市橋達也の学歴と両親。動機と逃亡生活まとめ。出所時期と現在

市橋達也さんといえば、2年以上の逃亡の末に逮捕され、その後にファンクラブが結成されるほど人気者となった人物です。

長身で家柄も良く、度重なる整形で端正な顔立ちに変化していた為、多くの隠れファンを抱えました。

まるで映画のような逃亡劇から、界隈ではカリスマ性を誇ります。

今日は市橋達也さんの生い立ちと、事件を起こしてしまった経緯、そして逃亡生活と逮捕後の現在について書いてみたいと思います。

市橋達也は父・外科医で母・歯科医のエリート一家。本人の最終学歴は千葉大学園芸学部卒業

市橋達也さんといえば、2年間に渡る逃亡が印象強いですが、指名手配になっていた頃から知性的な人物であることが知られています。

実際に市橋達也さんは両親が共に医療関係者で、エリートのDNAを継承しています。

市橋達也の両親は高校からの同級生で、同じ医者を目指す事で知り合い結婚。

1976年に第一子の長女が誕生し、1979年に第二子の長男・市橋達也さんが誕生しています。

父親が外科医、母親が歯科医という社会的に高い地位の夫婦くな家庭で育っています。

名前 市川達也
出身地 岐阜県羽島市
生年月日 1979年1月5日
身長 180センチ
血液型 O型
家族 父親(外科医)。母親(歯科医)。姉(2歳年上で医者)。
出身大学 千葉大学園芸学部(4浪で入学し卒業)。横浜国立大夜間(中退)。
出身高校 公立羽鳥北高校(偏差値54)

市橋達也の小学生時代は勉強も運動もできた優秀な生徒でした。

その一方で「キレやすく怖い」という印象もあり、通知表に先生からのコメントで「頑張りましょう」と書かれているのを見て、怒ってその場で通知表を破り捨てたという逸話があります。

中学校時代は生徒会役員をしたり、バスケットボール部の副キャプテンをするなど活発で勉強も優秀でまさに優等生でした。

市橋達也は高校までリア充。勉強もスポーツも優秀で友達もたくさんいた

市橋達也さんは高校生になると、将来の夢は両親と同じ「医師」だと宣言し、親が医者であることを周囲に自慢していたそうです。

進学した高校は地元・岐阜県の公立羽鳥北高校で、同校の中でも優秀な国立大学理系学部志望のクラスにいました。

陸上部に所属し、市橋さんは学年で1番足が速かったそうです。

大学受験では、両親と姉と同じく医学部を目指しましたが、4年連続で受験に失敗。

横浜国立大学(夜間)に進学しますが、やはり医学部ではなかったことと夜間ということもあり再度大学受験に挑戦しましたが、結局4浪した末に進学したのは千葉大学園芸学部でした。

大学受験で挫折。4浪し千葉大学園進学。友達が多くも卒業後に就職せず

千葉大学園芸学部では緑地環境学科で園庭デザインなどを学び、空手部に所属。

大学時代は交流会などで中心的存在で、空手部では練習をマジメに取り組んでいたそうですよ。

千葉大学園は無事に卒業していますが、その後に就職はしていません

2歳年上の姉は両親と同じ医者となっており、一家で医者ではないのは市橋達也さんだけでした。

姉が医者な上に、自分は長男という立場で医者になるプレッシャーがすごかったこと、医学部に進学し医者になれなかったことで自己肯定感がなくなってしまったことが想像できます。

