当たる前のくせに当たった気でいたことがめちゃくちゃある、
こうならなかったらわからんかったことがめちゃくちゃある、だから今はこうなったことに感謝している、
これからも嬉しいことと嬉しくないことは同じくらいあるだろうけど、生きててこそだ、楽しんでいこう、生きてるだけでボロもうけ。
この命をくれた両親と先祖、この命をつないでくれた病院の先生、看護師さん、リハビリの先生、励ましの声をくれたみんな、そして家族と神さんに心から感謝してます。
とにかく、心配かけて迷惑かけて本当に申し訳ありませんでした。
窪塚洋介に後遺症の噂。車椅子姿と人工肛門の書き込み
気になるのは、あれだけの事故があった後の後遺症です。
現在までに、窪塚洋介さんは多くの後遺症の噂が立っています。
事故の同年2004年11月13日にドキュメンタリー番組「告白 窪塚洋介~そして旅は続く~」に出演されました。
番組での窪塚洋介さんは車椅子姿でした。
番組での窪塚洋介さんは、
8月1日
「靴履いたら歩けそう。内蔵とかも脾臓がやられてたり、目が見えなくなるとか言われてた。脅威の回復力とか言われてる。右の鼻の臭いは無くなった。」8月31日
「歩けるようになった。一番痛いのは膝。違和感ありあり。」
とリハビリの進行を語っていました。
当時は、”歩けなくなるのかも?””歩き方が変になるのかも?”との噂が出ていました。
その噂に関しては1年後に主演した映画で元気に歩き回り、ガセだということを証明させてます。
歩き方以外にも、事故の後遺症で人工肛門になっているとの噂もありました。
水着写真を見てる限り手術跡はない
窪塚洋介さんが事故の影響で人工肛門になっているという噂は、事故後のネット掲示板の書き込みから出ました。
「転落した際に受けた、腹部、主に大腸への衝撃によって、人工肛門を装着しなければならなくなった」
との書き込みがあったことで、その情報を信じる方が多く出たのです。
しかし、その後に窪塚洋介さんの水着姿の写真がネットにアップされ、お腹に手術の跡などがなかったことから、その疑いは晴れました。