父は勤務医の外科部長も息子の事件で退職。リンゼイさん遺族に手紙と飛行機代を負担

市橋達也の父は岐阜県の地方病院に勤めている勤務医の外科部長という立場でした。

しかし、市橋達也が容疑をかけられ逃亡して以来、勤務先は辞めています

事件後すぐに記者に囲まれ、すぐに謝罪のことを発言しましたが、最初に報じたメディアが謝罪シーンをカットしてことで凄まじい叩きを受けてしまいました。

また、両親はリンゼイさん家族に事件後から手紙のやりとりを開始し何度も謝罪。

リンゼイさんの遺族は日本に来日するたび、費用を両親が負担し続けました。

最初の報道で印象が悪くなってしまった両親ですが、親の立場からできる限りのことは率先して償い続けていたのです。

市橋達也とリンゼイ・ホーカーの関係。動機は?自宅やカフェでの個人レッスン

市橋達也さんは千葉県市川市福栄二丁目の親所有の3DKのマンション4階に住んでいました。

市橋達也さんは仕事はしていないものの彼女持ちで、海外の大学院に進学するために、親から月12万円の仕送りを受けながら英語の勉強をしていました。

大学院に合格せず、事件直前の3月には、父親に仕送り停止を通告されていました。

リンゼイアンホーカーさん22歳のイギリス人女性。

2人は事件の5日前に、行徳駅前でナンパで出会い、その後に英語の個人レッスンを目的に会い、事件に至っています。

2007年3月20日 東京メトロ行徳駅の改札前広場で市橋がリンゼイをナンパ。自転車の彼女を自宅前まで追っかけ「水を飲ませて」と自宅に上がる。似顔絵を描いた紙に連絡先を書いて渡し、英語を教えるように交渉。
2007年3月20日以降 複数回に渡ってメールでやり取りをする。3月25日に1回3500円で個人レッスンする約束を取り付ける。
3月25日午前9時 行徳駅前の喫茶店に来店に2人で来店し個人レッスンを受ける。
3月25日午前9時54分 市橋がレッスン料を忘れた為に2人でタクシーで自宅に向かう。エレベーターに2人の姿が映る

市橋達也の動機が不明?逃亡するまで。逮捕後の弁護団の主張

3月25日午前9時に英会話レッスンを行うために行徳駅前の喫茶店に来店しレッスンを受けるもレッスンの代金を忘れたことを明かし、2人はタクシーで市橋の自宅にお金を取りに行くために移動。

9時54分、自宅マンションのエレベーター監視カメラに2人が映っているのが確認されています。

自宅に入ったところで被害者を押し倒し、結束バンドなどで拘束して暴行し、取り外し可能な浴槽を和室に置きにリンゼイさんを入れて監禁

監禁中には、拘束を解くように要求する被害者を殴りつけ、監禁中に市橋は交際中の女性に「1週間ほど会えない」とメール。

翌3月26日2~3時頃、手の拘束を解いて被害者が逃亡しようとしたため頚部を圧迫して窒息死因は、頚部を圧迫したことによる窒息死。(頚部を圧迫されたために2箇所の舌骨骨折し右眼窩下と左頬部に、殴打痕)

ここの動機については諸説あり、有力なのは暴行したことをリンゼイさんが通報することを恐れた為とされてますが、”酷い返り討ちを食らって揉めた末にやってしまった”などの都市伝説もあります。

死亡後、ホームセンターで、赤玉土56リットル、園芸土50リットル、シャベル1個、発酵促進脱臭剤2個、脱臭剤2個、苗木1本を購入し、ベランダに浴槽と遺体を移動させて、購入した土を投入。

その日の夜には捜査員が自宅に訪れ、部屋に入ろうとした隙に逃亡し、2年以上の逃亡生活を送ります。

逮捕後に、市橋達也の弁護さんはリンゼイさんに殺意はなかったこと、監禁後も毛布をかけてあげたり拘束を解くこともあったことなどを訴えています。

  • 殺意はなかったが、結果的にリンゼイさんを死なせてしまった。その責任は取るつもりだ
  • 暴行目的で連れてきたのではなく、あくまでレッスン料を渡すために家に連れてきた
  • 口をふさいだ時髪の毛が絡まったので切ったら怒られた
  • 浴槽を和室に持ち込んでその中に入れた、毛布をかけてあげた(フジテレビ再現)
  • 英会話をしたりキング牧師の演説をネットで聞いたりジュースを飲んだりした
  • 拘束を一時解くこともあった
  • 人工呼吸をした

事件後に市橋容疑者のファンクラブが作られた背景には、整形後の顔がイケメンだっただけでなく、これらの弁解を信じる人がいた為です。

”本気でリンゼイを愛していた””ただの失恋””事故で止むおえない”との憶測が登場した為です。

市橋達也の逃亡劇。時系列にすると映画並みに凄い?住み込むの肉体労働で貯金

逃走開始直後の市橋は靴と靴下、上着を紛失し、足の裏は血だらけだったそうです。

ゴミからサンダルと上着を入手し、所持金は5万円程度で逃走を計りました。

当初は自家用車を所有する恋人公衆電話から連絡を取りましたが、女性が通話中だったために一緒に逃げることはできませんでした。

2007年度は放浪してる時期が長く、2008年頃からは大阪西成区で身分証明書なしで働ける日払いや住み込みの仕事を小刻みにしていました。

貯金が貯まっては無断退去し、整形して離島でサバイバルをするというパターンを繰り返しました。

また、逃走序盤から医学の知識を生かして自分で顔を整形することも繰り返していました。

2007年3月26日21時40分頃 マンション共有廊下で警察が対応とした際、非常階段を駆け下りて同マンション裏の駐車場を経て東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走。
2007年3月27日 上野経由で秋葉原まで移動し、東京大学医学部附属病院障害者トイレで、鼻翼を左右から縫い縮める自己整形手術を行う。
2007年3月27日 逃亡した自宅近所の東京メトロ行徳駅付近で警察犬が感知し得る市橋の臭気が途絶。同駅付近に市橋の靴下が発見される。
2007年春以降〜 節約の為に無賃乗車を繰り返し埼玉県・群馬県・茨城県などの北関東周辺を放浪。気が遠くなるほどひたすらに歩く。
2007年春以降〜2 静岡県熱海市を経て駿河湾付近まで南下した後に青森県まで北上。青森駅前公園で1週間ほどの寝泊りも仕事がない為大阪に行く。青森では自分の唇を薄く切る
2007年春以降〜3 仕事のために大阪市西成区の公共職業安定所を訪れるが職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動。大阪で初めて自分の指名手配の紙を見て焦る。
2007年夏 沖縄オーハ島に潜伏。最初は無計画で飲み水や食べ物に困り1週間で島を離る。
2007年夏以降〜 沖縄県那覇で日雇いの仕事をする。手配書にホクロの特徴が書かれていた為に自分でホクロを切り落とす
2007年夏以降〜2 大阪に訪問し西成区で神戸の住み込みの仕事を見つける。個人情報は適当に書く。日給一万(寮費/3千円)。日当の高い夜勤は積極的に立候補した。
2007年夏以降〜3 身分証明書なしで整形できる場所を見つけ、鼻を高くし小鼻を小さくする。
2007年夏以降〜4 以前に失敗したオーハ島にリベンジ。サバイバルを予習し自己菜園や狩で充実して過ごす。
2007年夏以降〜5 資金が足りなくなっては大阪に戻り働き、貯まるとオーハ島に戻るというパターンを繰り返す。
2008年2月〜6月 兵庫県神戸市北区の建築会社で働く。
2008年3月12日 捜査本部は、市橋が茶髪眼鏡をかけた姿と女装姿の2つのイメージ画像を掲載した手配ポスターを新たに公開
2008年春頃 東京ディズニーランドに訪問
2008年8月〜2009年10月 8月20日から10月10日までは大阪府茨木市内の建設会社に住み込みで勤務し無断で退去。
2009年10月23〜24日 名古屋の形成外科で眉毛の整形手術を受ける。この手前に福岡市の病院では断られている。
2009年11月10日 神戸市東灘区六甲船客ターミナルにて、同社従業員が、沖縄行き航路に搭乗途中の客の中に、市橋に似た男性を発見し通報。

警察官の間を括り抜け逃亡生活スタート。初日に自らハサミで顔を変える

2007年3月26日に事件が起きると、リンゼイさんと同居していた女性が千葉県船橋警察署に相談し、リンゼイさんの家捜索

リンゼイさんの自宅から市橋達也の電話番号・メールアドレスと被害者の似顔絵を描いたと思われるメモを発見し、市橋達也宅の家宅捜索に乗り出します。

同日21時40分ごろ、千葉県市川市福栄二丁目のマンション4階に警察が到着し、市橋は部屋から出てきて共用廊下で応対。

捜査員が部屋に入ろうとすると、市橋は非常階段を駆け下り、配置されていた警察を括り抜け逃亡

同マンション裏の駐車場を経て東京メトロ東西線行徳駅方面に逃走。

しばらく近隣の住宅地の物陰に潜み、探索中の捜査員に発見されて羽交い締めにされるが、ここでも逃走することに成功。

初日は放置自転車電車を利用して、上野経由で秋葉原まで移動し、立ち寄った東京大学医学部附属病院障害者トイレで、自ら鼻翼を左右から縫い縮める整形を行う。

北関東→青森→大阪→四国に移動。贖罪の意味で遍路道を歩く

市橋達也は都内を移動した後は埼玉県群馬県茨城県などの北関東周辺を放浪しました。

静岡県熱海市を経て駿河湾付近まで南下し、その後に青森県まで北上。

南側を選ばなかった理由として、事件前に福岡県の知人に遊びに行く旨のメールを送信していた為、自宅パソコンが記録解析され南方への逃亡が察知されることを懸念した為です。

東京から新潟県を経由して青森まで移動し、青森駅前の公園で1週間ほどの寝泊り

青森で仕事を見つけるつもりが、なかなか逃亡の条件に合う働き口がなく、大阪市西成区に移動し公共職業安定所を訪れました。

大阪でも職に就くことはなく、すぐに岡山県を経由して四国に移動しました。

四国では香川県高松市から徒歩で徳島県~高知県~愛媛県と遍路道をあえて歩きましたが、これは贖罪の意味を込めてのことです。

リンゼイさんへの謝罪の気持ち・リンゼイさんが生き返るように」と思い歩いていたそうです。

遍路の先々で自分の手配写真が掲載されているのを見かけ、無人島で過ごすことを決意し、途中で遍路を辞めて高知の図書館で見つからなそうな島を調べたそうです。

無人島で生活を決意するも偽名で建築現場で働く。松山港→別府港→鹿児島県。沖縄オーハ島を目指す

指名手配の写真が増えたことで無人島で暮らしことを決意した市橋ですが、選んだのは沖縄のオーハ島でした。

松山港からフェリー別府港に移動し、鹿児島県を経て沖縄に渡ることに成功しますが、オーハ島に入ろうとするも資金不足などで断念。

沖縄現地でお金を貯めようと、住み込みの建設現場や解体現場で偽名で働き金を稼ぎました。

沖縄にいた際、自分の指名手配の紙に2つのホクロが書かれていたので、ホクロを自分で切り落としています。

勤務態度は良好でしたが、住み込みの寮付近で警察らしき車両を発見すると、自分に捜査が及んでいると疑い、所持物を部屋に残したまま逃げ出すことを繰り返しました。

オーハ島に渡るもの予習不足で1週間でギブアップ

念願のオーハ島入りを達成した市橋ですが、最初は準備不足、勉強不足のために苦戦します。

海岸近くの岩場に潜伏し、食料の調達を狙いますが、何も出来ずに餓死寸前となります。

市橋は隣の久米島で仕事を探しても条件が合う仕事が見つからず、自給自足での生活が強いられました。

夜中になると大量の蚊が群がり、得体の知れない生き物に襲われるために寝袋にくるまって過ごすハメになりました。

飲料水はすぐに尽き、海水は飲めず脱水症状が空腹と一緒に襲ってきたのです。

結局、魚釣りも満足にできず食料調達に失敗し1週間で島を離れました。

ちなみに最初にオーハ島から沖縄本島に戻る際、フェリー代金が足りずキセルをして職員に捕まりましたが、市橋とは察知されず放免されています。

合計で4度目もオーハ島への出入りを繰り返す。逃亡中にホクロや唇をハサミで切って整形

市橋は逃亡中に沖縄県島尻郡久米島町オーハ島を4回も訪れており、最長で3ヶ月も滞在したことがあります。

初めて滞在は準備不足のため1週間で挫折も、2回目は図書館でサバイバルについて学び、うまく応用しました。

・野菜は自家栽培

・水は奥武島に泳いで渡りペットボトルに1週間分を詰めて帰る

2回目以降の滞在は海岸近くのコンクリで造られた小屋に潜伏し、魚や蛇・ヤシガニを捕まえて食べて過ごしました。

当時、オーハ島には70歳代の男性1人が滞在してるだけで、見つかることがありませんでした。

逮捕後、2011年1月23日に潜伏に使った小屋を調べると、証拠品となる残留物が発見されたようです。

逮捕されたときも、オーハ島を目指した途中で、市橋は逃げ切れないと思い、オーハ島の小屋で死のうと考えていたそうです。

整形後の顔が報道された後に情報提供が相次ぐ。フェリー乗り場からの通報で逮捕

整形後の顔写真が報道されたことにより通報が相次いだ中、市橋達也が逮捕されることになったのはフェリー乗り場からの通報でした。

オーハ島生活をしていた市橋達也が、出稼ぎからオーハ島へ戻るところで御用となりました。

神戸市東灘区の六甲船客ターミナルの従業員が、沖縄行きフェリーに搭乗しようとする乗客の中に、市橋達也に似た不審な男がいると通報。

2009年11月10日にフェリー乗り場にいるところを身柄確保され、2年7ヶ月もの逃亡生活に幕を閉じました。

住み込みの労働では真面目に勤務も「俺と関わらない方が良い」

市橋は大阪や沖縄で何度も住み込みの仕事をしました。

解体や土木のようなキツい肉体労働が大半で、体を酷使させたのはリンゼイさんへの償いの想いもあったそうです。

住み込みで働いてお金を稼いでは整形→オーハ島のパターンを繰り返していました。

勤務態度は真面目で、とても優秀な従業員だったそうです。

職場の飲み会に参加した際に撮影された集合写真では、さりげなく顔を隠しています。

※最後尾の赤い帽子が市橋

若くて真面目な態度だったということで、仲良くなりたい人もいたみたいですが、「俺と関わらない方が良い」という態度で距離を取っていたようです。

自分の手配書が有名になるにつれで、同僚が自分の噂話をしてるのに恐怖を感じたそうです。

訳ありの労働者が多くいた為に、自分の懸賞金の額が上がるにつれで、いつ「市橋だろ」と声をかけるのか、人と関わる毎日が恐怖だったようで。

数回の美容整形も外科医からの通報で居場所ばれる

市橋は逃走序盤で分でホクロを切ったり、唇を切ったりしています。

元々は医学部を目指していただけに、最低限の知識があり、自分での整形に踏み切ったとされます。

整形外科では目、鼻、眉毛を整形しております。

身分証が必要ない外科での鼻の整形に成功して以降、顔が変わった為に堂々と別の外科を出入りしました。

顔を変えた場所は2年の間で5ヶ所以上です。

逮捕後、顔の変わった市橋に対して「イケメン」との声が続出し、ファンクラブまで出来る有様でした。

市橋達也の現在。長野刑務所に服役中。無期懲役への不満と出所の可能性

2009年11月10日に、神戸市東灘区六甲船客ターミナルにおいて、同社従業員が、沖縄行き航路に搭乗途中の乗客の中に、市橋に似た不審な男性を発見し通報。

大阪南港フェリーターミナルに先回りし待機していた警察官により身柄を確保されました。

輸送される際、東京駅は騒然とし、同日の逮捕ニュースは視聴率20%と大きな話題となりました。

逮捕後、数日間にわたり絶食していましたが、同年11月24日に初めて焼肉弁当を完食すると、その後はハンバーガー10個を頼むなど、以後は毎日食事を摂りました。

2011年には自身で事件や逃亡生活のことを綴った書籍を出版し、その印税の一部をリンゼイさんの遺族に充てようとしましたが、それは拒否されます。

2011年7月21日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)は検察側の求刑通り、無期懲役が決まりました。

現在までに長野県の刑務所に収監されています。

市橋達也に出所の可能性はある?真実を認めてもらえないと不満を漏らす

2011年7月21日、千葉地裁(堀田真哉裁判長)は検察側の求刑通り、市橋に無期懲役の判決を言い渡しました。

首の圧迫は強姦後に相当の時間が経った後で、時間的に接着していない」

「計画性がなく、更生可能性がないとはいえない」

と無期懲役とした理由を説明されました。

しかし、一審判決に対し、市川の弁護側は強く反発し、事実認定の誤りと量刑不当を理由に控訴

弁護団と面会した市橋は「自分の言っていることは事実である。どうして信頼できないと言われるのか」と不満げでした。

翌年2012年に控訴審初公判が開かれ、弁護側が殺意を否認し「有期刑(懲役20 - 30年)が妥当」とする旨の弁論を行うも、検察側は一審の無期懲役判決を維持して控訴を棄却するよう求め、控訴審は即日結審

その後も「被告人に真摯な悔恨が見られない」などとして、弁護側の控訴を棄却

2012年年4月25日の上告期限まで検察・弁護側双方が上告せず、判決が確定する形となりました。

上告せずに刑を受け入れたという事なので、これから減刑の可能性はありません。

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